見出し画像

てんとう虫🐞コーラ

 ある日の夜の事でございます。一日中駆けずり回って足が棒になった私は、もはや立ち上がることすら億劫なほど疲れておりました。冷蔵庫の奥にある冷えた瓶コーラの首をぞんざいに2本束ねて持ちますと、ガラス同士が当たってティリリッというあの特有の透き通った高音が誰もいない部屋に響きました。その瓶をテーブルに投げ出し、椅子にどかりと座って、私は頭を垂れながら肩で何度も息をつきました。

 日中の熱気は未だにこもったままで、転がった瓶にはもう水滴がびっしりと浮かび上がっていました。やがてそれらが結合しあってできた大粒の雫は、縁を伝って一つの水たまりを作り始めました。近くにあった方の一本をようやく手に取りますと、手から伝わってくるその冷気がまるで血管を通って体の隅々まで行き渡って癒してくれているかのように感じられました。少し気分が回復した私は栓抜きを見遣りつつ、ぼんやりと考え事をしました。

「どうして瓶で飲むとこんなに美味いんだろう?」

 私の体は既にその答えを知っています。どうしてかは説明できないのですが、何か確信めいたものが自分の中にはあるのです。生後半年ほど経った赤ちゃんが黄金色を好きになる本当の理由を説明できないことと同じでしょうと、私は勝手にそう解釈いたしました。1本目を開栓し、私はまずこれを一息で飲み干すつもりでおりました。

 しかしながら、途中でふと目を開けますと、白い天井の隅に黒い斑紋を持ったてんとう虫が1匹いることに気が付きました。意外だった私は残りわずかとなった瓶を利き手に持ち替えて、改めて彼を注視することにいたしました。その瞬間、彼は飛び立って、シンクのそばにある半開きにした引違い窓にとまりました。おそらく、彼には闇夜の風景がはっきりと見えていて外に飛び出したいのだろうと、最後の一滴を飲み終えた私には思えました。

 しばらくの間、2枚のガラスに挟まれた空間に入りこんで、彼は窮屈そうに飛んではガラスの上を歩くという動きを繰り返しておりました。どうやら、彼には家と外を隔てるガラスというものが見えていないようです。彼にとっての常識と非常識は、私とは全く逆なのでしょう。

「コーラとてんとう虫って似てんな」

 私は瓶越しに彼を見遣りつつ、2本目を開栓いたしました。まだ私には、あの重たい窓ガラスを動かして彼を外へ招待しようという気力は戻っていませんでした。だいぶ時間が経っていたので、瓶底にすっかり溜まった水滴がぽつぽつと服の上にリズム良く滴り落ちました。でも、私はそんなことはお構いなくコーラを一息に飲み干しました。

 しばらくして、私は強烈な睡魔に襲われ、気を失うように眠りに落ちました。微睡みの中、私は不思議な夢を見ました。彼の狭い背中に乗せられてどこか知らない夜の砂漠まで飛んで連れて行ってもらうという突飛な内容でしたが、着いた途端に目は覚めてしまいました。あたふたと彼を探しましたが、もう外に出て行ってしまったのか、その姿はありませんでした。私のそばには、ただ空になった瓶が2つ何の面白みも無く転がっているだけでした。

「ためになるわ」と感じて頂ければサポートを頂ければ幸いです。よろしくお願いいたします。