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大切な人に嫌われたくない、と思うこと

身近な人とのケンカが続き、なぜこんなに噛み合わないのかと、毎日ぐるぐる考えあぐねて、自分の思考回路について考えてみた。

最近自覚した自分の思考のクセ。
自分の弱点。

自分のマインドセットと直面

自分が大切だと思う人から嫌われたくない。
それ以外の人から嫌われてもどうでもいいけど、大切な人からは嫌われたくない。

どうやら私は殉教者タイプで、相手が困っていることを見過ごせなくて、手を差し伸べる。相手のために何かをすることで喜びを感じる。
反面、自分は我慢して楽しむことはしないタイプ。

確かに。思い当たるふしがある。

でも、もしかして、それは相手に嫌われたくないから、ということがあるのかもしれない。

奉仕精神が行き過ぎて、自分では気づかないうちに自分のことを横において、相手を優先することが多い。
それでも相手が楽しそうにしていると、私はそれで満足だった。

相手がしたいことを優先して、そこに一緒に行って場を共有することが楽しいと思っていたし、自分が我慢をしているなんて自覚がなかった。

でもよく考えてみれば、無意識に自分に嘘をついていて、本当はココに行きたい、本当は一緒にこれが食べたい、という欲求に蓋をして口にすることができなかっただけなのだ。

なぜなら。

嫌われたくないから。拒絶されたくないから。

自分の真意と相手の解釈

無自覚だった自分の真意に気づいたのは、とあるケンカ。

彼からこう言われる。

自分から、したいことや行きたいところ、食べたいものは言わなくて、自分の望んでいることを相手から言わせる。
自分の手の内は明かさないで、その場の雰囲気をコントロールしようとしてるでしょ。
そうすると、相手は正解を求められて圧迫されているように感じるし、正解を出せなかったら存在価値がないと感じるんだよ。

私にはまったくそんなつもりがなかった。

ただ単に嫌われたくなくて、拒絶されたくなくて言葉にできなかっただけだ。
それが相手にはまったく違うように受け取られていた。

想像は、自分の範囲内のことしかできない、という言葉を思い出した。

私の、嫌われたくない、という緊張感は相手に伝わり、相手はそのネガティブなオーラが詰まったプレッシャーを違うものに解釈する。

嫌われたくない、という出発点があって、自分のしたいことは自ら言わないくせに、私の好きなことわかるよね、と相手が選んでくれるように無言のプレッシャーをかける。

私は私で勘違いして、「ああ、この人は私の好きなことをよく知っているなあ」と呑気に考える。

違う。違う。

それは、相手が私という人間を理解しようとして必死に咲かせた花なのだ。
その花の部分だけを見て、私はそれまで種から花を咲かせるまでの苦労を見ようともせず、ただ、相手からの愛情とだけ受け取っていたのだ。

目の前の相手を信じる

私に足りなかったのは「覚悟」なんだなあ、と一周した思考回路でまた考える。

これ以上嫌われたくない、という私の根本にあるのが、私は嫌われるという前提。
相手は私を嫌うという不信感。

もう一度、自分の中でやり直そう。

相手が私を嫌っていることは前提なんかじゃない。
相手が私を嫌う日も来るかもしれないけど、でも今、目の前にいる相手は私を嫌っていない。

自分の手の内を相手よりも先に明かして、「私の手のひらにはこれがありますと」と、嫌われるとか考えずに堂々と伝えたらいい。

せっかくの共同体なんだから、嫌われるとかどうでもいい、って半ば開き直って相手とただ笑い合えばいいのだ。

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