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心を開くと世界は変わる

誰にでも「この人はもう信頼できない。絶対にもう本音を話すもんか」と思ったことが何度かあるはずだ。

もちろん、見返りを求めて相手のために何かをするわけではないけど、無意識に相手に期待していて、相手の反応が自分の期待値に満たないとき、裏切られたと感じてしまう。

これ以上傷つけれらたくないと自分の心を閉ざして、相手と向き合うことをやめてしまう。

心を閉ざしてしまうと、どんどん自分だけの世界の深みに嵌っていき、負のスパイラルに陥る。

相手は自分の鏡

何かがきっかけで、人間関係がギクシャクすることは、よくある。
相手の何気ない言動が自分からしたら攻撃されているようだったり、責められているように感じられ、これ以上傷つけれられたくないし、追いつめられたくないと思って、自己防衛となってしまう。

その結果、自分で相手と距離をとって自分を守ることを優先し、相手を見ないようにして拒絶するようになる。

そうしないと自分が成り立たなくなってしまうから。

そして、相手を拒絶する気持ちは負のオーラと一緒に伝わり、相手も自分を避けるようになる。

相手は自分の鏡なのだ。

そのうち、お互いに向き合おうとも思わなくなり、ただ心の距離だけが遠くなっていく。

自分を気にかけてくれる人はいる

心を閉ざしているとき、攻撃されていることだけが気になるから、自分を気にかけてくれている人がいることを忘れる、というか見えなくなる。

自分を守るためことしか考えていない自分は、そういう人にさえも攻撃的になり傷つけてしまう。

親切心から気にかけてくれた人からすれば、突然の攻撃に遭い、ムダに傷つく。

もうこれ以上、近づくのはやめよう。
そういう態度なら、自分一人でがんばってね。
そうして欲しいんだよね。

と相手からそっぽを向かれてしまう。


心を閉ざせば通信手段がなくなる

心を閉ざしていても、本当は相手に理解して欲しい。蔑ろにしないで欲しい。という本音はちらほら顔を出す。

でも、何かのきっかけで「自分は理解されていない」、「大切にされていない」と感じて、それ以降いっさいの自分の心を閉ざすと、それ以上相手とは繋がることはできなくなってしまう。

相手とのコミュニケーションという通信手段がなくなってしまうのだから、もう詰みしかない。

そうなってしまったら「やはり自分のことは誰もわかってくれない、大切にされない。」と、さらに強固に心を閉ざすようになっていく。

自分からはじめる勇気

たしかに、人から傷つけられると悲しいし、苦しい。
そういうものから自分を守りたくなる。

でも、相手とのコミュニケーションを拒絶してはいけない。
だって、本当は、相手に自分のことをわかって欲しいのだから。

わかってくれなくてもいい、とか、どうせわかってもらえない、と拗ねたところで、自分がそう意識しているということは、どうでもよくないことなのだ。

傷ついてもなお、自分から心を開いてみる。
自分から相手に話しかけ、誠実に向い合い、機嫌よくコミュニケーションをとる。
相手からの行動を待っていないで、まずは自分からはじめてみる。

そうすれば相手に「私をわかって欲しい。だからあなたのことも教えて」という感情が伝播して、距離が少しずつ近づいていく。

相手にわかって欲しいという自分の欲求に気づけば、自分のやるべきことは自ずと見える。

自分が変われば、相手も変わる。
命の使い方として、拗ねたり、自分の欲求に蓋をするのはもったいない。

そして何よりも、身近な人と心を通わすことができないなんて寂しすぎる。
対立したり、嫌われてもいいんだ。
それでも、相手と繋がろうとする努力をやめてはいけない。

相手は変えることができない。変えることができるのは自分自身のことだけなのだ。

だから、まずは自分から。
勇気をもって相手と向き合う一歩を踏み出してみる。

心を開けば、私を取り巻く世界も時に優しく、時に厳しく私に話しかける。
心を閉ざせば、私を取り巻く世界は静かに沈黙し、私を拒絶する。

私を取り巻く世界を変えられるのは、私なのだ。

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