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たまには下を向いて歩こう

上を向いて歩こう、という歌があります。
大好きな歌です。

中村八大さん作曲、永六輔さん作詞。

坂本九ちゃんのオリジナル・バージョンもほのぼのとしていて好きですが、RCサクセションがカバーした上を向いて歩こうもいい味を出しています。特にライブでの演奏はホーンセクションも入って、ソウルフル。

この「上を向いて歩こう」という提言は、世のさまざまな表現作品で形を変えて取り上げられてきました。

メジャーなタイトルはおそらくすでに誰かが紹介しているはずなので、カルトなところから…

桂正和先生の不朽の名作『ZETMAN』のひとコマ。

『ZETMAN』1巻245ページより

この人物が誰で、どういうシチュエーションでこのセリフに至っているか、というようなことを語り始めると朝まで生テレビになってしまうので、ここでは割愛します。

が、1巻の幕引きにふさわしい名シーンです。この次のページ、そして最後のコマはいつ見ても涙腺やられます。ZETMANで泣くのはおそらくぼくぐらいではないでしょうか。大きなお世話です。

辛い時こそ顔を上げる。地べたに希望は転がっていない

漫画史上に燦然と輝く名言ですね。まったくその通りだと思います。

さらにカルトなところから…

渋谷直角先生原作『デザイナー渋井直人の休日』テレビドラマ版。渋井さん役を光石研さんが演じています。光石さんはキャリア40年目にして初のドラマ単独主演。こういうエピソード好きです。勇気がもらえるね。

最終回『渋井直人の休日』から paraviで配信中

横田真悠ちゃん演じるメグミはペルーからやってきたハーフ美女。彼女のお店に下心満点で足を運ぶ渋井さんに、おばあちゃんとの思い出を話します。

中でも遠く離れた日本でひとりで頑張るメグミちゃんにとって、おばあちゃんのこの言葉はまるでおまじないのような効能を持っているそうです。

「悲しいことがあった時は、顎をおヘソから離しなさい」

なるほど~とかいいながら実演する渋井さん。ただ、メグミちゃんはペルーから東京に来るときにおばあちゃんからもらった木彫りの人形をなくしてしまいます。それを聞いた渋井さんは…と紹介していると朝まで踊ろうモンキーダンスになってしまうので割愛します。

悲しい時は顎をヘソから離す

これも上を向いて歩こうのアレンジ版といえますよね。とにかく、辛い時、悲しい時は顔を上にあげよ、という教えは儒教が好きな日本人のマインドにフィットするとともに、ポジティブ思考を実践する具体的アクションの提示でもあるわけです。


徹頭徹尾私事で恐縮ですが、この夏、3年間にわたり携わってきた短大での社外招聘講師の契約が無事満了を迎えました。

最初は1ショットだけ、ちょっとしたゲストスピーカーのつもりでお邪魔したのですが思いのほか反響がいただけて、じゃ秋も、ついでに来年も、みたいな感じで気がつけば3年間もお手伝いさせていただけました。

テーマがキャリアデザインだったのですが、教えるどころか学ぶことのほうが多く、非常に得難い経験ができたと思っています。

で、毎回思っていたことがあります。

それは、短大生たちがみんな「私には夢がない」「やりたいことが見つからない」「何が向いているのかわからない」と口を揃えて言うのです。

ぼくはいつもそれを聞いて、ううむ、と唸ると同時に、わかるなあ、と共感してもいました。

ぼくにも夢がないからです。

コピーライターという仕事をただひたすらやってきた。それは夢ではなく生業でした。

やりたいことは、駆け出しのうちは大きな仕事、メジャーな広告をつくりたい、と思っていたけれど、一人前に近づくにつれ、いやいや俺にはあんなものは作れないぞ、とやりたい意欲が雲散霧消。

向いているかどうかで言えば、間違いなく向いていませんでした。だからいまこんなんなっちゃってるんですけど。

前職が大きな組織になって、あちこちでコンフリクトを起こしていく中で、代表から「ハヤカワさんは何がやりたいの?」と何度も聞かれました。でも答えられなかった。だってやりたいことなんかないもん。

45歳で渋谷のベンチャーに転がりこんで、そこでも社長から「ハヤカワさんの夢は何?」といつも聞かれていた。「やりたいことは?」と。

それがいつも、しんどかった。

夢なんかねーよ。
やりたいこと?目の前の仕事で精一杯だよ。
もっと仕事のレベルを上げないと。

そんなふうに、思っていました。

ないとダメなんですかね、夢。
やりたいことを定めてそこに向けて努力する。
そうしないと成功しない。
それってホント?

そんなふうに、ひねくれてもいました。

だから短大生たちが口にする「夢がない」「やりたいことがない」「何が向いているかわからない」にとても共感していたのです。


以前のnoteで、新しく会社の仕事で広報をはじめた、と書きました。

ところがこの広報の仕事をやりながら、ふと気づいたことがあります。

ぼくの所属している会社は小さな事業を複数展開しているので、広報はそれぞれの事業責任者と今後の事業計画について結構しっかりと話し込むことになるんですね。

そうすると、どの事業責任者も一生懸命に将来像を描こうとしているのが伝わってくる。事業のこと、組織の未来、メンバーの成長…聞いているぼくも思わず身を乗り出すほど熱く語ります。

その様を見て、ああ、そういえばそうだったな、俺の仕事って誰かを応援する仕事だったよな、と。

企画を含めたコピーライティングで、依頼主のやりたいことを叶える。それは時に組織活性化だったり、採用活動だったり、商売繁盛だったり。

それがぼくのそもそもの仕事なのだ、ということを広報という新しいミッションに取り組むことであらためて思い出した。

そこで

あ、俺にも夢があるじゃん、と。

夢を叶えたい人の夢を叶える、という夢。

誰かの夢の実現を支援する、という夢。

それがぼくの夢です、と、はじめて言葉にして言えるようになったのです。

夢っていうからつい大きなもの、遠くにあるものを想像していたけど、意外なところにあった。身近に落ちてた。足元で拾えた。灯台下暗しとはよくいったものです。

そしてこれは、上を向いて歩いてばかりじゃ、見つからなかったことかもしれません。

たまには下を向いて歩くのもいいんじゃないかなあ、なんて。

もしかすると夢だけじゃなくて、幸せみたいなものも、あんがい足元に落ちていて、気づかないだけなのかも知れませんね。

ご愛読ありがとうございました。次回作にもぜひご期待ください。

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