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【広告本読書録:025】仲畑貴志全仕事

広告批評の別冊① 天野祐吉・島森路子 編 マドラ出版

まんをじして、という言葉がある。たいへん気に入っていることばである。なんかこう、ただごとじゃないようで。「まんを」の段階でかなりのことだな、と構えてしまうのだがさらに「じして」とくる。これはあなた、そうとうの覚悟が必要ではないか、と身を堅くしてしまうのである。

その、まんをじすときがきた。
まんをじして、取り上げるのが、この『仲畑貴志全仕事』なのである。たぶん、おそらく、次回かその次ぐらいにふたたびまんをじするときがくるのだが、一応、いまの時点ではこの『仲畑貴志全仕事』こそ、まんをじして、ということばがいっとう似合う一冊なのであります。

いま密林で検索したら、在庫切れですってよ。古本屋さんでしか入手できなさそうね。値段は、いくらぐらいなんでしょうか。ちなみに1983年7月20日発行で定価1000円です。

コピーの神様と呼ばれた少年A

この広告本書評も25回を迎えており、おそらくとってもマニアックな世界の人にしか読んでもらえてないと思うので、いろいろ余計な説明は必要ないとおもうけど、でも一応、前説的な感じで仲畑さんのことを。

仲畑貴志さんは言うまでもなく日本を代表するコピーライターです。糸井重里さんと二人でコピーライターブームを創った立役者。多くの、本当に多くのフォロワーを持ったスターコピーライター。現在はほぼ、ほぼ日の人となった糸井さんとは違い、あくまで活動領域を広告・ブランディングにとどめ、いまでもコピーライターであり続ける北極星のような存在です。

仲畑さんといえば「やんちゃ」なイメージがあまりに有名。京都の極道だったといわれていますが、おそらくは半分ぐらい、ご本人が意図してブランディングされているのではないかと睨んでいます。

知性のあらわれかたが、まだまだ学歴偏重だった時代に、腕っぷし一本で戦っていくには、そういったキャラ設定が必要だったのではないか。ぼくはそんなふうにおもっていますし、そうであればこそ、さすが仲畑さん、とさらに尊敬の念を深められるからです。

そのブランドゆえに「広告はケンカだ」などの名言や打ち合わせの途中で怒って帰った、なんていうエピソードがたくさん残されていますが、ぼくはぜったい、仲畑さんは孤独で、寂しがりで、弱虫で、気は優しくて、力持ちなんだとおもいます。後半ドカベンです。

もちろんそんなふうに仲畑さんをリスペクトというか、半ばカリスマとして崇め奉っている人たちは広告業界内外に数多く存在し、最近では『コピーの神様』と呼ばれることも。長らくTCCの会長を務められていたこともあり、いまだに広告の現場に大いなる影響力をもっておられます。

ではなぜ仲畑さんはこんなにも多くの広告人、コピーライター、その他表現を生業にしている人の心を捉えるのでしょうか。『全仕事』に収録されている数々のコピーを見ながら、考察してみましょう。

広告コピーに人間味を与えた男

仲畑さんは高校卒業後、京都で建築設計の会社に就職します。しかし時をおかずして退職。グラフィックデザイナーの友人に聞いたコピーライターという仕事になろう、と思い上京します。もちろんそんな簡単にコピーライターになんかなれるわけもなく、相当苦労なさいます。

有名なエピソードとして語り継がれているのが3~40社ほど受けて、さんざん試験を落ちまくった挙げ句ようやく内定の連絡をもらったにもかかわらずその後とんと音沙汰なくなった話と、ズブの素人だけに作品がなくて、代わりに新聞広告のキャッチの部分を切り抜いて裏から紙を貼り、そこに自作のキャッチを書いた疑似広告(?)をたくさん作って持参した話。

苦労されてます、若かりし日の仲畑さん。しかし、ある日、ようやく日本広告社に職を得ます。よかったよかった、とならないところがまた仲畑さんらしいのですが、せっかく入った日本広告社を9ヶ月でクビになる。つぎがボア。ここは6ヶ月目でケンカして辞めて、ハイ次、ナショ研。今度は3ヶ月。お次はNCS。日本クリエイティブシンジケートって会社で、1年半。そしてようやくサン・アドへ。ここまでが下積み時代といってもいいでしょうね。

その間の3年弱で仲畑さんはコピー作法をいったん確立されます。この『全仕事』にも掲載されている、英会話教室の「ベルリッツ」の広告でTCC新人賞を受賞。1968年ですから日本広告社時代でしょうか、ボアでしょうか。

とにかく駆け出しといっていい時期にすでに新人賞を獲得しています。

「この夏が過ぎれば あなたは英語で 寝言をいうかも 知れません。」

ぼくはこのベルリッツのキャッチが、仲畑さんの作品の中で最も好きなコピーだと言っても過言ではありません。英会話スクールに通うことで得られるベネフィットをここまで夢のあるストーリーに昇華させるなんて、すごい。そんなふうにおもうのです。

キャッチとしてはやや長めのこのフレーズの中に、仲畑さんのいわくいい難い優しさ、みたいなものを感じませんか?この時すでに、人間味がにじみ出る広告づくりの原型のようなものができていたわけです。

ここからしばらく表舞台から姿を消す仲畑さんですが、サン・アド移籍後は破竹の勢いというか水を得た魚の如く、大活躍なさいます。

品田チェックと星野チェック

サン・アドで仲畑さんを待ち構えていたのは、当時、クライアントとの連絡係であり、後のサン・アド社長になられる品田正平さんです。いや正確にいうと仲畑さんとは入社後半年目ぐらいから部署を同じくするようになったので待ち構えていたわけではないんですけどね。

とにかくこの品田さんのコピーチェック、通称「品田チェック」が業界でも有名なほど厳しいものだったそうで。

もう書こうが書こうがみーんなペケね。バサッとボツ。これはもうすごかった。なんにも言わずにゴミ箱行き。で、それが何回かあったあとで、初めて彼の手が引き出しに伸びるわけ。すっと開けるとそこに赤鉛筆がある。そこからやっと、一つひとつのチェックが始まるの。

こう回想するのはもちろん仲畑さん。駆け出し時代のぼくは、まだ本物のコピーチェックを知らなくて、ああ、そういうものなんだな…俺もいつかはそういう厳しいコピーチェックを受けて、一流になりたいな。なんておもっていました。いまおもえば本当にバカだなと。

そのおよそ1年後に、ぼくは「品田チェック」ならぬ「星野チェック」の洗礼を受けることになるのでした。

「星野チェック」…もう時効なので本名を出しても構わないかとおもうのですが、いまのぼくをつくってくれたもうひとりの恩人、星野さんの主宰する『東京星野事務所』に入ったのは22歳になったばかりのころ。詳しい経緯やそこで何が起こったのか、についてはまた別の場所でお話するとして。

とにかく「星野チェック」が厳しかった。ボツ、ボツだ、ボツね…100本書いても500本書いても全部ボツ。ボディコピーというか長文は提出した原稿が真っ赤になればまだいいほう。ひどいときは呼びつけられて立ったまま3時間説教、なんてことも。

もちろん悪いのはぼくのほうで、社長は当然の指導をしてくれたまでのことです。ただ、本当にきつかった。接続詞ひとつに何日もかけて、最後は「木を見て森を見ずだ」と文頭から全て書き直したり。修正の意図を答えろと言われ、回答するとすべて「違う」と否定されたり。あげく最終的には一番最初の回答が正解だったり。

当時のぼくは、その広告の受け手はおろか、広告主のことも、間に入る代理店のことも、デザイナーのことも、一切頭になく、ただひたすら社長がOKしてくれることだけを目標にコピーを書いていました。OKが出ることを「許してもらえた」と言っていたことからも相当精神的に追い込まれていたことがおわかりいただけるでしょう。

これはつらい。

ただ、ある日、あることがあってから、ぼくは「星野チェック」から卒業することになります。でもそれは仲畑さんが品田さんに「きみはもう見せなくてよろしい」と言われたのとは違い、実力が認められたわけではなかった。そのあたりのこともまた別の機会でお話しましょう。

とにかく、仲畑さんのもともと持っていた才を磨き、輝かせたのはサン・アドという会社であり、品田正平さんのチェックによるものでしょう。おそらく「品田チェック」に磨き上げられた時期のコピーで、ぼくがいちばん好きなのはサントリーオールドのシリーズ広告のうち、この作品です。

「神様が飲んだ1/5」

若いウイスキーを樽に寝かせておくと、15年ほどで1/5ぐらいなくなるそうです。それを庫人たちは「神様の飲み分」と称している、というエピソードをベースにボディコピーは展開します。全文紹介したいほどの名作ボディなのですが(もちろんキャッチもキレがあって素晴らしい)せっかくですからみなさんにも古本屋めぐりをしていただきたく、ぜひ本編はこの『仲畑貴志全仕事』を手にいれ、P58 に収録してあるコピーを堪能してください。

東の糸井、西の仲畑

冒頭でも書きましたが、当時、仲畑さんと糸井さんに川崎徹さんを加えた3人がコピーライターブームを産み、育て、牽引していました。川崎さんは正確にはCMプランナーなので、純粋なコピーライターは正に仲畑&糸井。そしてこのふたり、仕事上でも私生活で仲が良かった。よく一緒にバンドやったり飲んだりしていたんだそうです。

群馬県出身の糸井さんと、京都出身の仲畑さん。まさに東の糸井、西の仲畑というわけ。そして当時のコピーライターブームには多少の誤解のようなものも混じっていて、それを上手くつかって炎を大きくしていたのは糸井さんでした。その結果「不思議大好き!ゴーゴー!」「コピー一行1000万円!ガポー!」(広告大事典より)みたいな風評が立ったりして。でも彼らはそれを愉しんでいたようなところもありました。

そうした世間の風向きもあってか、とかく軽佻浮薄というか、ふわふわ楽しそうに仕事しているイメージが定着しつつあったコピーライターですが、その実態はやはりハードで。特に精神的に「くる」仕事だったりします。

ある日、仲畑さんは糸井さんとしゃべっていて「パーになりかけた」そうです。急におかしくなって、その場はなんとかとりつくろって家に帰った。そうしたら糸井さんが心配して電話をかけてきて「大声で泣けばいい」って言う。仲畑さんは泣こうとおもって布団の中でやってみたけど、これがなかなか泣けなかったんですって。

次の日、ふと気づいたら、パーになる直前に書いたコピーがSONYのカセットテープのポスターだった。

「大声で泣けますか、センパイ。」

あれ、まあ、って感じですが、このときのことを仲畑さんは自分の内なる血とか欲望とか、そういういろんなものがコピーを書かせている、ということに気づいたと後日述べておられます。

このコピーもぼくの好きなラインナップに入っている一本ですが、実はこの流れでSONYはカセットテープやビデオテープ(あのベータですよ!)のテレビCMもシリーズで展開していて。これがまた個人的には涙腺にくるので紹介します。

「大声で…」の翌年の作品になるんですが、テリー・デサリオの歌う「オーバーナイト・サクセス」に乗せて、夢見る若者を描くスポットCMです。

「僕はスターだ、と僕は僕に言う。私はスターだ、と私は私に言う。」という一本目。「有名人になると言ったら、みんな笑ったけど。」という二本目、三本目。まさにオーバーナイト・サクセス。これももちろん、仲畑さんのコピーです。

ぼくは有名人になりたかったわけではありませんが、なんとなく心情が理解できるというか、おもいっきり共感できるコピーと世界観です。いま見ても鼻の奥がツーンとなります。「人間、ほとんど負け組」という考え方をベースにした仲畑さんならではの、あったかいコピーです。

ベストワンを選ぶなら

どうしても素材が仲畑さんになると、筆が滑ってしまいます。ま、とにかくこの『仲畑貴志全仕事』、仲畑さんの最初期から脂の乗ったころ、83年ぐらいまでの作品が網羅されているので、読み応えバツグン。コピーの参考書としてはこの上ないクオリティの一冊であることは間違いありません。

欲をいえば、ボディコピーも読みやすくピックアップしてもらえると良かったです。一部作品のは抜き出してあるのですが、いかんせんほんの少しで。どうしても印刷の都合、あるいは広告サイズの面からボディコピーが読み取りにくいんですよね。そして仲畑さんはキャッチも強力ですが、ボディが美しいんです。「品田チェック」の賜物ですよね。

あと、さらに欲をいうと、もう少し作品解説のようなものがあると嬉しかったです。この「広告批評の別冊」シリーズは仲畑さんが第一弾だから、仕方がないといえば仕方がないのかもしれません。というのも第二弾の糸井重里さんからは随所に解説が入るようになるからです。

とはいえ、資料としては充分。逆に読者ひとりひとりが思い思いの解釈で仲畑ワールドを愉しめばいいんじゃないか、という気すらします。

さらに仲畑貴志論が面白い。野坂昭如さん、鈴木志郎康さんはもちろん、異色なところで坂本龍一教授、あと、糸井さんを見出した広告界の仙人、黒須田伸次郎先生がすてきなコラムを寄せています。もちろん品田正平さんも。このあたりはぜひ、本書を手にとって読んでほしい。

さて、いろいろと申し上げてきましたが、この『仲畑貴志全仕事』に収録されている作品の中で、ぼくが最も優れている、いや甚だ個人的な感想ではありますが、いちばん好きなソニー、ダイナミクロンのキャッチコピーを紹介して、終わりにします。

「黄色い歓声の黄色って、どんな黄色だろう。」

ぼくの記憶が正しければ15歳のころ、このキャッチに出会っています。そして最初に広告文案というものを意識したのも、このキャッチからです。つまり、仲畑さんが手掛けた岩田屋のコピーの通り「私は、あなたの、おかげです。」なのですね。

(まんをじしておしまい)

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