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感性の成長

カメラという機材を使って、心の赴くまま作品を作っている自分にとって
個展を開いたり、作品を発表すると
よく聞かれることがある。。。

同じ場所で同じものを見ても、見えてるものが違うんですね?
どうしたら子供たちにこういう教育を与えられますか?
と。。。。。

よく自分の育った環境や 親がしてくれた環境を振り返ってみたりしたが

50年も経ってやっと気がついたことがある。

それはどこか綺麗な場所に連れて行ってくれた思い出でもない
毎日の積み重ねだった。

中学生から高校まで6年間、自転車で学校まで片道50分こいで通った。
暑い日も寒い日も、小雨でも
バスで乗り継いでいけば行けるのだが、子供なりにバス代の定期の負担を考えて気を遣っていた。それは姉妹が年子で3人、母一人の稼ぎでいたから子供なりに気を遣っていた。あの頃は、何でうちだけこんなんだろう?って思ったのも事実だ。
しかし、この6年の自転車での通学は
かけがいのない感性を育ててくれた。

何かというと、毎日変わる自然の中で自転車を走らせることだ。

自然の中を毎日歩いたり、自転車乗ったり
無意識に自然界と人間を繋いでくれていた。

朝の通学は、一分一秒が大事だから 周りに気を止めてる暇はない。
がむしゃらに、自転車を走らせてた。その代わり、帰る時はのんびり住宅地や工業団地や田んぼ道を過ぎて、山が見え始める、そして大きな橋の前まで来ると
そこには川と目の前にいつもそこに変わらずある山が!
そこで、一度自転車から降りて 草の上に大の字になって空を見る
雲の動きを楽しんでる。。。
風がどちらから吹くと、こぎずらい。。。とか感じながら
自然界の変化と共に生活ができていたのだ。

この川縁で山に向かってどれだけ叫んだか!
10歳で亡くなった父に
「パパーーーー」って大声で泣いて叫んだか

でもこの山は毎回変わらずそこに いつもあった

山の色合いは季節でうんと変化していったのだ。
桜が咲く頃、薄いピンクがポツポツと山の中に、それが過ぎると草も山も明るい緑に。。。。秋になると黄色や茶色に変わっていく姿

川も河口で海に近いから風も違ってくる。

川に飛んでくる鳥たちも名前は知らなかったが、よくみていたし鳴き声を楽しんでいた。
休みの日には隣町の倉敷までよく美術館に行って、本物の美術品を鑑賞していたが

この毎日の自転車での通学が
長年 日々自分の感性を成長させて植え付けてくれたものだと今になって思えた。


それはこの年齢で撮影の時に何を作品に残したいか?自分に問いただしたときに
この思春期の頃に受けた毎日の無意識の影響があったと思い出した

すでに孫がいる年齢で我が子の子育てはうまくいったのか?それは自信がないが
今子育てしてる人たちに聞かれて
自分の体験を話すことは 大事だな。。。。と

勉強とかと違って感性はどう育てるのか?
すぐに身につくものではなく、長い年月の中で体に染みていくもので自分の魂の叫びから出てくるものだと。

きっと今の時代特に子供自身に歩いて毎日一時間くらい通わせる親は少ないだろう。相当の田舎でないかぎり

学校帰りに今なら ススキや髪に引っ付いて撮れない草や寄り道しながらそれに触れるだろう。
雨の日、お迎えに行かないで一人で傘をさして帰ると雨の音がるんるん音楽に聞こえるかも。。。水溜りが鏡の世界に見えるかも?
どこを歩くと風がきついか?きっと知ることにもなるだろう。

何か特別なことを教育でやる必要はない。
しかし現代、特別ではない生活がなかなか難しく 親が勇気が出ないのかもしれない。
経済力がないからどこかに連れていったり、習わせたりできないと嘆く親もいるだろう。。しかし、資金を使わなくても目の前には 足元には大地があり地球の上にいて
気がついてないだけで、当たり前に劇場のように変化する自然があるのだ。

チンアップという英語がある。

ただ顎を上げるだけでいい。。。
それだけで空はみれ、空気の流れも見え 光も感じる

長い入院生活の中でも 
窓からほんの少し見える空を見るだけで気持ちは晴れてくるものだ。

特別なことはない
今すぐできることが目の前にはたくさんあることに気がついてくれたら幸いである

写真作家 hakuより

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