ハイパーカジュアルゲームという「来るべき未来」

”Instagram”が好きです。

「映(バ)える」なんてフレーズも、もうこすられ過ぎてバえない昨今ですが、それでも正方形に切り取られた画像に発信者の美意識を感じられます。華やかなものを発信しようとする工夫自体が好きです。

さて、そんなインスタですが、よく広告にカラフルでグニャグニャしたものが跳ね回るミニゲームっぽいムービーが流れてくると思います。

インスタを愛用している人なら一度は見たことあるあのゲーム。スマホで一発ネタ的なゲームを簡単・直感操作で遊べて、しかも無料。

それが「ハイパーカジュアルゲーム」です。今日はそのあたりを仮学(仮説を立てて妄想して学んだ気になる)していきたいと思います。

そもそも”カジュアル”ゲームって?

まずは「カジュアルゲーム」というフレーズ。実はけっこう前に存在していました。ゲーム業界で出始めたのは、任天堂のWiiが発売されて少し経った頃。

Wiiの爆発的ヒットの理由はもちろん、「Wii Sports」を代表とするその直感的操作とゲーム性が「お茶の間にゲームを」という、ゲームの市民権獲得が大きいです。「Wii Fit」ブームも懐かしいですね。

この頃、この「直感的」「簡単操作」といった、今までのコンシューマではあまり開拓していなかったゲームのあり方が根付いてきます。このゲームスタイルが「カジュアルゲーム」と呼ばれていました。

もちろん、DSの頃からもタッチペンという操作が直感的ではありましたが、2画面という特殊な環境もあり、DSならではのコアな遊びやエデュケーション系が中心となっていた感じがします。世にいう「脳トレブーム」ですね。

そんな中、カジュアルゲームという存在はゲーム業界の需要としてWiiを元に広まりました。普段ゲームをしなかったカジュアル層の獲得が成功したからですね。

が、その後Wiiはその独特な操作性によりゲームクリエイターを泣かせ、これといったスマッシュヒットに恵まれず、ゆっくりと需要は縮小していきます。さらにカジュアル層はもともとゲームが好きなわけでは無いため、Wiiが飽きられていってしまったんですね。

そんなこんなで、カジュアルゲームというものは、いったん身を潜めます。

電話でゲーム?

さてブームも一息ついた頃、iPhoneなどスマホが一気に普及しはじめ、それに伴いゲームをしない層が再びゲームを求めていきます。ほんの5分、手軽にスマホで時間をつぶしたい。

そんな需要と相まって、「直感的」「簡単操作」なカジュアルゲームがヒット!まさにスマホにぴったりだったんですね。そして、現在に至るわけですが、カジュアルゲームよりもさらに『ゆるい』ハイパーカジュアルというのが出てきます。

「直感的」「簡単操作」に加えて「シンプルな欲求を満たす」という要素で成り立っていると思います。このシンプルな欲求とは、梱包材のプチプチをつぶすような、あの何となくやってしまう行為ですかね。

ゲームをプレイするというより、体感を一口味見するようなつまみ食いを楽しめるゲームとしてヒットしていきました。

コンシューマゲームなら要素の一部でしかないようなシステムを、それだけを面白くコーティングしてプレイヤーに遊ばせる、というゲーム性。

まさに「つまみ食い」。

小学生から定年間近のジェントルまで、人類みな慌ただしい現代、ゲームを長時間するのは困難とされるようになりました。さらにコンテンツの細分化、コンシューマゲームの開発費高騰、それに伴うフルプライスの高騰。

ゲームが高級料理となり始めている状況で、まさにジャンクフード、いや駄菓子というべきかな。ちょっと味を楽しみたい…。そんなカジュアルゲーム、ゲームの面白さではなく、むしろ世相と環境で売れたジャンルというのは感慨深いですね。

制作コストも低く、今では3Dゲームエンジン「Unity」があればプログラミングやモデリングの知識も最低限で完成させることも可能になってきました。この点も見逃せない要因です。

時は金ナリ。

ということで、クリエイターサイドから見てみてると。

スマホのマネタイズ(収益方法)についても、ゲームを買うのではなく無料で出来る代わりに、課金や広告の視聴で制作者が収益を得るスタイルになり、クリエイターとプレイヤー双方がお金も時間もまさにカジュアルにゲームを享受できるようになりました。

とくにフリートゥプレイ(基本無料ゲーム)がスタンダードになった携帯ゲームでは、プレイヤーも広告を見るだけで課金は必要ありません。課金を中心とした、ゲームを有利に進めるためのお金も発生しない。手軽に遊べて、手軽にハマれるんですね。だからハイパーカジュアル。

プレイヤーはお金の代わりに時間を払うという構図ですが、考えてみればテレビの民放番組もこの「無料で楽しめる放送を、スポンサーのCMで補っている」という仕組みがゲームにもしっかり組み込まれたわけです。

私のようなファミコン世代から考えると、子供の頃1年に2~3本買えたら良かった頃から考えると、ゲームが無料で無限にあふれる時代が、たったの数十年で来るというのも感慨深いです。

あなたの遊びのサイズは?

もし、ビッグマックが無料で食べられる時代が来たら?

もし、ハリウッド映画を無料で観られる時代が来たら?

もし、人気マンガを無料で読める時代が来たら?(←来ちゃって大問題に)

ゲームは、その遊びのサイズを変えて無料で毎日遊べる時代が来ました。

コンシューマゲームの高級料理化については、むしろゲームマニアとしてはこれこそが幸せです。だってお金さえ払えば死ぬほど楽しいゲームが遊べるわけですからね!!

そこに、プレイヤーの選択肢が広がり、そしてすべて楽しさと遊びが根付いている、それを1つずつつまみ食いできるのが幸せです。

ゲームについては、この遊びのサイズを選択できる、という時代が来たことが素晴らしいと感じますね。

あらゆる条件が重なり、ゲームはさらに仕組みから進化したといってもいいかもしれません。そこには、技術とメディア、そしてゲームの根本にある「遊びたい」という強い欲求があります。その端的な進化を、サイズの変化さえありましたが、このカジュアルゲームに見たような気がしました。

ビッグマックのピクルスなら、1枚無料で食べれる時代が来るのかな。


【はこ森】

※編集後記※

子供の頃、買ったファミコンが楽しいかどうかよりも、買ったからには死ぬほど遊んでやろうという気概で遊んでいたように思います。

自分に限ってですが、ゲームに対する重みというか、良かれ悪しかれゲームの価値が軽くなっていくのを感じます。

これは、ゲームに飽きたとか、つまらないと感じているわけでは無く、この娯楽飽食の時代にゲームは戦う相手がとてつもなく増えているからではと思います。

実際、休みの日はゲームの他にやりたいことが10~20個あって結局寝ながらモンストです(結局復帰)。

でも、本妻はやっぱりコンシューマゲーム。


ああ一生ゲームばっかりやってたい…。

最後まで読んでいただきありがとうございます!ゲームという存在を、プレイするだけでなく感動の共有が出来るツールとして盛り上げていきたいですね。スキ、フォローなど大変励みになります。また、読んでいただければ幸いです!