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甘酒の歴史 -発酵の基本知識-㊵

甘酒の起源

甘酒の起源には諸説ありますが、古くは中国の一晩で出来る酒、「醴斉(こせい)であったと考えられています。

日本では、日本書紀に登場する「醴酒(こざけ)」とされ、古墳時代から飲まれていたという説があります。醴酒の醴という字は、漢和辞典で「あまざけ」と表記され、紀元前1000年頃には、酒といえばアルコールを含まないものを指し、神に捧げるものとして作られていました。

反してアルコールを含むものは、人が飲むものとされ、漢(弥生)の頃になって、アルコールを含むもの、含まないものの両方を「酒」として呼ぶようになりました。


甘酒は蒸した米に麹を加えてから数時間で発酵してできることから、「一夜酒(ひとよざけ)」などとも呼ばれていました。


麹の発明は世界最古のバイオビジネス

平安時代になると貴族の間で広まり、室町時代に入ると庶民へと浸透するようになります。このころにはまだ砂糖が生成されておらず、当時としては大変貴重な甘味料となりました。当時、既に麹を作りだす技術が確立されており、麹の元となる麹菌を扱う種麹屋が出現します。この種麹屋は、「世界最古のバイオビジネス」と呼ばれ、顕微鏡も当然ないこの時代に高い技術を習得していたことになります。

また、この頃既に日本酒醸造の際の火入れ技術があり、低温殺菌による発酵止めが行われていました。


甘酒は江戸時代の栄養ドリンク

江戸時代になると、甘酒は一気に庶民の間に広まっていきます。

また、「甘酒」の名で文献に登場するようになったもの江戸時代に入ってからでした。

夏の滋養食材として当時も鰻は人気でしたが、庶民には手が届かず、「金持ちは鰻、庶民は甘酒」ということわざがあり、江戸の庶民は甘酒を利用していました。

当時、年間で最も死亡率が高かったのは7月から9月の間の夏であったため、滋養が豊富な甘酒は大変な人気を博しました。

空調もない時代で、現代でたとえるならば熱中症のようなものにかかる人も多く、下水設備も不十分であり、栄養も十分に取れないような高齢者や乳幼児、体の弱い人たちは夏を越す事が出来ずに亡くなる人たちが沢山いました。

そんな中、甘酒を江戸で売りに歩く商人が登場します。

もともと、酒蔵は仕込みの秋から冬、新酒が出回る春位までが最盛期ですが、夏の閑散期には甘酒を造って売りあるいていました。

当時の書物にもこのことが記されており、絵師である喜田川守貞が、当時の庶民生活などをイラストのようなものと説明文で解説した「貞守漫稿」に甘酒売りが登場しています。

甘酒は当時の値段で一杯四文。現代の価格で一文が平均30~35円位と考えられていますので、120円から140円位の計算になります。


甘酒は夏の時期には特に人気が高く、重要もあったため、甘酒の価格が高騰しないように幕府が売価上限を定めていたという記録も残っています。

もともと甘酒は、冬の季語だったとされていましたが、いつの頃からか、これらのことから、甘酒は「俳句の夏の季語」にかわり、当時の江戸の頃から現在もそれは続いています。

また、豊富に含まれる酵素を利用し、酒席の前に飲んで悪酔いを予防する効果があると武士の間で広まり、酒の前に甘酒を飲むことは武士の作法、たしなみとして広まっていきました。


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