AIの学習と子供の学習 ~ 素人考え
AIが「リンゴ」を判別できるようにするには、数万枚の画像を学習させる必要があるそうです。
ところが人間の子供は、ずっと少ない数を見るだけでリンゴを見分けられるようになってしまいます。
なぜ人間は少ないサンプルで見分けられるようになるのか、というのはまだ結論が出ていないそうです。
先日、you tubeチャンネル「コテンラジオ」の構造主義の話を聞いていて、ふと考えつきました。
・言葉は境界線である
コテンラジオのこの回は構造主義の話。
私が気になったのは、本論に入る前の前フリで言語について語る部分です。
私はこれまで、リンゴをリンゴと認識するのは、
「リンゴの実体に、リンゴという名前のラベルを貼る」
という感覚で考えていました。
しかしソシュールという言語学者さんは、名前は境界線だというのです。
簡単に言うと「リンゴという名前は、イチゴ、レモン、ネズミ、カラスのようなリンゴと対立する(リンゴではない)ものと、リンゴを区別している」とのこと。
一つのものに貼り付けられたラベルではなく、「ここから内側はリンゴ」という枠を示していると考えます。
・AIの学習と人間の学習
ここからは、素人の想像です。
AIと子供の学習効率の差は、名札方式と境界方式の違いではないでしょうか。
AIの学習は、原則として名札方式です(私が知っている段階では。今はもう違うかも)。画像を見せて「リンゴであるかリンゴでないか」を判断させ、正解・不正解の判定を繰り返して学習させます。
一方の子供。
境界型の言語構造を持っているとすれば、子供がすでに知っている言葉にもそれぞれの境界が存在しますね。その境界は、新しいものの学習でも働くはず。
子供がリンゴを見た瞬間、頭の中で
「イチゴではない」
「レモンではない」
「ネズミではない」
「カラスではない」
と、知っている言語との境界線が作動。幾多の境界線がリンゴを取り囲み、リンゴという言葉を定義するのではないか…という想像。
子供は知っている言葉を学習に援用できるため、AIよりも速く学習できると思ったわけです。
どんなもんでしょうか?
本当のところは、学者さんたちが解き明かしてくれるまでわかりませんが。
知ってる人いたらツッコんでください。
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