ひきこもりの姉と、部屋
なんでこの町の、この部屋なの?と私が問うたびに、姉はこう答えた。
「この町は静かで、前の庭の緑がきれいなのよ」
彼女の部屋の目の前にある、打ち捨てられた古くて広い家の庭は、どの季節も鬱蒼と緑をたたえていた。
広い東京のことだから、他にも緑が見える手ごろな部屋はある。10万円近くする家賃にも眩暈がした。山手線のターミナル駅から伸びる私鉄沿線の、何の特長もないベッドタウンにある、アパートともマンションともつかない建物の小さな部屋に、なぜこだわるのか。私には分からなかった。
でも、話が進むたびに、彼女は「価値観が違う」「言葉が通じない」「私を見下すな」「住む場所で仕事を紹介してもらえない」「あんたは世間知らずのくせに」と、豹変しながら声を荒げた。
そんなときは、私はいつも「あの冬」のことを思い出しながら話すのをやめた。
この数年、派遣の職が定まらない期間、彼女はひどく情緒不安定になるようになっていた。年々それはひどくなった。それはそうだろう。明日の自分を、仕事を、お金を心配する日々で、健全にいられるはずがない。
そんな時は、荒んだ姉から母への電話は鳴りやまず、深夜には何スクロール分もの呪いのようなメールが送られた。色々な言葉で。
「自分がこうなったのは、お母さんが借りさせた奨学金のせいだ。」
毎夜、憔悴するほど責められて、辛そうな母の声を聞くたび、少しでも姉を安定させられないかと、私は気を揉んだ。収入がないのであれば、もっと安くて適当な部屋にうつって、正気になるのを待つことはできないのかと。
でも、どんな正論も、彼女の前では空に消えていった。
あの夜の黒いものが、脳裏をかすめる。
指先まで冷え切る、真っ暗闇の師走の夜
リーマンショックの後、徐々に姉の音信が途絶えていった。
その年の12月29日、東京から帰った足で、意を決して彼女が働いていた地方都市の部屋に、母と二人で行ってみた。
去年の今頃は、実家でぬくぬくと半纏を着てストーブにあたり、「貿易の仕事がしたい。英語を使うキャリアがいい。外資に行きたい。私は結婚なんてしないで働くんだから。研修もない1つの会社でずっと働くなんて出来ない。」そんな言葉を強気に言っていた彼女のことを思い出しながら、クルマを走らせた。
当時、小さなベンチャーで働き始めて、経営をかじった気分でいた私は、姉に会う度に、
「もう何年も派遣で来ているけど、派遣は雇用の調整弁。不景気になったら、一番に切られる。」
「保障が手厚く解雇しにくい正社員で働いたらどう?辞めるなんていつでもできるんだから、履歴書に正社員の履歴を残すことを優先して。」
「やりたい貿易事務じゃなくても、仕事以外で楽しみを見つけてる人もいるんだから、大丈夫だよ。次に正社員に誘われたら、よほど嫌な仕事じゃなかったら受けてみたら?」と薦めては、
「ご飯がまずくなる。そんな話しないでよ」と、彼女を怒らせた。
でも、その年の夏ごろだっただろうか。
彼女が、経理の正社員採用を乞われて、試用期間中だという話を聞いた。
「あんな仕事ができない人達しかいない会社に定年までいるなんて考えられない!私頑張らなきゃ。」そんな生意気なことを言いながらも、頑張っている様子を毎日母に電話していると聞いて、ほっとした。
明るい未来がやっと来る、これからだ、と。
就職氷河期を引きずりながら、姉は少しずつ色褪せていった。器用でない分、コツコツまじめで、負けん気の姉はそれでも、頑張っていたと思う。
地方の大学を出て以来、よくわからないけれど、3ヶ月から半年と、本当に色々な職を転々としていた。メーカーの事務派遣、生保の営業派遣、輸入雑貨店の貿易事務派遣、色々と会社を変えながら、まかないがつく料亭のお運びを掛け持ちしたりもしていた。ある時は、派遣を辞めたいと探し出し契約社員で通っていた輸入を扱う小さな会社に朝行ったら、給与不払いのまま倒産夜逃げされたこともあった。男性社長に採用をチラつかされて、ひどい目にあわされそうになったこともあったと、後から母から聞いた。姉は足掻いて、いつも派遣に戻っていた。
なんで、こんな目に合うんだろう。
私以上に、ずっと彼女が思っていたんじゃないだろうか。だから、やっとの思いで、かき集めたプライドと一緒に握りしめていた職業への憧れを横に置いて、幸せになろうと手を伸ばすのが怖くて、時間がかかったのかもしれない。
でも、事態はリーマンショックで激変した。
正社員採用は、チャラになった。
あっけなく。
今、姉は、どうしているのだろう。
神様。
年の瀬の夜更け、やっとの思いで着いた彼女のアパートの部屋は全て電気が消えていた。彼女の中古車もまんじりとそこにいた。電気メーターはピクリとも動いてない。あれ?電化製品ゼロなことないしな。
電話をしつこく掛け続ける。
やっとつながる。
「今年はこっちで過ごすって言ってんだから!電話すんな。ほっといて!」
金切り声で、すぐに切られた。
何かおかしい。
2階まで駆け上がり、母の合鍵を回す。
ガチャリ。
チェーンが音を立てる。
何で来てるのよぉぉおお―――――――――ぃいゃぁああああぁあ――――――――――――ぁああああ
部屋の暗闇の奥から、
聞いたこともない叫び声が飛び出した。
その後に、罵詈雑言が延々と続いた。
見ないで。何来てんのよ。キチガイ。帰れ。ここは私の部屋だ。入るな。帰れ。ふざけんな。お前たちのせいだ。触るな。どっかいけぇぇぇ――――あぁぁあ――――
どうやって部屋に入ったか覚えてないけれど、暗がりの中、罵りながら暴れ続ける姉を毛布でくるみ、後部座席に放り込んだ。軽かった。暴れて痛かった。
いつも化粧をして、キレイにしていた気丈な姉が、電気もつかない物だらけの部屋で、指先まで冷え込む師走の闇の中、きっと数日間も、じっと何を思っていたんだろう。
あぁ、神様。
年老いて小さくなりかけた母と、言葉もなく、息も白くなる寒さの中で、必死でクルマに乗せうる限りの荷物を積みこんだ。そして、エンジンをかけ、延々シートを揺らす後部座席からの足蹴の振動と、カナギリ声を聞きながら家路についた。
これから、私たちはどうなるんだろう。
実家の玄関に下ろした姉は、毛布を引きずり、わき目も降らず鬼の形相で、雪崩れ込むように自分の部屋に駆け込んで鍵を閉め、呪いの言葉を叫び続けた。
疲れ切った母と私は、重い体を引きずり、やっとの思いで床に入った。
朝、目を開けると、玄関に運び込んだはずの姉の荷物は跡形もなく部屋に運び込まれていた。
この部屋の中にいるんだ、あの黒い塊が。
そう思った。
母と朝ごはんをどうにか食べて、親戚の軽トラックを借り、姉の住んでいた街に走らせた。そして、年末気分だった不動産屋に着くや否やたたみかけるように懇願した。
「リーマンショックで本人は仕事を失い、お金もなく、身体もココロも崩した。もう家賃の支払いができない。無理は承知だが、悪いが今日で契約終了させてほしい。迷惑をおかけしますが、今日中にすべてを片付けますから、お願いします。」
幾らかのお金を払い、どうにか契約を終了させ、その足で姉の部屋に。
洗濯機から電子レンジ、冷蔵庫、ありとあらゆるものを汗だくで運び込んだ。冷え切りった部屋を掃除もした。どうやったんだろう、もう覚えてもないけれど。逃げるように年の瀬で混み合う街を離れた。
実家に戻ると、私は泥のように眠っていた。
母はいつもの年のように、正月の準備をした。
疲れていただろうに。
そして姉のいない、正月が過ぎていった。
時折、連れ戻した私たちを呪う叫び声が、扉の奥から響いた。
正月も明けて、私は後ろ髪を引かれながら、仕事のある東京に戻った。
それから1年、彼女はひきこもった。
家族がいるときに部屋から出てくることはなかった。
思い出したように、呪いの言葉で家中に黒い空気をまき散らした。
昼夜逆転し、夜の中で過ごしていた。
母は、全ての罵詈雑言を受け止め、向き合い、ボロボロになっていった。
東京に戻った私は、仕事に救われた。
早朝深夜、週末出勤当たり前のベンチャーの忙しさがちょうど良かった。
何も考えない、日々が続いた。
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姉は、就職氷河期の真っ盛りに社会に出て、壊れた。 でも、それはきっかけでしかなかった。 心配していた対象が、どす黒く変質し、その後醸成されてきた無敵の人は、 もう別物でした。家族のことは家族で、は無理です。