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チョコチップマフィンの行方

さる12月、なかなか心の調子が戻らない時期があった。
暗いところを行ったり来たりして、調子が良かった自分を捜す日々が続いていた。

仕事を早めに切り上げ、どうしたものかと優れない心境をノートに綴っても、一向にもやもやは晴れない。
部屋から遮光カーテンの隙間を覗く。まだ外は明るい。

そうだ、チョコチップマフィンを買いに行こう。

使い古した革のショルダーバッグを提げ、日暮れ前の街へと繰り出した。

近所のパン屋で売られているチョコチップマフィンは、初めて食べた時から私のお気に入りだった。
申し訳程度などという言葉がみじんもない、存分に味わってと言わんばかりのチョコチップがもりもり主張している。チョコの味自体もカカオがしっかり感じられ、生地はほろほろとしていてバターがきいている。値段は130円ほど。

他のパンも一つひとつ、ハンドメイドのアクセサリーのように個性派が揃っている。
たまにふらりと訪ねては趣向を凝らしたパンを厳選して買うのだが、どうしてもチョコチップマフィンが食べたくなり、別のパンを泣く泣くディスプレイに戻すのがしょっちゅうだった。

うっすらと淡い水色とピンクの断層に覆われた空の下、外套を着込んでパン屋を目指す。すれ違う人たちは皆足早に去っていく。例年なら根雪になっていてもおかしくない頃だったが、むき出しのアスファルトがいっそう寒々しい。

一直線に伸びる坂道から燃えるような夕日を望みながら、高台のマンションの一階にあるいつものパン屋の扉を開く。
手前にディスプレイされていたモンブランのデニッシュにふらふらと足が向くが、心の中できっぱりと断りを入れ、入口右手の焼き菓子類のコーナーを目指す。

その日、チョコチップマフィンは赤と深緑の紙カップに彩られ私を出迎えてくれた。お菓子側の厨房に立つ女性の店員さんがにこやかに勧めてくる。天板に整然と並べられた焼き菓子は「今日もおいしく焼けてますよ」と、いつもより賑やかだけど中身はそのままだ。

季節の装いをしたチョコチップマフィンと、クッキーの小袋を買い、帰路につく。暖房がまだ行き届かないうちに、自分の机についてカフェオレとともにチョコチップマフィンを一口かじる。ぎっしりと惜しみなく練り込まれたチョコチップと、口いっぱいに広がるバターの風味は、いつも私を夢中にさせる。子どものように頬張って、気づけばカラフルな残骸が転がっていた。

チョコチップマフィンひとつで気が晴れたかといえば、そこまでの特効性はない。
けれど年末の街の気配を感じながら歩くひととき、温かな民家のように出迎えてくれるパン屋、そして何度でも食べたいあの味は、強張った私の心をいくらかほぐしてくれた。

年明けのある日、例によってチョコチップマフィンが食べたくなり、件のパン屋を訪ねた。前の日に落ち込んでいたため、自然と身体が求めたのかもしれない。

日が傾きかけた風の強い日で、首元から冷気が絶えず入り込んでくる。どんなに寒くても、食べたいから買いに行く。近所のお店だから行ける。有り難いことだ。
時間は昼過ぎで、その日は車が一台も停まっていなかった。

いそいそと焼き菓子のコーナーに向かう。アールグレイとりんごのマフィンがかごに盛られている。紅茶風味の食べ物も好きなので心が揺れたが、本命ではない。
天板には、新作のショコラマドレーヌ。おしゃれなリキュールボトルのような焼き菓子が規則正しく並んでいる。

チョコチップマフィンの姿は、消えていた。

今日は出ていないのかなと思いつつ、舌は依然としてチョコレートの気分だった。ショコラマドレーヌと、いつも天板の下に並んでいるクッキーの小袋、家族にも別のパンを1個ずつ買って店を出た。

帰宅し、飴色のドリッパーでコーヒーをドリップする。いつもは挽かれたコーヒーの香りを嗅いで堪能するはずが、私の心は消えたチョコチップマフィンにあった。

訪れるたびに新作が売られているお店だ。いつチョコチップマフィンが消えても何ら不思議はない。
バレンタインが近いので、よりチョコレートを意識した焼き菓子と入れ替えたのかもしれない。マフィンはお店でも人気の品のようで、レジ横にも2種類ほど置かれている。そこにもチョコチップマフィンはなかった。

仕方なく、ブラックコーヒーとショコラマドレーヌでおやつの時間にした。

ショコラマドレーヌは堅めの焼き上がりで、フォークを刺すとぼろぼろと細かい生地が散った。むらなく焼き上がった生地は甘さもバターの加減も控えめで、アクセントのチョコレートの破片を最後に口の中で転がすと、あのチョコチップの名残があった。おそらく同じチョコレートを使っているのだ。

マドレーヌもおいしかったけれど、コーヒーをすすりながら、やっぱりチョコチップマフィンが食べたかったといささか物足りなさを感じた。

いつでも近所で売られていて、好きな時に買えたチョコチップマフィンがなくなるとは思わなかった。あの店にとって、あんぱんやクロワッサンと等しい存在だと思っていたのに。

あのチョコチップマフィンに、もう一度出合える日は来るのだろうか。次にお店を訪ねた際、店員さんに聞いてみよう。
もしかするとバレンタインが終わった頃、何事もなかったかのように再会できるかもしれない。半透明の素朴な紙カップに包まれた彼らが再び天板に並ぶのを心待ちにしてのは、私だけではないはずだ。

いつも私を待っていてくれたチョコチップマフィンは、とてもささやかだけど、やはり私の元気の源だったのだ。

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