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誠意とは、できる・できないを等しく明示すること

誠実な人と聞くと、どのようなイメージが浮かぶでしょうか。

私の場合、真面目とか礼儀正しい、約束を守るというのがおおよそのイメージです。

誠意はそれが態度に現れた状態といえますが、果たしてそれだけが「誠実」「誠意」でしょうか。

どんな人にも分け隔てなく接する人がたまにいます。
その姿勢は誠実、誠意がこもっているのには違いありませんが、私にはとてもできません。

なぜなら、私の誠意は「できない(したくない)こと」もはっきり示すからです。

コメントにまつわる「軽い事故」

最近、noteのコメント関係でいくつか迷惑なものがありました。

ひとりは、記事の内容に触れず自分の話したいことを勝手に喋る人。
とりあえず「勉強になりました」程度に返信したら、さらによく分からないコメントを勝手に付け加えてきたのです。

語尾の涙を流しながら大口開けて笑っている絵文字を見た瞬間、一連のコメントを削除してその人をブロックしました。

noteは決して思慮深い人ばかりではありません。的外れなコメントをする人間がたまにいます。
軽い事故だと思って、「あなたの相手は一切できない(したくない)」という意思表示を込めてのブロックです。

もうひとりは、やはり私の記事内容にふれず、自分の記事の宣伝だけをしてきた人。

創作大賞に応募している記事を読んでもらいたい気持ちは分かります。
ただ、一言でもこちらの記事にふれてくれたら印象が違うのに、と残念な気持ちになります。

一応その人の記事に目は通しましたが、宣伝目的でコメントしてくる人を善い人間とは思えない、とはっきり返信しました。
特に反論がなかったため、どう思ったかは分かりません。
というか、知らんがな。

いやな人に好かれるより、嫌われたほうがまし

私がこのような態度をとるようになったのは、息子と母子通園していた通所先で、ある親にひどく腹が立った経験からです。

その親はあるとき、後ろに私の息子が来ていたのに、教室を出るとき引き戸を勢いよく閉めたのです。
危うく息子は挟まれるところで、けがはありませんでした。

しかし私は配慮に著しく欠けているその親に全身が沸騰し、人目をはばからず罵倒し(本人に直接言った訳ではない)、相談員の先生に別室でなだめられたものです。
さながら、子に危険がおよんだときの母ライオンでした。

以来、その親とは距離を取るようになり、あちらも「怖いね~」と自分の子どもに言ったり、トイレに居合わせたときも何か言ってきました。

何せコロナ禍でトイレットペーパーを買い占めたと笑いながら話すような人間です。
どう思われても、心底どうでもいい存在でした。

そんな人間にも優しくしている、別のお母さんが同じクラスにいました。
その人こそが「誰とでも分け隔てなく接する人」の見本でした。
クラスのまとめ役を務めていたのもあり、平等に接していたのかもしれません。
それを抜きにしても、娘さんに「しろくまちゃんのほっとけーき」を読み聞かせながら、同じようにホットケーキを焼いてあげるような親御さんでした。

その人とはある程度親しくしていましたし、尊敬の念を抱いていました。
ただ、前述の親が無邪気にその人と接し、それに快く応じているさまを端から見ていると、正直思ったのです。
いやな人に好かれるより、嫌われたほうがましだと。

自分の能力不足を正直に明かす

人間関係だけでなく、自分が満足にできないことを相手に明示するのもまた「誠意」だと私は考えています。

人はつい、その場の流れでできるか分からないことを「できます」と言ってしまうことがあります。

やってみないと分からない、という前向きな気持ちからくる答えならまだいいです。
ただ、前もって「満足に応えられないな」「これには精通していないな」と自覚している事柄は、できない・もしくは精通していないとしっかり伝えます

「どうせ無理だし」とはなから投げやりな心境なのではありません。
その状態なりにできることをできるよう、本を読んだり考えを巡らせます。

これを半端な状態のまま「できます」と言ったり、もしくは不透明なままにしているのが、厳しく言うと不誠実だと個人的に感じます。

その代わり、できることは自信をもって、もしくは心を尽くすと表明する。
それが「誠意」ではないでしょうか

決意と覚悟

角を立てないよう、すべての人にむやみに優しく接するのが誠意とは限りません。
それは依存だったり、いわゆる「他人軸」になっている可能性があります。
かつての私はそうでした。
そのほうが結局、ぞんざいに、もしくは都合よく扱われるのです。

気のない人に気を持たせるのは、誰でも不本意でしょう。
そもそも、自分が思うほど他人はほかの人のことなど考えていません。
自分のことで手一杯なのです。
ましてや、ネットの世界はよほど良好な関係がない限り、ほとんどは「他人の他人」です。

だから私は、違和感や不信感が残ることは自他ともに、きっぱりと明示し、ときに黙って処理します。

誠意には「誰にでもいい顔をしない」決意と、「どう思われてもいい」覚悟が伴うのです。


※ヘッダー画像はみんなのフォトギャラリーからお借りしました。ありがとうございます。


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