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もぐらは思いやりのある人に憧れる

最近心身のバランスを崩し、自分の調子を客観的にみて、ふと「もぐらみたいだな」と思いました。

怒りのトリガー

私が決まって調子を崩すパターンがあります。
そのうちのひとつが、息子に感情的になってしまった時です。

今週、息子に自分の飲み物をこぼされ、激しく怒ってしまいました。

飲み物をこぼされるのは、どうも私の怒りのトリガーになっているようです。
息子が幼い頃はしょっちゅうで、感情的になっては息子を怖がらせ、その後で「私なんかが母親だったら○○(息子)がちゃんと育たなくなってしまう……」と自己嫌悪に陥っていたものです。

最近は頻度も減っていたのですが、先週は息子が風邪で保育園を休んでいたため、一緒にいる時間が長く、知らずのうちに溜まっていたストレスが溢れかえってしまったのかもしれません。

息子は泣きながらごめんなさいと謝り、私も息子を保育園に送ってから布団にくるまり延々と泣いていました。

以前なら自己嫌悪ばかりに囚われていました。
今回はただ息子を怖がらせたのが悲しくて、やはり息子の成長に影響をきたしたら、という不安が脳内を支配していました。

電話で保健師さんに話を聞いてもらい、帰ってきた息子を抱きしめて謝り、幸い仲直りできました。

息子は私と違い、感情の切り替えがとても早い子です。
それでも、放課後デイサービスで取り組んでいるプリントで「かなしいきもち=おかあさんにおこられたとき」と書いているのを何度か読んでいます。

子どもと向き合う以上、全く怒らないことはないし、親も人間ですから時に感情的になってしまいます。

その分私は育児ノイローゼの頃から、息子に怒ってしまった後は必ず抱きしめて謝るようにしています。
不出来な母親なりの、精一杯の接し方です。

地面から太陽を見上げる気分

息子の件に限らず、感情的になった後は何日か心身のダメージが続きます。

私の場合、主にこのような症状が出ます。

  • 食欲不振

  • 無気力

  • ふいに悲しくなり涙が出てくる

抑うつ状態に近いのでしょう。胸の内側がズタズタ、もしくはただれた感じになるのです。

こんな時、何となくnoteやTwitterを開くと、他の人たちの何気ない投稿がひどくまぶしく見えます。

さながら、地面からひょこっと顔を出して、頭上高く輝く太陽をぼんやりと眺めるもぐらの気持ちです。

こういう日は、返信など最低限のことをチェックしたらSNSを開きません。

他の人が妬ましいとか、そこまではいきません。
ただ、一時的に地上の光に慣れていない感覚に陥って、地下に潜るイメージなのです。

どこかで別の誰かも、もぐらの気持ちになっているのかもしれない

人間誰しも、調子のいい時と悪い時があります。

私がのんきに馬鹿なことを喋っている時、どこかで別の誰かは何らかの理由で落ち込んでいるかもしれない。
怒りに身を震わせているかもしれない。
はたまた、羨望や妬ましさに囚われているかもしれない。

そんな時、私ができることはほとんどありません。

これは以前の記事で言っていた「機嫌の悪い人には絶対負けない」ということではありません。
(この真意は、「機嫌の悪い人はろくなことを言わない。平気で人を傷つけるようなことを言う。だからそんな人の言葉は絶対信じない」です)

本気で傷ついている人に、生半可な言葉はかけられません。
身近な人であれば声をかけられますが、SNSであればそっと見守るか、せいぜい労りのスキを送る程度です。

書いていて、無力だし、臆病だなと思います。

さりげなく優しくできる人に憧れる

私が不調の際は、しばらくSNSを休む場合のみお知らせをして、プライベート以外では表面上黙っていることがほとんどです。

冒頭の息子の件でダメージが残っていた日、とりあえずnoteの閲覧だけしていました。
いつもお世話になっているくーや。さんのコメントを読み、思わず涙しました。

くーや。さんは日常の心の動きや人とのつながりをとても大事にされていて、イラストや音声配信からも温かいお人柄が伝わってくる方です。
好きなものが色々似ていて、そこから交流が深まりました。

その時のやりとりは大仰なものではありませんでした。
ストレスが溜まっている程度の話しかせず、くーや。さんもいつも通り、ほんわかとした労いの言葉をくれました。
その優しさがひび割れた心にしみたのです。

さりげなく優しくできる人。
人生の中で幾度となく、そんな人に助けられてきました。
夫もそのひとりで、私よりもずっと思いやりのある人です。

自分なりの思いやり

自分が思いやりのある人間かと聞かれると、はいと言える自信はありません。
傷つくと自分のことで手一杯になって、心の穴蔵に閉じこもってしまいます。

思いやりのある人に憧れながらも、どうすればなれるんだろうと、やはり頭上を仰ぎ見るしかありません。

ただひとつ言えることは、家族を始めとする身近な人たちの心に寄り添い、真摯に向き合う。

そこにきっと、もぐらみたいな私なりの思いやりが生まれるのだろうと思います。


※ヘッダー画像はみんなのフォトギャラリーからお借りしました。ありがとうございます。

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