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【灰澄さんと話そう#12】恐怖を解剖する試み①Jホラー編

こんばんは、灰澄です。
顔面がとても良くなりました。最高。

noteがメインコンテンツだったんじゃないの?
毎日毎日、ギター弾いている時間に記事が書けたんじゃないの?

はい。

なんか、考え事が多くて考えがまとまらない、という私には稀有な状態になっていまして。記事にしたいテーマは色々浮かぶので、下書きにはメモを残すんですが、その先が進まないんですよね。
ギターを弾いてる間は考えごとが減るので(必死だから)、暇さえあればつい手にとってしまいます。

それはそれとして、今日は「ホラー」についてのお話です。

あちこちで書いている気がしますが、私はホラー作品が好きです。といっても、得意なわけではなく、結構ビビりなので、暗い部屋に一人で観るのはちょっと……て感じではあるんですが。

いや、でも最近は見慣れてきてわりと無表情で見られるかな。でも、いわゆるジャンプスケアが苦手で、「ビビらせポイントくるぞ……」みたいな待ち時間はイヤです。

ホラーの何が好きか、あるいは怖いか、というのは人それぞれですよね。今日はそのあたりについてつらつらと考えてみようと思います。

記事が長くなりそうだったので、Jホラー編とハリウッドホラー編で別記事にすることにしました。今回はJホラー編です。

余談ですが、先日投稿した文芸雑談ラジオ動画をとても気に入っているので、良かったら覗いてみてください。

日常における死との接し方などについて色々語っております。
めっちゃ楽しかった。

【ラジオ#01後編】文芸雑談「喪の儀式・日常と死」


Jホラーは怖くない?

ハリウッド版『呪怨』が制作されたときのインタビューだったと思いますが、「欧米人は身体的な脅威が無いと怖がれない」みたいなことを監督か誰かが言っていたのを読んで「へぇ」と思った覚えがあります(全てが曖昧な記憶)。

なるほど、「Jホラー」の始祖たる『リング』では、直接的に人が傷付けられる場面は無かったように思います。
その後、相次いで登場した『着信アリ』、『仄暗い水の底から』、『輪廻』、『クロユリ団地』といった作品でも、主な脅威は「呪われる」というもので、突然事故が起こったり、自殺を促されたりすることで危害が及ぶことがあっても、ヴィランたる悪霊(等)が直接的に身体的な危害を加える、という印象はありません。
新しめの作品である、『残穢』、『犬鳴村』では多少、暴力的な加害が描かれたとも言えそうですが、直接的に身体を攻撃されたとは言い難いでしょう(『来る』、『事故物件』は作風が特殊で一緒くたに語れない気がします)。

そうした観点から言うと、『呪怨』は異色作といえます。ハリウッドホラーほど露骨じゃないにしても、わりと身体的に危害を加えてくるので。
それであっても、ハリウッド版を製作するにあたっては、その部分を殊更強調したということなのでしょう。

では、Jホラーは怖くないのか、といったら、そんなことはありません。
むしろ、ハリウッドホラーは平気だけどJホラーは観られないという人も多いのではないでしょうか。


何が怖いのか? ―後ろめたさと共感が際立たせる恐怖

初期(『リング』のヒットをJホラー黎明期として)のJホラーはミステリー仕立てになっていることが多いです。

【起】怪奇現象が発生する⇒【承】恐怖が伝播する⇒【転】恐怖の根源を解明して供養する

ざっくり言うと、こういう作りです。【結】については、後ほど言及します。先ず注目したいのは、「【転】恐怖の根源を解明して供養する」の部分です。

往々にして、恐怖の根源を解き明かすと、真相には不幸な出来事や不遇な死があり、それが怨念の根源になっている、ということが分かります。
主人公が同情心や正義感に駆られたり駆られなかったりしながら、その無念を晴らそうとしたり、理解を示そうとしたりすることで、「供養」という形を以て呪いを解く、というのが多くのJホラーに共通する展開です。

つまりは、脅威・恐怖であるヴィランには、そうなってしまうに足る悲劇や不遇があるのです。
そこに、同情心や、罪悪感を覚えることで生まれる、ある種の「後ろめたさ」がJホラーの肝ではないかと思っています。
もちろん、単純にビジュアルが怖いということもあるんですが、あれはずっと見ているとそのうち慣れます(主観)。

これは何も新しいことではなく、日本の怪談に共通する仕組みです。
『番町皿屋敷』『お岩さん』、『牡丹灯篭』といった怪談には、「うらめしい」理由があり、そこに思い当たる節があるからこそ無視できない恐怖を感じるのです。

「それは呪っても仕方ないかもしれない」「恨みに言い返すことができない」という意識が働くと、恐怖に繋がるということですね。
怨念に納得してしまうと、恐怖が増幅するとも言い換えられます。

このように、Jホラーの恐怖は身体的な脅威ではなく、精神的な「負い目=後ろめたさ」が肝になっているのではないかと思います。

さて、それはそうと、個人的に、Jホラーについて非常に不満に思っていることがあります。

先ほど言及したJホラーの起承転結における【結】の部分です。

多くの作品で、「【転】恐怖の根源を解明して供養する」により、呪いは解かれた、これで現世を彷徨う気の毒な魂は解放された、と思った矢先、「【結】やっぱり解けてませんでした」とばかりにヴィランが再来し、人が犠牲になる、という展開がとにかく多いのです。

そういう展開を見ると、「そこに直れ貴様、恩知らずが」という心境になり、恐怖よりも怒りが上回ってしまします。
精神性の部分で恐怖を感じていただけに、その精神に迫力がなくなると恐怖の対象ではなくなってしまうんですよね。結局、気の持ちようが確かな人間が強いというか。

どんな悪霊であれ、「知らんがな」という気持ちになってしまうと、もう怖がれないように思います。

Jホラーの新兵器 伽耶子ママというカリスマ

いやいや、理不尽でも怖いよ、という声もあると思います。それもまた分かります。
当人が理不尽さに振り切っている、「理不尽であるということに筋が通っている」とそれはそれでまた別の恐怖になるのだと思います。怖さよりも怒りが勝つのは、理不尽というより、道理の欠如であると言った方が正確ですね。対話不可能な呪詛は、やはり脅威です。

それに該当するのが『呪怨』です。最も怖いJホラーの一角として、名前が上がる作品ではないでしょうか。

『呪怨』の作品冒頭でこんなテロップが出る演出があります。

じゅおん【呪怨】つよい怨みを抱いて死んだモノの呪い。 それは、死んだモノが生前に接していた場所に蓄積され、「業」となる。

この作品の肝は、ヴィランたる伽耶子ママが、幽霊というより「呪いそのもの」になってしまった存在だというところにあると思います。
もはや生前の記憶や執着や人格はなく、近づくもの(家に入ったもの)全てを手あたり次第に呪い殺す装置になってしまっているわけです。

交渉も、邂逅もし得ないので、供養もできません。ただ家に入ったというだけで、どこまでも追いかけてきて襲うという、まさに「理不尽」であり、そこに落ち度や負い目の有無は関係無いのです。恨めしさなどではなく、加害欲求そのものなんですね。
実際、伽耶子ママの加害は、「呪う」という漠としたものではなく、首を折るなどの直接的な暴力を伴います(あえて言うなら、「呪い殺す」でしょうか)。

「本当は聞いて欲しかった」みたいなムーブがあって、それが供養された上で「やっぱり恨めしい」みたいなことだと「根性叩き直してやろうか」と怒りが湧きますが、最初から没交渉であることが明示されており、「触れてしまったら最後」の理不尽で襲われると「確かに触れちゃったしなぁ」と納得してしまいます。

納得の所在という意味において相手に利があると、「襲うもの / 襲われるもの」という関係が固定してしまうように思います。


これからどうなるJホラー

私は映像作品業界の人間でも月刊ムーの編集者でもないので、今後のJホラーの見立てに信頼できそうな予見を述べることはできませんが、恐怖エンタメの仕組みに、ある種の飽和が生まれているような気はします。

「こういうのは怒りが上回っちゃう」と例示したような作品は、やはり社会にある程度の余裕が無いと恐怖として機能しないように思います。

今日現在の世の中がまさにそうですが、色々な現実の脅威や悲劇に精神をすり減らし、皆んながどこか必死な様相で生きていると、「知らんがな」で一蹴できる程度の恐怖に、怯える余裕が無いのです。

新しめの作品である、『残穢』、『事故物件』、『犬鳴村』、『来る』などでは、共通して「忌」・「穢」という要素がありました。理不尽で没交渉なシステムは、知らない間に触れてしまうかもしれないという不安感があり、後ろめたさや共感がなくとも恐怖として成立します(「忌」・「穢」に触れてしまったと自覚することは後ろめたさの一種かもしれません)。

「そんな不幸で人を呪うなら、俺 / 私 / あの人 / この人だって大変な思いしてますけど!?」という気持ちになると、説得力のあるホラーにはならない、という仮説を支持するなら、こうした時代の恐怖は、「理由も正当性も無く、どんな人間にも降りかかる脅威」という形に収斂していくように思います。
そうした災禍は、事故や災害がそうであるように、文脈の無いところから突然発生するものだからです。

そういうわけで、今後のJホラーについての見立てとは言わないまでも、恐怖の在り方として、怨念や悪霊というより、自動装置のような呪いそのものが描かれることが多くなるのではないでしょうか、というのを個人的な所感として述べて、結びとさせて頂きます。

終わりに

いかがでしたでしょうか。

【灰澄さんと話そう】でまとめている記事は、基本的に書きながら考えているので、自分でもどういう結びになるかが見えていません。

人の考え事を覗いて、つらつらと雑考する材料や、暇つぶしの読み物と思って頂ければいいなと思います。

今回はJホラー編ということで、邦画ホラーのみを引き合いに出して語りましたが、続編として、ハリウッドホラー編も書く予定です。どちらかというとそっちのが主題かも。

では、今回はこんなところで。
また次回の記事でお会いしましょう。


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