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シシ神の首の正体 #HNKS02



こんにちは、配送あるあるです。

最近、スタジオジブリが作品の場面写真を提供したことが話題になりましたね。

私はジブリがすごく好きで、この夏映画館でジブリ4作品が上映されることが決まったときは、テンションが上がったのを、よく覚えています。

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もののけ姫と千と千尋を映画館で見ました


そこで今日はたくさんあるジブリ作品の中でも、特に一番好きな「もののけ姫」について話していきたいと思います。



ザックリあらすじ


まず「もののけ姫」のあらすじをざっと話すと

舞台は、中世の日本。村の少年のアシタカは、突如村を襲ってきたタタリ神を討伐することに成功するが、その代わりに右腕に呪いを受けてしまう。その呪いを解くため、その猪の軌跡をたどり西へ向かう。その中でシシ神とその森の存在を知り、歩を進めるなかで山犬に育てられた少女・もののけ姫と出会う。さまざまな出来事に巻き込まれるアシタカが、自分の信念を持ち続けながら、森と人間、両者が共生する道を探る。

このような展開で物語は進んでいきます。


大好きな作品なので、子どもの頃から数えきれないほど見ているのですが、何度見ても驚かされるのは、その「映像美」と「メッセージ」です。

まず、「映像美」。その一枚一枚のシーンの絵の美しさ、それを引き立たせる音楽の迫力はもちろんのこと、今現在も何の違和感もなく、この作品を見れていること。そこに一番衝撃を受けます。

この映画が公開されたのは1997年。まだ私が生まれる前です。

今よりアニメーションや映像の技術も発達していない時代に、この映画が当時の人々の目にどう映ったのか。「もののけ姫」が発するメッセージは当時の社会に対してどのように映ったのか。その時代にリアルタイムで見れなかったことは非常に残念ですが、想像するだけでも鳥肌が立ちます。

そして、「メッセージ」。個人的に映画をはじめ、さまざまな芸術作品を見るときに意識しているのは、「その作品が発しているだろうメッセージ」です。作者がその作品に対しどんなメッセージを込めて創ったのか。その作品から伝わってくるイメージや細部の表現、題名などを見て「この作品はきっとこういうことを伝えたかったのではないか」というのを勝手に勘ぐるのが、作品鑑賞の醍醐味だと思っています。それが作者の意図に沿ったものであるとか、正しいとかは正直関係なく、自分勝手に「作品のメッセージはこうだ」と決めつけ受け取ること。

それが芸術の一番楽しい部分で、自分の人生を生きる力につながると思ってます。


そういう視点で「もののけ姫」を見た時、私は「地球の環境問題」に対するメッセージを強く受け取りました。

「人間がいかに自分たちのためだけに自然を破壊し続けているか」

「どれだけたくさんの生き物の住処を奪っているか」

それを自分たちが持つアニメーションという技術を使い、表現した作品なんだと思いました。

さまざまなシーンからそれを受けとったのですが、特に象徴的だったのは

「シシ神の撃ち抜くシーン」

です。

ここの一連の流れを振り返り、それぞれのシーンが持つ意味について考察していきたいと思います。



シシ神の首を撃ち抜く



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①この森の命の根源であるシシ神の首は「不老不死の薬」になるという伝説があり、それを知ったジコ坊は、エボシを使いその首を撃ち落させる。アシタカ、サンはそれを防ごうとするが無情にも首が飛んでしまう。

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②首を失ったシシ神は自分の首を取り戻すため、シシ神自体が森、もののけ、人間を蝕み、命を吸収しながら、首の行方を追いかける。それを目にしながら首を持ち続け逃げる人間たち(ジコ坊)。

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③ついにエボシたちが住む村・タタラ場にまで、シシ神の手が届き、どんどん森が破壊され、その範囲が拡大されていく。それでもジコ坊は「夜明けになれば消える」と首を返そうとせず、逃げることをやめない。

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④ついにアシタカたちに強引に止められ、逃げ場をなくしたジコ坊はしぶしぶ首を手放し、アシタカとサンの手によって返される。首を取り戻したシシ神はその場に倒れ、消える。

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⑤首を取り戻したシシ神はその場に倒れ、消える。同時に森を破壊したドロドロたちも消え、夜明けと共にそこから新しい植物が芽生え、緑が山を覆う。元通りではないが、そこには新しい森が生まれ、コダマたちが再び宿り出す。


ということで、一部の人間が「不老不死の力を手に入れたい」という利己的でしかない最悪な理由で、この森の根源を奪い、自然、動物、はたまた人間にまで巻き込み、死なせていった、というシーンでした。このシーンを見た時同時に、この世界の人間たちが同じように動植物の住処を蝕み、森を破壊してきた、その上に自分たちの今の生活があるという事実が頭をよぎり、色々と考えさせられ、なんだかとてもモヤモヤしました。

そこでこのモヤモヤを晴らすため、今回掘り下げて考えていきたいのは、題名にもある通り「シシ神の首の正体」です。それはシシ神のモチーフはこの神様で、とかを考えるということではありません。

現代の社会に当てはめると「シシ神の首」は何に当てはまるのか、また「シシ神の首を奪い取る、そして返す」という行為はどのような行為に当たるのか

について考えていこうと言う事です。この点を今一度考えす必要があるなと思い、テーマを「環境問題」として、この記事を書くことにしました。




シシ神の首と言えるモノ



結論からいくと、シシ神の首に当たるのは

自分たち(人間たち)の生活がより豊かに、より便利になるモノ

それが自然環境を破壊していると分かっていても黙認しているモノ

と言えるのではないのでしょうか。

例えを挙げるなら、車・飛行機・船などの移動手段、火力、原子力などによる発電による電力、石油などでできたプラスチックなどの化学製品、、、、他にも家、道路ですらも、それに含まれるのではないでしょうか。

今更ですが気づいたことは

自分たちになくてはならないものが、多かれ少なかれ自然環境を破壊しているということを、私たちはすでに知っている

ということです。その自覚がありながらやめられないということも、感じました。知らずのうちに自ら「シシ神の首」を奪うことに加担し、その恩恵を少なからず享受しているのが今の自分たちの生活なんだと、それがいずれ自分の首を絞めることになるとは知らずに。

しかし、だからと言って「今の自分たちの生活を捨て、自給自足するべきだ」なんてことは、言うつもりはありません。ポルポトの原始還元主義が悲劇しか生まず失敗したように、もう電気も車もない生活には私たちは戻れないと思います。誰もそんな未来を望んでもいません。

ならば、どういうことをするのが、自然をなるべく破壊せず、今の生活を続けていけるようになるのか、ということを考えたいなと思いました。持続可能な社会と最近よく聞きますが、これからも地球をヒトが住み続けられる星であるために、自分たちにもできることはあるんじゃないのか。

それが

一度奪ってしまったシシ神の首を返すというのは、どういう行為なのか。元通りではないが、再び山に緑が戻り、新しい森ができるというのは、どういう未来なのか。

を考えることと同じではないかと、思いました。



シシ神の首の返すとは



そして、シシ神の首を返すという行為は

「さまざまな場面で自然環境にいい選択をすること」

ではないか、と考えます。それは今この瞬間からできることだと言えます。

ペットボトルを買わず、マイボトルを、ビニール袋をもらわず、エコバックを持ち歩く。少しの移動なら車ではなく、歩く。ゴミをしっかり分別し、資源として生かせる部分を増やす。化学製品ではなく、自然に分解できる製品を選ぶ。

地球に残っている資源を大切にしながら、自然に優しい循環をつくり出す。それが、シシ神の首を返すということに値する行為と思います。

大事にしたいポイントは2つ。

「なるべくゴミを出さないこと」

海洋プラスチックゴミが、今問題になっていますが、ゴミはまちを汚し、森を汚し、海を汚します。埋め立てられるキャパも限界があり、このままでは新たに森を破壊してその場所を作らなければなりません。そうならないために、「分別」をする。「混ぜればゴミ、分ければ資源」と言いますが、ゴミにしかならないものを減らしていくことが今からでもできることだなと。ヨーグルトのラベルをはがしカップと分けることも、とても大切なコトと言えるんじゃないか。


「使い切ること」

これは簡単にできるように思えて、実はとても難しいことです。着れなくなるまで服を着続けた人、削れなくなるまで鉛筆を使い続けた人は、ほとんどいないと思います。でもそれが何よりインパクトのある行為なんじゃないかと思います。ある種、物質主義からの脱却につながるからです。もったいない精神を尖らせて、使い切るまで新しいものを買わない。一生使い続けられるものを買うというのも、素晴らしい選択だと思います。


なるべくゴミを出さず、分別し、使い切るように日々選択すること、そしてそれを積み重ねていく。それが自分ができるシシ神の首を返すことなのかなと思います。

元通りの森にはならないけれど、無駄に自然を破壊することは減らせる。資源が尽きるのを遅くすることはできる。これ以上地球が汚れるのを防ぐことができる。

それが、シシ神の首を返したあとの未来であり、自分たちにもできる新しい人間と自然の共生のカタチなのではないか。


何事も、元通りを求めないことの大切さも、この映画から受け取りました。昔はこうだったからと、元に戻したところで前みたいにうまくいくとは限らない。一度別れた夫妻が、再婚してもあまりうまくいかないのと同じなのかなと、知りませんけど。極論、やってしまったもんはしょうがない。

だからこそ、森も人も、前とは違う新しい関係性を築いていくのが大事だと思いました。その姿勢こそ前進するということなのではないか。


ということで今回はもののけ姫を用いて、環境問題について考えていきました。ほんとは地球温暖化をテーマに考えようと思っていたのですが、この本を読んで考えが変わりました。

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この本オススメです

信じられないかもしれませんが、CO₂は温暖化の主要因ではなく、そして今地球は寒冷化に向かっているという衝撃の事実が書いてありました。CO₂の温室効果は水蒸気の温室効果と変わらないこと。なんなら地球温暖化は作物が育つ範囲を広げ、CO₂が多いほうが作物がよく育つこと…

また、自然エネルギー発電が自然環境を破壊しているということも驚きました。何が正解なのかどんどんわからなくなっていますが、メディアに騙されず、正しい知識を知ることの大切さを教えてもらえた気がします。



おわりに



最後に、シシ神に首を返すことができたのは、ひとえに、アシタカがいたからこそです。一度エボシの攻撃を防ごうとしたのも、もののけ姫を説得したのも、ジコ坊の暴走を止めたのも。何よりアシタカの手によってシシ神の首は返されました。

アシタカなしでは、森と人の共生する道は、持続可能な未来はない。この歳になっても、アシタカは何度見ても死ぬほどカッコイイなと、思います。ハクより好きです。

自分の意志を強く持って、周りに惑わされず、自然と人間、両方大切にする道を選択する者。それが現代を生きるアシタカです。


現代には、人間の手によって自分の住む環境を破壊されたもののけ姫や、自分の仲間のため自然を破壊して富を得るエボシ、一部の人間のためにすべてを壊すことになるジコ坊など、たくさんの人間がこの世にいます。そんな現代だからこそ、この世界にはやっぱり、アシタカは必要なんです。

NPO、NGO、国際協力、社会起業家などのいいことしてる人たちだけが、現代のアシタカじゃありません。みんなアシタカになれるのです。

世界中のみんなが、アシタカになれば物語としては崩壊しますが、世界は平和に近づくと思います。だから私は、アシタカになることに決めました。


さっそく明日から、私はヤックルを探しに旅に出ようと思います。


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