廃屋をゴミで直す
自己紹介
はじめまして。合同会社廃屋の西村周治といいます。
これは僕が住んでいる家の改装前の写真です。
僕はこんなぼろぼろの家を直すことを、ナリワイとしています。
こんな空家、たまに街でも見かけたりしてらっしゃるかと思いますが、僕はこんな建物を見るとめっちゃ興奮します。
どうやったら直せるかなと、空家の前でぼーっと空想してしまいます。
でそんなボロボロの家をですね・・
こんなふうに、がんばって直して住んでいます。神戸市長田区、丸山というところに家はあります。
僕は空家を直して、完成したら引っ越し、直して完成したら引っ越しを繰り返しています。
固定した家をもたない、ヤドカリみたいな生活をしています。
この家もほんまにボロボロの家だったのですが
1年半くらい工事して、必死こいて直しました。
生い立ち
なんで、こんながんばって廃屋を直すのか。
なぜ僕がこんな人間になってしまったのか、僕の生い立ちから、お話をはじめさせていただきます。
はじまりは中学生のとき、親がある日とつぜん、一軒のボロボロの廃屋を買って帰ってきました。
親は大工の知識はまったくのないんですが、とりあえず住めるように直せと言われて、試行錯誤しながら、ペンキ塗ったり、床をつくったりしました。なんとかその後住めるようになりましたが、その時に、手を動かして家をなおせたことがとても楽しかったです。
その後高校生になりまして、学校もあんまりいかずに、夜中にバイクを運してたら、大きな事故をおこしました
病院で寝たきりで意識もあるのかないのかわからなくて、明日死ぬかもしれないという状況でした。
あの世とこの世を反復横跳びして、生きるか死ぬかという状況だったのですが。なんとか腕にいいお医者さんのおかげで、こっちの世界にもどってこれました。
やりたいことしかやりたくない
僕がその時思ったのですが、どうせ生きることができたのだから、基本やりたいことしかやらない、やりたいことは全部やってみようと思いました。
その後、社会人になったのですが、やりたいことしかやらないから勉強はしてなくて、就職試験は全部落ちまして、もう誰も雇ってくれないので、とりあえずアルバイトを転々としました。
当時のバイト代7万円くらい、いろいろとやってたのですが、あんまりお金を稼ぐことはやってませんでした。
来月からホームレス
いよいよお金がなくなって、当時借りていたワンルームマンションを追い出されました。
僕は7万円しか稼いでないので、当時の家賃が5万円だったのですが全然払えなくなって、じゃあ出て行けとそうなりますので、来月からホームレスになるという状況になりました。
やばい、もうどんな状態でもいい、屋根があったらいい、最悪なくてもいいということで、とにかく安い家を探しました。
ちょうどそのころ、当時大学の先輩だった三宗匠さんが空家再生とまちおこしの活動(住みコミュニケーションプロジェクト)という活動していたので、その先輩に泣きついてとにかく安い家を紹介してほしいということを言ったら、めっちゃボロボロやけど安い家あるよということで、紹介してもらいました。
廃屋を借りる
借りた家は、ほんとうにぼろぼろで、天井もなくて屋根もとれかけてるような、そんなハードコアなお家でした。暑いし寒いし、壁も屋根もとれかけてるし、途方に暮れましたが、やるっきゃないということで予備知識無くDIYで建物を直しはじめました。
インフラが整ってなかったので、水道をつないだり電気をつないでもらったりして、ぎりぎり、なんとか住めるようにしました。
お風呂もつくりました。つくったというか拾ってきた風呂窯だけど!
とにかくお金がないから、ゴミや廃材をもらったりひろったりして、組み合わせて住めるようにしました。
生きるために、そのへんにあるもので直すという行為がとても楽しく、充実した毎日でした。
生きてるだけで金がかかる不思議
当時家賃が1.5万円だったのですが、お金ない僕にとってはそれでも高かったので、その直した家を、友人と3人でシェアすることで一人5000円の家賃で生活ができるようになりました。やった!
当時の家計簿のグラフですが、家賃がおそろしく安い。家計7万円の中の7%の支出で生活できる状況でした。
でも、まわりみわたすと、ちゃんと働いて生活してるけど、住居コストが高くて、あんまお金がないという人が多かったです。みんな生活費に対する家賃の割合が高いという状況でした。
ただ生きてるだけでお金がかかっちゃう、この世の中は不思議やなと思いました。。
寛容だった下町、兵庫区東出町
そのあと頑張って改装をして、いい感じに住める家になりました。いい感じになったのでいろんな人が来てくれるようになりました。
写真に写っている人は同居人なのですが、初めて僕の家に遊びにきた時に、僕と同じように住む家がないって状況になってて、その時に会ったのが初対面で、会って二回目くらいからぼくの家に住みついてました。
僕の家には鍵はついてなかったので、近所の猫、近所ののんべえのおじさん、トイレ借りに来るだけの人とか、もうだれかれかまわず入ってきて、だれが住人かわからないみたいな、カオスな状況が生まれてました。
大学の先輩だった三宗匠さんがリーダーとなって、住みコミュニケーションプロフェクトと称して、兵庫区東出町の空家に若者の移住を促進していきました。地域一帯の廃屋がどんどん生まれ変わるような動きがおきました。
みんなで町をハックして住むようなイメージです。街がどんどん生まれ変わっていきました。。
近所は下町だったので、いろんな人が住んでました。生活保護を受けて毎日釣りをしている人、毎日昼間からお酒をご機嫌に飲む人。みんな働いてるのか働いてないのかよくわからい人ばっかりやった。まぁ僕もしっかりその中のひとりだったのですが、僕たちの住んでいた街はボロボロの家ばっかだったけど、あの人は稼いでないから、あの人は生活保護だから、家族がいないから、とかなんて後ろ指さされることの無い、いろんな人がいる自由で寛容な街でした。そんな街はすごく居心地がよかったです。
強制退去、資本主義によってつくられる愛のない街
でもその豊かで楽しかった生活も、ある日突然、地上げ屋がやってきて、ここら一体を賃貸マンションにするから、全部壊しますので、でてってくれということを言われました。
地域一帯のぼくたちが直した家は取り壊され、住人は住むところを失いました。
解体されて更地になった場所に、賃貸ワンルームのタワーマンションがいっぱい建っていくことなります。
資本家がお金稼ぎを目的にした、うさぎ小屋みたいな賃貸ワンルームマンションが、ぼこぼこ建てられました。
その立ち退きにあって、地球は、というか日本の土地はみんなで使うというものではなく、土地はだれかのものであって、だれかがその権利を専有していることを知りました。
この資本主義の世の中で、まちがどういうふうにつくられているのかという現実を教えてもらいました。
建物をみんなで愛して使っていても、あっさりそれは取り壊されて、資本家が経済をまわすためだけに儲けるための装置としての新築がどんどんと建てられて、街が変わっていきました。その姿は、すごく残念に見えてなりませんでした。
そこに愛はあるのだろうか、なぜそんな愛のない街が生まれるのだろうか?
母の自死
ちょうど強制退去にあった時期と同じころ、母が亡くなりました。自死でした。うつ病を患い闘病してましたが、ある時に死を選択しました。
僕ももがき苦しみ生きているものの、社会になじめず、定職にもつくことができず、おまけに家もなく、自分の人生において死という選択肢が目の前に迫ってきて、生きることの意味を考えました。
改めてなにをしていくのか、なにをしていったら生きることができるのか、生きる実感を感じることができるのか・・
再び生きるという選択
改めて自問自答を繰り返した時に、だれも見向きもしないようなボロボロの家を、自分の手で塗ったり貼ったりして直して、みんなに使って楽しんでもらえたこともらえたことを思い出しました。
そこからまた、ボロボロの廃屋を、自分の手で直すということをもう一度始めてみました。
どんな逆境に置かれたモノや、存在であっても、かならず生まれ変わることができる、どんな場所でも豊かな生活をつくることができるはずとそう思って、活動をはじめました。
ゴミだけどゴミじゃない!
強制退去となった家は解体され、そこにワンルームマンションが建ちました。その廃材を見て捨てられていくゴミや廃材が、まだまだ使えるお宝に見えました。どう考えても使える素材なのに、全く価値がないと判断されてどんどん捨てられる状況に、すごい違和感を感じました。
これは使わない手はないと、思いました。
またマンションが建つモデルルームも、マンションが売れれば解体して廃棄されているということを知りました。そのガラスや使える建材をわけてもらい、廃屋再生に使うことにしました。まだまだ使える素材、これを使わないなんてもったいない!
いろんな人と一緒に直す
ちょっと変わった直し方をしているので、気づけばまわりに手伝ってくれる人たちがいっぱい増えてきました。
旅人、写真家、絵かき、様々な人が仕事を手伝ってくれるようになりました。
コロナで仕事がなくなった人、気が向いた時に働きたい人、お金を介在させないで0円で生活したい人とかさまざまな人が、働きたいときに現場にくるというスタイルで、気づけば今は集団で、たくさん家を一緒に直していっています。
であるとき、とある一軒の廃屋を直していたら、隣の人がうちの家を買ってくれないかという話になりました。
その人はボロボロになった家を自分で直すこともできないし、どう活用していいのかわからず困ってはったのですが、僕が隣でずっと直していたので、ちゃんと直してくれる人がいるならぜひ譲りたいということで、譲ってもらうことになりました。
空家だらけの街
じつはその場所は、周りを見渡すと、空家ばかりの場所だったんですね。
同じように空家の所有者はみんな困ってた状況だったので、このあたり一体の空家所有者から、空家を全部譲っていただくことになりました。気づけばここが村みたいな規模になっていました。
その村の建物の間には、所有権を主張するためだけの、高いブロック塀がそびえ建っていたのですが、
そのブロック塀がいらなくなったので次々と撤去していくと、狭くて薄暗かった場所が、広くて明るい場所に変わっていきました。
今、村の半分くらいを、共有する場所として畑や鶏を買ったり
共有のキッチンをつくったり、通路にベンチをつくったりしていっています。
共有することで、建物の価値が上がる
だれも入れない占有される場所じゃなくて、だれでも入れる共有地を増やしていってます。
僕は、なんでわざわざこういうことをやるということかというところなのですが、単純に今もう建物そのものに価値はなくなってきているので、空家がどんどん生まれているという状況なので、その建物のまわりの共有地にどんなものになっているか、そこに住んでいる人々がどのようにその共有地を利用するかで、その場所とその建物の価値があがっていくと考えています。
世界一の空家大国
日本の出生率の低下とともに、人口はどんどん減少していってます。
人工が減っているにも関わらず新しい建物がいっぱい建っていっているので、どんどん空家が増えていってるという状況です。
このままでは、日本は世界一の空家大国になると言われています。
今でもすでに空家問題としてニュースを騒がせていますが、空家問題は問題なのでしょうか?
僕はそれは違うと思っていて、利活用可能な資源、財産がどんどん増えているとポジティブに考えてます。
日本の空家の未来は、とらえかたで変わってくるような気がしています。
空家の格差大国
空家が増えると同時に、地方と都会の資産価値の格差も大きくなっています。
僕が住んでいる家は3800円/㎡で買ったのですが、東京の一番高いところは5360万円/㎡と、1万倍以上の価格差が生まれています。
お金の世界で、一方が豊かとされ一方が貧しいと判断されている状況に違和感を感じます。というかとても腹がたちます。
所詮、土地なんてもんは同じ土、同じ空気なんかで構成されているはずです。どんな場所でも、豊かな場所に変化しうるのではないだろうか?と思っています。
廃屋をゴミで直す
この世界には両方の存在があります。
光があって闇があります。
生があって死があります。
新築がどんどん建てられ、一方で空家が増えていってます。
製品が過剰に精算されて、一方で廃棄される大量のゴミがあります。
どちらがいい悪いでなく
この世界にはきちんとした理由があり、その「両方」が存在しています。
そのどちらの存在に「意味がある」と思っています。
どちらか一方の世界にいるとなかなか見えない対極の存在を、知ってもらいたし意味をもたせたいなぁと思っています。
世の中で、無価値と判断される廃屋やゴミ、そこにもおおきな価値があり意味があると思ってます。
だから廃屋をゴミで直す、という活動をやってます。
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