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やってんのか

いきなりだけど下ネタって難しいと思うんだよな。

嫌いとかでは無いし、場面によっちゃ笑える時もある。
ただ、なんかこれって下ネタに限らずなんだけど、その「ネタ」にウケてるんじゃなくて、それを言ってる「人を笑ってる」場合の方が多い気がするんだよな。

「笑わせてるんじゃなくて笑われてる」
って言う。
これホント何にでも言えるんだけどね。
特に芸事なんてのは。
で、大体本人は「笑わせてる」感覚なんだよな。

音楽でもよくあるんだけど、俺はリリースした際に「是非聴いてください、宜しくお願い致します」までは言うんだけど、
「聴いてください!お願いします!」は絶対言わない様にしてるのね。
同じだろと思うかもしれないけど俺の中では圧倒的に違う。
「聴かせてやってる」とは思ってないけど、「聴いて頂く」とも思ってないというか。
なんかそういう物じゃ無い気がするんだよな。

最近は歌詞を頭の中で書く事にトライしてて、
スピードは少し落ちるけど、何度も忘れない様に頭で反復することで、ラップした時にもっと気持ちが乗るかなとか思ったりして。

でもフリースタイルとは全然違うんだよね。
制作にフリースタイル入れる時は偶然が欲しい時。
「その瞬間にしか出なかったであろうフロー」とか、そういう物を求める場合のみ取り入れるけど、
今はほとんどしないかな。

頭で書くのは、結局ある程度出来たら書き出すから、あんまり大きな意味は無いんだけど、
前述の通り、その言葉の力を自分の中で出来るだけ強くしてから書き出したいみたいな感じ。

なんか最近自分を観察してて思うのは、一日中音楽の事考えてるか、聴いてるか、作ってるか。
他はホントに何も考えてない時間がちょくちょくあるぐらい。
これって音楽に全く興味無い人からしたら意味わかんないよなと。

ただ、なんか日本人って自分がどうしたいかが実は割と明確にあっても、「人にどう見られるか」の方が感情の比率を上回っちゃってるとこあると思うんですよね。

俺も前までは日本人って自己主張ねーなと思ってたんだけど、色んな人と話すと実は結構ちゃんと自分のやりたい事がある人が多い気がする。

それを外に出した時に人にどう思われるかが凄く気になっちゃうのが勿体無いんだよな。

たまたま写真やってる人と何人か知り合って、それもたまたま何故か全員女性だったんだけど。
もうガンガンやれば良いと思うんですよね。

「いや私なんて趣味なんで」とか謙遜してないで、そんな事考えてるなら「いつか個展やるならどこが良いか」とか「写真集ってどうやって作るんだろうか」とか考えた方が良いと思う。

写真に限らず、音楽も、絵も、絶対にその人にしか出せないカラーってありますからね。
それでいざ人に見せたり聴かせて理解されなかったとしても、それは「新しい」って事だと思えば良いんじゃないかな。

見た事ない色を見せられて、「これは◯色と名付けよう」みたいな感じの感想言う人よりは「何この色?」って人の方が多いと思うし。

逆に初見で「あーこの感じね👍」みたいな感想の方がキツくない?見た事ありますこれ、みたいな。

だから完全に下ネタの話どこ行ったって感じだけれど、「やってんのか、やらせて頂いてんのか、やらされてんのか」「見せてるのか、見て頂いてんのか」「聴かせてんのか、聴いて頂いてんのか」
両方感覚としては必要だけど、そのバランスをどうするかってのは結構大事な気がしてます。

最後に、ボクシングで悲しい知らせがありましたね。
ちょうど俺も観てて、物凄い試合だったから記憶に残ってて、
その後のニュースも気にしてたんだけど。
言葉が見つからないな。
心よりご冥福をお祈りします。

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