見出し画像

書道、華道、茶道、武道…

例えば、なぜ「書道教室」は「文字書き教室」ではいけないのか。

およそ道という字がつくものは、

書の書き方、花のいけ方、茶の淹れ方などを通して、

その人を映す、その人の人生が出ると言われているから道という字がつくのだというのを聞いた。

これを聞いて思ったのが、道のついていない事柄にもこれは言えるのでは無いかという事。

例えば音楽には道という時はつかない。

しかし、道を意識して、この音楽が自分/自分の人生を映していると考えると、

字面に道がないだけで、実は存在していると思う。

それは料理などもそう、むしろ日常生活もあらゆることに言える。

つまり突き詰めていくと、どのルートを辿ったとしても

「人生道」みたいな所に行き着くのでは無いかと思っている。

俺の場合、プライベートの自分とHAIIRO DE ROSSIをなるべく違いが無いように

あまり大きく分けないというのは何故かずっと心掛けてきた。

それは多分人によって分けたほうがいい人と分けないほうがいい人がいるだろうから、間違いってのはいないんだけど、

ここらで一旦それぞれ分けて考えて、俺の道とHAIIRO DE ROSSIの道というのを

改めて考えてみてもいいんじゃ無いかと思っている。

結局最終的には一人の人間なので帰結するところは同じだとは思うのだけど。

ただ、プライベートの自分は置いといても、HAIIRO DE ROSSIという者については熟考しても良いタイミングなのかもしれない。

たまにアーティストと話すと、ステージインした瞬間にそのアーティストになる、

スイッチみたいなのを入れるという人が結構いて、

今までは「そういう人もいるんだ」と思っていたぐらいで、

それを自分でしようとは思わなかったんだけど、

ここ半年ぐらいで今自分に必要なのはまさにそこなんじゃ無いかと思うようになった。

それはそう思うようになることが一発ではなく、小さい積み重ねとして溜まっていった感じなのだが。

あとは〇〇道というと大きく感じるかもしれないけど、

要はざっくり言うと精神的、肉体的な決まり事みたいなもので、

俺の場合は特にプライベートはそう言うのがあったほうが落ち着くので、

結構決まり事は沢山ある。

特に人に言わないので、よく観察してると毎日同じことしてる事に気づくかな、ぐらいの感じだけど。

起きる時間、寝る時間、食べるもの、飲むもの、着る物、

数えるとキリがないが、そういうのがあったほうが俺の場合は楽なのだ。

よくアーティスト、いや、アーティスト以外もそうかもしれないが

「自分のことは自分が一番よくわかってるので」

と言うと思うんだけど、俺の場合そうとも言えない。

HAIRO DE ROSSIとは、もしかしたら周りの方が理解しているかもしれない。

こだわりが昔から非常に強いんだけど、

もっと拘れる気がする。

ラップに関してはブランクもあったが年々見える理想像というか完成形が良くなってる実感がある。

それは特にこの半年強、去年アルバムを出してからは特に感じる。

例えば16小節のうちのたった1拍に拘っていたのが、

今はその1拍を16分割して、どうするべきか、どうするのが最適かを考えるようになった。

結局自分と会話している時間が圧倒的に長くて、

というのは内容もそうなんだけど、今手元にある曲のその後について。

曲を作ってる最中って、芽が出てきた土に水をあげている段階だと思うんだ。

実際どういう花になるのかは曲ができてみないとわからない部分もあるんだけど、

理想形を描くことはできると思う。

そしてそれを意識して水をあげるのとあげないのとでは結果が変わるとも思う。

そんなこんなで大きくいうと人生道みたいなのを最近は考えながら生活している。

まだまだ勉強中。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?