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自己教育

自己教育

あっと気がついた。  私は私の頭の中だけにある学校の校長、教師兼学生なのだ。

本当の学生時代は、 学校と言う建物に通学、学友と共に、文科省公認の授業を教師から教室で受けていた。

21世紀も20年以上過ぎ、人工知能、ロボット、生命工学、ナノテクノロジーなど、目覚ましい進展が続いている今、 現実とバーチャルは同時進行的に存在しうる時代の到来だ。

だったら、 私も右脳、左脳を十二分に利用しない手はない。

一時的に私の頭の中にある学校名を「空の学校」と、名付けた。

私一人が、三役も四役も演じ続けるので、忙しい気持ちになりそうな時もあるが、そんな時はゆっくり深呼吸を数回繰り返す。

学校全体の責任を負う校長として、社会とのつながりも考慮に入れ、時代の変化にマッチした教育に力を入れる必要がある。

教師役としては、この場合は文科省の方針にこだわる必要はない。

 教師が一人でカリキュラムを組み、便利なインターネットをフル回転させて、 ヒューマノイド(Humanoid)( 人型ロボット)、地球温暖化問題、人工知能、自己啓発本、日本文学、イギリス文学、米文学、世界史、東洋史、米国の貧困問題など、幅広い分野を選択するよう努力する。

今のように、変化が激しい時代は、教師も生徒も一緒になって学び続け必要がある。

生徒でもある私は結構真面目に、与えられた科目をこなすよう努力中だ。

毎日午前中は自習時間と決め、音楽の科目であるピアノの練習、原書の音読、日本文学の朗読を聞いたリ、米文学を拝聴する。  

また、インターネットを通して、多種多様な講演会を熱心に聞き入るようにしている。それは自己教育の一環でもあるからだ。

バーチャルな学校であるから、自分の部屋にこだわる必要もない。 野外を歩き回り、適当に疲れて来た頃合いを見計らって、 木陰に座り込み、野外授業が継続する。

ホノルルの野鳥達は恐れず、私の側まで寄ってくる。 勉強具合を見ていてくれるような錯覚さえ覚える。

自己ができる範囲で勉学を続けていると、「自分を少しは尊敬したい気持ちが湧いてくる。」 

自己愛が強化されると言う副産物が自然に生まれるようだ。

教育とは本やインターネットを通して偉い学者の講演を聞くだけでは十分でない。

多種多様な人々と知り合いになる努力そのものも、貴重な教育の一環だと校長。

そんなわけで、今は新地で新しい知人を増やす努力中だ。

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