青空空子

青空が好き。無の境地で大空を見ていたい。 永遠に空の境地には到達できないが、 そらを見…

青空空子

青空が好き。無の境地で大空を見ていたい。 永遠に空の境地には到達できないが、 そらを見ているだけで気は晴れる。 皆様よろしくお願いします。

最近の記事

刹那を有意義に過ごす(4)

バイオリンニストのウイニアスキー( Wieniawski) と言う懐かしい名前がユーチューブの画面に躍り出てきた。 4歳から偶然バイオリンを習い始めた娘のお陰で、私とは全然関係がなかった西洋音楽の作曲家を、何十年振りかに、懐かしく思い出してしまった。それも、私が意識的に画面で探した訳ではない。 チャットGPTを利用して、英語力強化の可能性を手探りしている段階で、全く偶然遭遇したのだが、色々の思い出が頭に浮かび始めた。 「チャットGPTに詩を書かせてみよう。」と思い立ち、

    • 刹那を有意義に過ごす(3)

      中国料理との付き合いは長い。仕事の関係で米国中、はたまた世界中を運良く旅して回ったが、 何処でも、 中国料理を食べたくなれば、料理店を見つける事ができた。 東アジア系である私の身体によく合う食事である。米国の歴史を振り返ると、 大陸横断鉄道建設などのため、多くの中国人労働者が活躍した。 その人達が中華街を作り、我々が中華料理を楽しんでいるのだ。 以前と違って、100年以上に渡る中国が経験した屈辱も過去の物となり、 今では世界第二の経済大国にのしあがった。  その上、 

      • 刹那を有意義に過ごす(2)

        洗濯中であったが、空腹感を覚え、近くの韓国料理店に行った。  時計を見るとすでに3時前、「レストランが閉まっているかも。」と、ちょっと心配したが、 運良くまだ開店中だった。 白髪の老女一人がお客のようだ。  最近は少し太り気味を意識するようになり、食べる量を控えたい気持ちは出てきた。 その日の朝食は有り合わせの茹で卵二つと、私の好きなコンコードぶどうを食べた。 米国の東海岸生活が長いが、 そこで偶然、コンコードぶどうと出会った。 マサチューセッツ州コンコードで育てら

        • 刹那を有意義に過ごす(1)

          雲が漂うように、 私は5年近く住んでいるホノルルの街を歩き回った。 若い頃は、その時その時の人生に忙しく、「人は生まれた限り死ぬ運命にある。」と言う、単純な事実さえ、稀にしか頭に浮かばなかった。 80歳を一年超えてしまった自分の心の中を覗くと、死という影が直ぐ近くでゆっくり踊っている事に気がついた。 もうどうにも誤魔化し様のない事実が、 まるで虫眼鏡に映し出された虫のように、巨大な姿を現していた。 ある意味では、この年齢まで何とか健康を保ち、5年前の退職時まで、言語を

        刹那を有意義に過ごす(4)

          大変動期(2023年創作懸賞募集応募作品)

          1961年、東京神田美土代町のYMCA 英語学校で学んだ。 その学校では、例えば、大使館で働く方の奥様が、週に2、3回の間隔で、英会話を教えてくださった。 また、米国のフランシスカン修道院の修道士が、長い黒服に腰紐姿で、教壇に立った。 もちろん、授業中の布教活動は禁止されていた。 要は、1962年頃のその英語学校の教師は、全員外国人であった。   仙台の田舎にある茅葺き屋根の家で育ったわたしは、その時始めて、外国人と、教室内にせよ、身近に接した。 卒業後、仙台の親

          大変動期(2023年創作懸賞募集応募作品)

          情報の洪水

          情報の洪水 現代は情報の洪水の中で泳ぎ回っている。   扱い切れないほどの情報が、頼みもしないのに手元に届く時代だ。   無視してしまうのも一つの手であるが、結構興味深い内容が多く、暇人の私は目を止めて、その情報を吸収する努力を始めてしまう。 アルゴリズムが、最近の私の知識探求の傾向を分析して、関連があると思われる情報を、目前に並べてくれるのだ。 時間的余裕のある人々の特権で、 深く広く多種多様な情報を頭にたたみ込む。   もっとも、 多くの情報は頭に入り、即、消

          情報の洪水

          感謝

          感謝 近くの小さな公園は、東側に割と高い建物が立っている関係で、午前中は日陰になっていて過ごしやすい。 若い母親達と、小さな子供達が、野外の空気を楽しんで遊んでいる。  早朝散歩の帰り道、時々寄って、公園のベンチに座って見るのも楽しい。 赤ちゃんが初めて立ち上がり、一歩を踏み出すと、周りの大人は嬉しそうに手を叩く。 それ以来、大怪我か病気になる以外、 人間は毎日程度の差こそあれ、両足を駆使して生活している。 いわゆる、人生の大方の悩みも経験し終わり、 平穏な日常が

          韓国の踊り

          韓国の踊り 人生に偶然は付きものだ。   久しぶりに公演会の始まる二時間前にハワイ大学構内に到着、ゆっくり大学校内を歩き回った。  「今日の予定歩数である1万歩の8分通りをこなしてしまおう。」と、考えたのだ。 アジア太平洋諸島踊り祭りのプログラムで、今日は韓国の踊りを満喫できる。 12人程の殆どはアジア系の顔であったが、 一人だけ、背丈は完全にアジア風であったが、顔は白人系だ。  しかも、どうもその方が韓国踊りと音楽の指導者のようだった。 夜10時過ぎ、 公演会

          韓国の踊り

          先頭に立つ

          先頭に立つ 1980年に、ワシントンD.C.郊外に、夫の仕事の関係で、日本から越してきた。 娘は、我々が最初に借りたアパートの近くの小学校に転入したが、一年後、 古い一軒家を借りて再度引越しをした。   夫の母親が、敬虔なカトリック教徒であるため、夫の希望で、10才の娘をカトリック系の学校に転校させたのだ。 新聞社勤務の夫は、学区の特色などを調査をして、地域を選択の上、アパートを選んだ。  夫は、新聞社の所在地であるワシントン、DC の東側外れまで、ワシントンD.C

          先頭に立つ

          東北地方新発見

          東北地方新発見 普通、診察後医者が患者に処方箋を出す。 ちょっと想像力を発揮して、私が自分に対して処方箋を出してみた。 コロナも下火になり、やっとだいぶ元の生活が戻ってきた。  けれど、誰にとっても同じであるが、二年間は長かった。  コロナ中の生活が、いつの間にか習慣化していて、新たな予定作成は思ったより難しい気がする。 疫病中は、断然一人で過ごす時間が多く、人間には習慣性があるのか、それが日常化していた。 少しづつ、新しい予定表を作って見るのは、自分に対する処

          東北地方新発見

          瞑想の効用

          瞑想の効用 自分の心を管理するのは難しい。  1秒1秒、さまざまな思いが、心の中を通り過ぎるが、 色々な思いは、心に多種多様な気持ちを生じさせる。 嬉しい気持ちだったり、悔しい気持ちだったり、妬ましい気持ちだったり、悲しい気持ちだったり、 焦る気持ちだったり、 目まぐるしく変わる感情を、冷静に管理するのは至難の業だ。 人生の第四幕目で、自分の心の動きを、落ち着いて観察している自己の存在に気がついた。 今までのように、 毎分変わる、自分の感情に、振り回される回数が少し

          瞑想の効用

          自己満足

          自己満足 時の流れは速いもので、ホノルルに住み始めて、早7か月が過ぎた。 私の人生最後の第四幕、全て自分の責任で、「幸せな人生を作るぞ」と、今も意気込んでいる。 知る人もない新地で、新たな人間関係を作り上げて行くのは、容易なことでは無い事は、百も承知である。 「大きな挑戦に立ち向かう。」という気持ちでいると、結構毎日が楽しい。 もう既に、ニュージーランドの人、ナイジェリアから来た方、フランス人、ドイツ人、アメリカの東海岸や西海岸、南部、テキサス州の人にも会った。

          自分の責任

          自分の責任 最近やっと、自分の心を割と客観的に観察出来る習慣がついたようだ。 一人で、ホノルルに自分から引越してきた手前、自分の責任で、充実した日々を編み出す必要がある。 後一週間で、間違いなく満80歳になる。 自分で自分を祝う事にした。 「長寿のための短いお薦め」(私の即訳)「Short Guide to a Long Life」、エイガス医学博士著(David B. Agus、MD)を本屋で買い求めた。 ハワイの島の一つである、五つ星の高級ホテルフォーシーズンで

          自分の責任

          のんびり過ごす時間

          のんびり過ごす時間 2月に、海をゆっくり見ていられるとは幸せな事だ。 白波が打ち寄せる。 長袖がちょうど良い気温だが、勇気のある元気な若者は、波乗りを楽しんでいる。 海水着姿で、海辺を散歩する人もいれば、木陰で読書中の人もいる。 人それぞれ、自然の美しさを堪能している。 ホノルルでは、 空を見上げて、 雲をよく観察する癖がつく。 真っ青に晴れていても、 見る間に雨雲が広がる可能性も多い。 5分もすれば、止んでしまう恵の雨が多いが、偶には、土砂降りになる事もある

          のんびり過ごす時間

          別格東大寺

          別格東大寺 考えてみれば、ホノルル移住後すでに3年半の時が流れた。 アパート生活3年、コンドのスタジオ生活も6ヶ月過ぎた。 誰もそうであるが、私もあと何年この地上にいる事ができるのか分からない。 断捨離も済ませ、 一部屋での生活にも慣れた。 読書三昧、ユーチューブで、多種多様な講演も聞ける時代だ。  「良き時に高齢化を迎えたものだ」と、感謝の気持ちが湧き上がる。 古い日本のテレビ番組さえ見ることができる。  米国の首都郊外に35年も住み続けた身としては、日本の

          別格東大寺

          世界一

          世界一 人生は楽しい。 人生は素晴らしい。 時間はどんどん流れる。 貴重な日々をどう過ごしたいのだろう。 ホノルルに到着後、はじめの三カ月は無我夢中。 4カ月目に入り、軌道修正中。 多種多様な選択肢から、日々の予定を決めるという事は、「自分が何者であるか。」という、「問いかけと同じだ。」と、気がついた。 米国に、合計40年以上生活したという事実が、私という人間を形成した。 日本で生まれ、20代の後半まで、日本で過ごした事も、私の性格に多大な影響を与えている事実は、