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野鴨

野鴨

大邸宅に住んで、前庭の池で泳いでいる大きな鯉達をのんびり眺めるなどという事は、身分不相応であり、不可能である。

偶々、ホノルルに住む事になり、シェラトンホテルの東側に池があり、数匹の鯉がのんびり泳いでいる。

太平洋側に広く戸が開け放たれていて、 海風が皮膚に気持ち良い。

死を意識する年齢になり、最後の住処として、ホノルルを選んだ。

と言っても、他の地域を、調査研究して、詳しくデータを取り比較検討して選んだ訳では無い。

本能的に、年中暖かい所なら 、「何とか自立した生活ができそうだ」という、判断が決め手になった。

到着後、数ヶ月ははしゃぎ過ぎて、 手を伸ばし過ぎた。

身体が叱責。そう、 遊びに来た訳では無いのです。 社交の為に来た訳でも無いのです。

どの人間も同じであるが、 いつ死を迎えるかは分からないが、自分勝手かも知れないが、直前まで、 出来る事なら自立して過ごしたい。

孤独死もあり得る。 されど、 老化した自分は看護師や 世話をする人に、当然不当に扱われる確率は、日々上がると覚悟をするのが、ごく自然の事。

であってみれば、 孤独死を覚悟の上でも、 出来るだけ老後自立の道を、私は意識的に選択する。

本人の予測通り、死神様が訪れる訳では無い。

いつの時代も、ある年以上になれば、誰でも死と隣り合わせに生きているという現実を、突き付けられる。

高齢者は、 何度も死の淵に立つような経験を重ねて、いつか本当の死が背後からやってくるのだろう。

自分の心の強さが試されている。

78年も、曲がりなりにも元気に生活をできたのだから、 私は幸運だったと思う。

脅しを、何回受けた後に本番が来るのか、私には分からないし、 誰も予測し難い。

身体の不具合を感じたら、 医者や医療機関のお世話になるのが本筋であろうが、私は、 自然死を受け入れる事にした。

30代、40代だったら、 私も多分真っ青になり、「お医者さんの所に飛んで行っただろう。」と、思う。

生きたいという気持ちが当然、今の自分より強いからだ。

今回は、 幸い大事に至らなかったようだ。

予告編にすぎなかった。 とは言え、予行演習にしては、現実感がありすぎて、 浮ついた私に、お仕置きをという天の采配。

ほとんど毎日一万歩歩いて、足を鍛えていた積りであった。

今回は、 まるで笑い話のように、ベッドの上での出来事で、骨を折る心配は無かった。

高齢者が躓いて転んで骨を折り、寝たきりになる場合が多い。

躓か無くても、 急に眩暈がして倒れる可能性もあるのだと身をもって学んだ。

これは手強いぞ。 自立、自立とおまじないを唱え続けても、 何時倒れるかどうかはわからない。

自分と、自問自答。 何をして過ごしたいの。
下手でも、 ピアノを弾きたいならそれも良い。

これまで、10年以上、自己流ピアノ練習を続けたので、 いつの間にか習慣化したのだろう。

自己満足でも良い。両手の指先を動かすと、脳の刺激になる可能性もあるかもしれない。

ユーチューブで、好きな講演を聞くのも、いつのまにか習慣化した。

ホノルルには、運良くまだ大型本屋さんがあるので、 たまには、新しい本を買って、散歩の合間に読んでいる。

野鴨が水辺に降りてきた。 野性なら、鳥だって、 病院通いなんかしない。

死をごく自然に受け入れているのだろう。 その分、今を大切に生きているのだと思う。

中古自動車販売店から買った安い中古車を、ご機嫌をとりとり、運転しているような気分。

28、000日も使い古した私の身体だ。

現代医療機器で正確に測定すれば、 あちらこちらに、ガタが来ていて当たり前。

白衣を着た医者に、何やら病名をつけられたら、それだけ滅入る原因が増えてしまう。

野鴨の如く、今日を楽しみ、明日は煩わない事にしよう。


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