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ストレスとは何かーその原因と、結果として起こること

「ストレス」という言葉はあまりにもよく使われているけれど、個別な事象でなく一般的な現象として、ストレスを抱えた人がどのような状態にあるか、またその結果としてどういうことが起こるかが考えられることはあまりないように思う。

私が「ストレスとは何か」ということについて考えることになったきっかけは、母のガンだった。

ガンの原因になることとして、食事や生活習慣などがよくあげられる。
しかし、スポーツインストラクターで運動は仕事でも趣味でもよくしていて、食事も気を使い、「健康オタク」の部類に入る母がガンになったのは、ストレスからくるものとしか思えなかった。

母がガンを診断された2年前、母の叔母が亡くなり、その人の家や財産の後処理と、母の母を自宅の近くに呼び寄せるための引っ越しの手はずを整えるというのを、ほとんど一人でこなしていて(弟はある程度助けていたけれど)その頃母は猛烈に忙しかった。

それで、いつもだったら毎年受けているガン検診を1年飛ばしてしまったのだ。

大叔母の家の片付けや、祖母の引っ越しで何か手伝えることがあればやると私も妹も言っていたのだけれど、二人ともその頃は子どもたちがまだベビーで物理的に手伝いが難しかったこともあり、母は一人でがんばってしまった。

この忙しさはガンが発現する「発火点」になったと思う。

抗がん剤や放射線治療をしても、わずかな延命の効果しかないと医師に言われてから、それでも何か治す手立てがあるんじゃないかと、私はガンがかなり進行した状況から寛解した人の手記をいくつも読んだ。

それによると、振り返ってみれば10年20年と、自分の中に強いストレスがあり、それが長い年月をかけてガンにつながったのだろうということを、多くの人が共通して書いていた。

思い返せば母も、随分昔からストレスによって出やすいと言われている顎関節症や口唇ヘルペスに繰り返しかかっていた。

私や妹が高校生くらいになって、大人と対等に話ができるようになった頃から、私達はよく母の愚痴やら文句やらを聞いていた。

大学を卒業した春、たまたま姉妹二人とも同じ年に家を出ることになり、急にはけ口がなくなって大丈夫だろうかと心配していたのを覚えている。

母がいつも吐き出したかったことは、主に祖母のことだった。
同居している父方の祖母。そして、引っ越してきてからは母方の祖母も。

「おばあちゃんが〇〇だった。こうしてくれればいいのに」
一番多いパターンはこういうものだった。

例えば、祖母が午後出かける時に駅まで送ってほしいと急にその時になって言う、朝のうちに言っておいてくれれば他の予定と時間調整するのに。
いつでも都合よく動く召使いだと思ってる、とか。

祖母の方をフォローすると、別に、祖母はそんなことは全く思ってないのだ。たまたまその時間、母が都合が悪くなければ送ってもらおう、いなければバスで行こうくらいに考えているだけなのだが。

それから、母方の祖母がプールに行くのに下着を変な風につけていたらしく、そのことを祖母のプール仲間から聞くと、それに対しても怒っていた。

母方の祖母は、元々の天然ボケに加えて軽い認知症もあり、周囲から見ると多少変な格好をしていることがしばしばある。それもまあ、その場で笑って済む程度のものなのだけれど。

しかし母はそういうのは許せないらしく、「ちゃんとして」と面倒を見に行く。

一事が万事この調子だ。
「そんなの放っておけばいいじゃん」と私が言うと、
「そういうわけにはいかない」と返ってくる。
別に、当の祖母ら本人は特に気にしていなかったり、深く考えてやってないことでも、祖母がみっともないことを母自身が許せないのだ。

他人からしてみれば些細なことだけれど、二人の祖母の色々な振る舞いがストレスになって、何度も何度も同じことに繰り返し文句をいっていた。

母は周りの人のことによく気が付き、とても面倒見が良い。
そこは母の美点だと思う。
ただ、アンテナの感度が高すぎて、少々気が付きすぎる。あんなにいつも周囲に気を配っていたらさぞ疲れるのではないかと思う。

私は基本的にはアンテナ低〜い人間で、気が利かないと母にもよく怒られたのだけど、そんな私でもひょっとしたら母の通常モードに近いかもしれないと思うくらいアンテナを立てまくっていたことがあった。

それは、子どもたちがまだ赤ちゃんだった時の毎日の生活だ。
授乳、おむつ、泣き声が聞こえればどうしたことかと飛んでいき、よちよち歩いていれば転ばないか、危ない方に行かないかと家でも外でも目を光らせる。

赤ちゃんの面倒を毎日見てると、大したことをしていない日でも、なんだかすごく疲れている。身体はそれほど動いていなくても、四六時中、何か起こらないか神経を張っている状態が疲れるのだ。

これに似た状態は、仕事でもあった。
いくつかの全く異なるプロジェクトをディレクションし、SlackでもFacebookでも一日中次々とあちこちからメッセージが飛んでくる。

どちらも別に、好まないことをしているわけではない。
でも、自分以外のものに耐えず意識を引っ張られる状態がそこにはあった。

多数の見えない糸で外に引っ張られている状態、これが私のストレスのイメージだ。

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糸の数が少なかったり、引っ張る力が弱かったりすれば、別にいくつかの糸で引っ張られていても倒れたりすることはない。

でも、あまりに多くの糸に引っ張られていたり、それがとても強い力だったり、立っている自分自身の力が弱まっていたりすると、その外から引っ張られる力によって倒れてしまう。

糸が引っ張られた緊張状態は、必ずしも悪いばかりではない。
適度な緊張状態は人にとって必要でもある。

自律神経と呼吸

人が起きている時、緊張しているときには交感神経が働き、寝ているときやリラックスしているときには副交感神経が働く。

これを自律神経というけれど、交感神経と副交感神経はどちらもほどよく働くことで、健康が保たれ、このバランスが乱れると自律神経失調症になったりする。

交感神経と副交感神経、それぞれの働きによって異なる神経伝達物質が出される。身体の各部位にも影響が出る。

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画像引用:鎌倉市大船 山口内科HPより

ストレスを感じている時には、交感神経が強く働いている。
この表には載っていないのだけれど、緊張状態が高まり、交感神経が強く働いていると、呼吸が浅くなる
呼吸は自分自身で気づきやすい緊張度のバロメーターだ。

私も、猛烈に忙しいときには、料理をしていたりとか、普段だったらそれほど呼吸が浅くなったりしていないような普通の日常の動作の最中でも呼吸が浅くなることに気づく。緊張状態が取れなくなっているのだ。

疲労とストレス

私がストレスが貯まりすぎてメンタル的に危険水域に達した経験があるのは、娘たちが3歳&1歳の頃のことだ。
この頃、動悸がしたり、手先が震えたり、すぐに涙が出てきたりと、自分でもこれはおかしいぞと思うような身体的な症状が出始めていた。

この時に、どうしてそこまでの状態になってしまったのか、ガンになった母のストレスの原因とその軽減方法について調べるうちに一つ、これだと思ったことがあった。

それは、肉体的な疲労だ。

オーディオブックで聞いたので、正確な引用ができないのだけれど、
「高レベルのストレスと疲労が重なると、人は折れてしまうという」といった趣旨のことが、『自衛隊メンタル教官が教える 心の疲れをとる技術』という本で書かれていた。

参考:元自衛隊メンタル教官が教える 「折れてしまう」原因は、ストレスではなく◯◯だった

子どもたちが幼い頃、思うように取れない睡眠と、昼間も休憩時間が取れないことで、肉体的な疲労も確かに相当蓄積していたと思う。

しかし、自分の毎日の身体の状態というのは良くも悪くも慣れてしまうのか、自分の身体がどれくらい疲れているのか気づかなくなっていた

ストレスに良し悪しはない

ゲーム会社に勤めていた頃、仕事に対してのモチベーションも高く、デキるタイプの先輩たちが、何人も鬱になっていたことが不思議だった。

でも、ここまでのことを総合して考えると、彼らがそうなってしまったことにも合点がいった。

自分を引っ張る外部からの力の強さは、仕事内容への意欲とは関係がない。

私も、自分で好んで始めた仕事で意欲を持って取り組んでいても、それのために”引っ張られる力”が強くなりすぎると、強いストレス状態に陥ってしまう。

そして、蓄積した疲労というのは、自分自身の立つ力、土台が揺らいでいる状態と言える。

ゲーム会社の人間の働き方は、ブラックになりやすい。今はだいぶ見直されてきているけれど、私が在籍していた10年くらい前ではまだ、毎日深夜まで仕事、土日も出社するようなことが多々あった。
当然疲労は積もりに積もってる。

そんな中で、ゲームをより良いものにしようという意欲を持っていた人たちが、"外から引っ張っられていた"ものは何だったのか?

締切に追われているという時間の問題は当然あるけれど、自分自身でコントロールできない、意思決定できないものに対処しようとすることが大きなストレスになっていたのではないかと思えた。

例えば、一つの企画提案が何度もリテイクをくらって、全然通らないとき。お題はあって、提案を出すのは自分であっても、上司が持ってる答えに合うものを探すだけの答え合わせでしかなくて、自分で意思決定ができる状態じゃないとか。

あるいは、チームメイトや外注先のアウトプットが思うようでなく、異なる担当者のそれぞれの言い分を聞き調整が難航するなど、自分の力でどうにもできない状況が多発したり。

課長はいいと言ったけれど、部長はダメだった。色々な偉い人の意見に翻弄される……など。

こうした、誰かの意志に翻弄され続ける状態というのは、ゲーム会社に限らず、様々な会社やチーム組織、あるいは家族間や友達関係においても、どこれもありえることだと思う。

ストレスとは何か

まとめると、ストレスとはー
自分を外から引っ張る外部からの力。
イメージとしては、多数の糸で引っ張られている状態。

たくさんの糸に引っ張られて、がんじがらめになったように動けなくなってしまい、最後には足元から折れて、プツンと糸が切れる。

そしてそれが、自律神経失調症や鬱、ガンといった身体的な症状となって出てくる。

外部の何かに翻弄され、自分自身で意思決定ができないこと。
これが人の心を壊す。
しかし、気づかないままこれが常態化することは、簡単に起こり得る。

結果として、
自己と他者の境界が曖昧になる。
自分自身の存在があやふやになる。

日常生活の人間関係でも、仕事でも、子育てでも、強いストレスを感じているならば、それは自己が揺らいでいる状態なのだ。
そう考えると、自分が置かれたことのない状況の人の抱えるストレスについても、その本質は理解できるようになる。

今、先の見えない状況の中で、人は様々な不安やストレスを抱えている。
ニュース、人の意見、新しいライフスタイル、災害アラートなどの鳴り止まないプッシュ通知。
特定の誰かではない、そうしたものも、日常の中での細かい糸となって、私達を引っ張り、縛る。

自分自身が尊重されて、足元となる土台がしっかりしていれば何でもないことも、自分自身が消えそうになってしまっていると、些細な力にも抗えなくなる。

一人になれる時間。集中して何かに没頭できる時間。
周りの全てが目に入らなくなるような状態になることは、自分自身の本質を思い出させてくれる。

自分が何を大切にするかを認識し、自己決定できることは、自分自身の精神的な土台を強くしてくれる。

また、他者の課題と自己の課題を切り分けて、区別すること。
私の母は、他者の課題を自分自身に取り込みすぎてしまうタチだった。
たとえ親子や夫婦といった間柄であっても、別々の人間であることには変わりない。自己と他者の健全な区別は、自分自身の心を守る。

不安やストレスに苛まれた時、自分を引っ張る糸が何かを知り、それを外していくことで、自己の輪郭が明らかになり、外からの力に負けない自分になっていける。

精神と肉体は、相互に作用する。
肉体疲労や病によって心は弱まるし、心が弱まっていれば病気になりやすくなる。

ストレスが身体的な症状として現れたならば、それは身体が、
自分自身を大切にするようにと教えてくれているサインなのだと私は思う。

ガンになってしまった母は、多くの糸に引っ張られ、縛られていた。
それは、自分自身で作り出した「空想上の外部」であったように私には感じられた。
これもまた長くなるので、その話はまた次回に。

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