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【#5】臨床心理士に代わりがいない…正職員の仕事を辞めたワケ

はぐくみです。お読みいただきありがとうございます。
前回の続きになります。

前回、<実は知られていない!?臨床心理士のデスクワーク>もしご興味がある方いらっしゃったらこちらもお読みください



私は去年の秋に総合病院の心理士を退職しました。子どもの熱が続く、勤務先が遠い、部署異動による弊害…など理由は様々あるのですが、自分自身のメンテナンスも含めて時間が欲しかったからです。

数か月の葛藤があって退職を決めました。
”もう続けられない”と感じてしまったんですね。

代わりがいないこと


前回の記事でも書きましたが、
自分の仕事は他の人に代わってもらえない。
上層部に「病棟では、子どものことで休んでいても他の看護師がカバーし合ってやっている」と言われました。

その時(この上司は心理の仕事何にもわかってない)と思いましたが、「心理士は個人で仕事しているようなものなんです」と冷静にお伝えした。

そうなんです。もちろんチーム医療の一員として働くことはあるけれども、
多くはまだ個人の仕事が多い。

心理療法や心理検査もその時によって担当の心理士がコロコロ変わるわけではない。だいたいが「担当制」なんです。

だから、自分が休めば、予約している患者さんのスケジュールも変更せざるを得なくなる。それを受付の方からご連絡していただくことになる。
↑↑
これが、私がしんどかったことの一つです。自分の都合で他の人に負担や迷惑をかけてしまう、その罪悪感が頭から抜けませんでした

通常通りの勤務に戻っても、
新たな日程調整や溜まっていた心理検査の報告書作成・・休んでいたツケが回ってくる…決して仕事が減ることはない。(むしろ増えてる!涙)
さらなる追い討ちとして、最後に子どもの風邪がうつるということ・・・。
自分の体調不良のためにはもはや休めない・・・
(自分の体調隠して出勤してたなぁ…涙)

「今は仕方ないよ」「いずれ楽になるから」


 休むたびに、励ましやねぎらいの言葉を込めて、子育てもキャリアも先輩の女性たちから言われる言葉でした。それに励まされることも多くありましたが、自分が一番この状況を許せなかったのです。

どっちを向いても「申し訳ない」と思う日々


・仕事を休むことになれば、
キャンセルせざるを得ない患者さんに申し訳ない
スケジュール調整してくれる受付の方や外来看護師に申し訳ない
他の業務を代わりに担ってくれる同僚の心理士に申し訳ない

・夫に預けて仕事に行くことになれば、
休んでもらった夫に申し訳ない
熱を出してママを恋しがっている子どもたちに申し訳ない

子どもが具合悪いとなると、こんなにも罪悪感でいっぱいになるんです。
他のワーママ(ワーパパ)さんも同じですか??

誰が悪いわけではないけれど、自分の至らなさを恨むしかなかった。

頭によぎったこと


やはりそこで頭によぎることは、通院している患者さんたちのことです。

10年以上心理療法を続けている方もいる。
自分を心理士として当てにしている人たちもいる。

”終結”を迎える前に、心理士の都合でカウンセリングが中断するとなると、こうした人たちのこの先の人生はどうなるのだろうか。

私の頭に浮かんだ言葉は、”無責任”でした。
彼ら彼女らの人生、”仕方ないよ”じゃ済まされない、生活の一部としてカウンセリングの場をもつ人たち。

そう思い決断を先延ばしにしていたこともあるけれど、
私がこの先も時折休むことがあったとして、
毎回、約束の時間と場所に、心理士がそこにいないかもしれない、という不確実さを彼ら彼女らに与えている今の状況を考えたら、
今のこの状態の方が無責任ではないかと感じました。

そこで、私は心理療法(カウンセリング)をひとまずやめる決意をしたのです。

「今は仕方ない」の意味


 「今は仕方ない」のは、私が親でありながら働いている中で、子どもの都合で思うように働けない状況にあるということ
 
 やはり、それは患者さんにとっては、”全く関係ない”ことなんです。

”代わりがいない”ということへのおこがましさ


 私が担当していた患者さんたちにとって、その時は私が心理士であり、その代わりはいなかったのかもしれません。
 私は心のどこかで、”この人には自分がいなければ”と思っていたことがあったように思います。
 よく言えば、「責任感」なのかもしれませんが、それはちょっとおこがましいと感じました。
 
 患者の人生、患者が決める。いつも会っていた心理士に会えなくなることを、どう受け止め、この先どう進んでいくのか、患者が考えて決める。

 そうあるべきなんだなと思いました。

実際、転職先で心理療法のみ受けられることをお伝えしても、
この先も”私という心理士”と自分の人生を見つめていきたいと決めた方はほんのわずかでした。

これを機に十数年引きこもっていた方が、「病院を卒業」し外に出る一歩を踏み出す決意をした方もいます。

かなりきついパワハラを受けたトラウマがある患者さんが、また働いてみようと思い、これまで拒絶していた「作業所」から始める決意をした方もいます。

こうしたことはいくつかのタイミングが重なって起こることです。
患者さんそれぞれの力や発動性を感じる機会となりました。

私の決断も含め、彼ら彼女らがした人生の決断が、どうか、実りあるもの、イミのあるものでありますように・・・。


最後までお読みくださりありがとうございました。
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