はげたまぼっち

読書や法話を聴いて感じたことや考えたことを、主に自分の覚え書きとして書いています。

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最近の記事

外道ということ

外道(げどう)広辞苑では、 ①〔仏〕仏教以外の教え。また、その教えを奉ずる者。六師外道、九十五種の外道など。↔内道。 ②真理にそむく説。邪説。また、それを説く者。 ③災難をもたらすもの。悪魔。 ④邪悪の相をあらわした仮面。 ⑤他人をののしっていう語。「―畜生」 ⑥釣りで、目的の種類と違って釣れた魚。 ②~⑥の意味で使われていることが一般的ではないでしょうか。 ①の意味で仏教徒以外の信仰を持った人に、「僕は仏教徒なので君は外道だな。」なんてことをいうと、その後、口を聴

    • 仏法の聞き違い

      師は、自分が自分であることを明らかにすることが、仏法であると言われているのだろう。 そういえば、10年前に、暴言を何度も吐いたことが原因で、三下り半を突き付けられた時、彼女が別れ際に言った言葉が「仏教を勉強していた人なのに・・・」であった。 仏教を勉強していた人なのに、「こんな酷いことを言うなんて。」と言いたかったのだろう。 確かに当時の私は強いストレスがあり、周囲に当たり散らしていた。その行動が厭で、優しい人になりたい、思いやりのある人になりたい、妻子を大事にする人に

      • 『仏』を信じるということ。

        私は私が信じようとする『仏』を信じることができない。それは、迷いの自分の心が作った、自分にとって都合の良い『仏』だから。 何処かで『仏』を疑っているのだ。 私の心は周囲の環境や人間関係、健康状態で、千変万化してしまう。そんな移り変わる心で祈る『仏』も、その心に応じて変わって行ってしまうのではないか。 日ごろ、欠かさずお寺に参り、お寺の行事にも積極的に参加されていた檀家の方が、癌で亡くられた時、ご家族に方が、「あれだけ寺に参って『仏』を供養していたのに、なんでこんな形で亡

        • それでも、なお・・・

          痛ましい事件が後を絶たない。事件の加害者は母親、中学生、40年余り連れ添った夫婦など様々である。 動機が明らかになるにつれ、思うことは、加害者が過ごした人生が、私の人生であったなら、私も同じ事件を起こしてしまうのではないかという恐ろしさである。 なぜなら、私自身も人を憎み、恨み、そして人からも同じように憎まれ、恨まれ、罵られた。 罪など犯さないと心に思ってはいても、何かのきっかけで、どんな惨酷なことをしてしまうか、わからない存在。 重大な罪を犯せば、夫婦関係は崩壊し、

        外道ということ

          そばにいてくれる・・・

          そばにいてくれる。1972年にフランク永井さんが歌った「おまえに」のフレーズ「そばにいてくれる だけでいい。黙っていても いいんだよ・・・」を思い起こします。 私が生まれてから、親兄弟、友人、同僚、恋人、妻、子供と、その時々に色々な人がそばにいて、安心を与えたくれました。 しかし、そんな人たちも、死別、不仲、退職、離婚、成人などの理由で、離れて行ってしまいます。 死ぬまで添い遂げようと思っていた妻でさえも、私の心無い言動で去って行ってしまいました。 これから先も、私の

          そばにいてくれる・・・

          他力本願を感じとれれば・・・

          一般的に他力本願は「自分の力(自力)でなく、他人の力(他力)によって望み(本願)をかなえようとすること」という意味で使わているようです。 他力本願と言っても、自分が他人に頼んだ場合は、自分の代わりということになるので間接的な自力になりそうです。 また、私だけかもしれませんが、自力優勝が無くなって相手が負けることで、優勝できる場合などは、心のどこかで相手の敗北を願っている自分がいるので、やはり自力といえるのではないでしょうか。 親鸞聖人の主著である顕浄土真実教行証文類(教

          他力本願を感じとれれば・・・

          響流十方に気付く

          「響流十方」(こうるじっぽう)は『仏説無量寿経』の中にある「歎仏偈」の一説、「如来容顔 超世無倫 正覚大音 響流十方」に出てくるお言葉です。 響きの流れとでも申しましょうか。あらゆる世界に響きが流れている。その流れの中で自分と出会いなさいと言われているように思います。 大変な努力をされた名演奏家と言われる人の奏でる音は、自分の心に感動を与えその感動は賛嘆となり演奏家に還っていきます。 自身がそうしようとの想いからではなく、向こうからやってきた働きに頷いていく。そこには響

          響流十方に気付く