それでも、なお・・・
痛ましい事件が後を絶たない。事件の加害者は母親、中学生、40年余り連れ添った夫婦など様々である。
動機が明らかになるにつれ、思うことは、加害者が過ごした人生が、私の人生であったなら、私も同じ事件を起こしてしまうのではないかという恐ろしさである。
なぜなら、私自身も人を憎み、恨み、そして人からも同じように憎まれ、恨まれ、罵られた。
罪など犯さないと心に思ってはいても、何かのきっかけで、どんな惨酷なことをしてしまうか、わからない存在。
重大な罪を犯せば、夫婦関係は崩壊し、親子親戚から疎まれ、冷たい世間の中で生きて行くことが辛く、場合によっては死を選んでしまうのが私。
罪を犯した者に対して、暖かい支援の手を差し伸べてくれるのも世間。
しかし、私の慈しみには限りがある。
良かれと思った言動が、反対にその人の心を傷つけ、追い込み、苦しめてしまった。
罪悪感と無力感にさいなまされ、苦しみがこびり付いて、今でも逃れることができない。
迫りくる色々な状況の変化の中で、罪を犯し、人を傷つけ、世間から追いやられることを想像するだけで、この胸は恐怖と緊張感で締め付けられる。
世間から疎まれる私、自暴自棄になる私、いつも怯えている私、きっかけ次第でどんな罪でも犯すかもしれない私、そんな私でもなお、見捨てずに、そのままに受け止めてくれる働きを、感じ取れることがあると、先人は伝え教えてくれる。
教えを聴かせて頂き、その働きに出会えることを、日々、願う私である。
いや、私に教えを聞かせようとすることが、すでに、その働きなのかもしれない。
曇天が曇天であるとわかるように。
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