仏法の聞き違い
師は、自分が自分であることを明らかにすることが、仏法であると言われているのだろう。
そういえば、10年前に、暴言を何度も吐いたことが原因で、三下り半を突き付けられた時、彼女が別れ際に言った言葉が「仏教を勉強していた人なのに・・・」であった。
仏教を勉強していた人なのに、「こんな酷いことを言うなんて。」と言いたかったのだろう。
確かに当時の私は強いストレスがあり、周囲に当たり散らしていた。その行動が厭で、優しい人になりたい、思いやりのある人になりたい、妻子を大事にする人になりたいと思い、仏教書の内容を自慢げに語り、仏教を利用していた。
まさに、仏教を勉強すれば、自分でない自分なれるとの傲慢な態度が、人生を大きく躓かせた。
何かのきっかけ次第で、そのつもりはなくても、他者に対して酷い言葉を吐いてしまう私が、間違いなく今でも存在する。
仏法はその私を明らかにする教えであり、決してそのような私を否定し、優しく思いやりのある私に変えていく教えではないのであろう。
最後に師は、「自分が自分でない者になって拯われるのではなく、自分は自分であることを尽くして拯われていく」と話されている。
浄土真宗は自分を明らかにしていく教えであり、私はそのお育てのなかで気付かされている。
南無阿弥陀仏
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