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和製X-MEN
2007年6月2日に投稿したブログより。
久しぶりのSFです。
いい年したオッサンの割には感性が若い方と思われるのは、イメージを喚起しながら読まないとよく分からないこういったSF小説とかを、いまだに読み続けられる多少は柔軟な頭があるからなのかもしれません。
本作は前作マルドゥック・スクランブル三部作の前夜を描いた物語。
前作の主人公バロットの宿敵であったボイルドが本作の主人公。
前作ではバロットとペアを組んでいた万能ネズミのウフコックとの因縁に触れていましたが、本作では、いかにして元パートナーであったネズミとボイルドが袂を分かつことになったかが描かれています。
そして、結構ヒーローっぽい主人公が、いかにして抑えられていた破壊衝動を開放し、また虚無の世界に身を委ねることになったのか、その過程が克明に描かれます。
そう。その変化していく件はまるで、スター・ウォーズでアナキン・スカイウォーカーがダースベーダーへと変貌していく過程のよう。
本の出し方も3,4,5と後日談を出した後に、それに至るまでの1,2,3の話を持ってきていますしね。
そして戦い方はというと、敵味方に分かれた強化人間たちのこの世のものとは思えない武器や能力を駆使したもの。
まるでX-MENのようです。
二つの映画と一線を画しているのは、やはり万能ネズミ、ウフコックの存在。
命じられるままにどんな武器にでも「変身(ターン)」する金色ネズミ。それだけだと、単なる最強の強化ネズミですが、ネズミ自身の自閉的なまでの繊細な心は、人間の感情を嗅ぎ取り、その感情に過剰なまでに反応します。
自分は必要とされているのだろうか。武器である自分は正しく使用されているのだろうか。
繰り返されるキーワードは、繊細なネズミを含め、一度は見捨てられた主人公たち強化人間の「有用性の証明」。
戦うことで、誰かの役に立っていると実感することで、自らの存在を認めてもらう、結構残酷な描写の多いストーリーですが、そんな刹那的な想いが、最後まで哀しげな余韻を残します。
SF好きなら是非。
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