見出し画像

いくつかのフィルター

文章を書けば書くほど、自分の言葉をコントロールしたくなってくる。
それができないのは単純に語彙力と構成力と発想力と経験が、パラメータの差こそあれ全くもって足りないから。

なぜ文体をコントロールしたくなるのか、少し慣れてきてしまったのかもしれない。さらにいうと飽きてきてしまったのかもしれない。毎日同じような思考をしてそれが癖づいてしまえば、なかなか脱却できない。

両方の足が既に動かせないレベルの沼にハマってしまい、同じようなことを叫ぶしかない。叫び方を変えるということが言葉を変えることなのかも? と、一瞬考えたがそういうことではない。

「助けてくれー!」「動けないんだ!ロープ持ってきて。頼む!」も、「喉が渇いて死にそうだ。。水をくれないか?」「空腹で力が入らないのです。何か食べるものをお恵みくださいませんか?」も、目的は一緒。
生命維持。そのために必要な言葉のコントロールは、自分が考えるものとは違う。

目的ごとに言葉をコントロールする。文体を変える。そうなのか?
それもまた違うのかもしれない。そもそもの人格を変える。やりたいのはそのレベルの話かもしれない。人格を変えるは大げさではあるけど、フィルターを変えてみる。

世界を見るフィルター、思考をろ過するフィルター、言葉選びのフィルター。それを差し替え組み合わせ自体も変えることで、何かしらの変化が起きるのか。近いうち実験してみたい。

と、まあ、ここ最近は多量な仕事に時間との鬼ごっこも加わり、疲労感がチリツモ状態なので、頭の片隅に置いて少しずつ。

そろそろ詩もまとめたい。詩集を1冊くらい作ってみたいと思うようになってきたので、それはそれで動かしていきたい。どうせならnoteに書いてないもので。

金曜の夜だから今日くらいは少し遅くなってもいいやと思い書きはじめたものの、やはり眠気には勝てず、ひとまず睡眠を。
明日も仕事することになりそうだけど、ぶっ倒れる勢いで仕事をするよりもまったりnoteにも書く時間を取りながら1日を過ごしたい、という願望。

願いで締めるのもたまにはありかな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?