外川白秋

アカデミック界隈の末席も末席を汚染している大学院生

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最近の記事

読食感:吉村萬壱『ボラード病』

吉村萬壱著 ・読んだ経緯 棚差しの本書を手に取ったのは本当に偶然でした。 読む本が無くなったので新横浜駅の大きな本屋で何の気なしに手に取って裏表紙のあらすじにざっと目を通し購入しました。 買ってからもしばらくはこたつ机の上に積まれていました。 新幹線の移動中に読み始め、その異様な描写にのめり込みました。おかげさまで授業に遅刻しました。 ・読んでみて 本作品は一般にディストピア小説と分類して差し支えないと思います。 多くのディストピア小説は巨大な権力などの人々を支配す

    • ビブリンピック開催のお知らせ

      みなさまこんにちは。放蕩ジェニックの外川白秋です。 本来このnoteは私の個人的なあれやこれやを書き連ねるものですが、今回は放蕩ジェニックの新コーナーのお知らせをしたいと思います。 我々放蕩ジェニックの二人は4月から新コーナーとして放蕩ビブリンピックなるものを開催したいと思います! どういったものかと言いますと、某書評バトルの様なものです。 毎回テーマに沿った本(主に小説)を互いに紹介し合い、その後どちらがより読みたくなったかを決めたいと思います。 テーマはミステリや純

      • 3月に読んだ本の読食感

        ろんぶん が やばい。 それ以外に言うことはない。年度の切り替わりということもありバタバタしている。特に3月下旬からは東京と大阪を行き来する羽目になった。 今後も読書に充てられる時間はどんどん減っていく予感しかしない。 それはそうとして、今回から読食感なるものを付け加えてみた。読み方は「どくしょっかん」。 『アフリカなんて二度と思い出したくないわっ!アホ!!―…でも、やっぱり好き(泣)。』 さくら剛 自称6流作家のさくら剛さん。尊敬すべきバックパッカーの大先輩の旅行記。か

        • 夜行性人間の嘆き

           どうやら人間のサーカディアンリズム(いわゆる体内時計)は24時間よりも長い事が多いらしく、私も生活リズムはかなり狂いがち。  これが一般社会に出てバリバリだろうが渋々だろうが労働に従事している尊敬すべき諸兄姉であるならば、否が応でも生活リズムはある程度整わざるを得ないと拝察する。  しかして、私のように朝も昼も夜もなく寝起きできるような不安定で不規則な生活を営むものにとっては昨今の社会情勢はまことに不便極まりない。  某ウイルスの流行から早くも2年が経過しようとしてい

        読食感:吉村萬壱『ボラード病』

          2月に読んだ本

          兎角冬はやる気が出ずこの1ヶ月論文執筆などやらねばならないのに現実逃避に映画ばっか観てました。 自戒の意味も込めて少し2月中の振り返ろうと思います。 『叛逆の神話 「反体制」はカネになる』ジョセフ・ヒース&アンドルー・ポター著 栗原百代訳 本書の初版は2014年に書かれた主にアメリカのカウンターカルチャーの思想史についてのものですが、ヒースとポターが言うように15年ほど経った現在でも多くの部分は変わらないように思います。 思想史に関する書籍というと小難しい印象を受けて

          2月に読んだ本

          2022年1月に読み終えた本

          『ウイグル大虐殺からの生還 再教育収容所 地獄の2年間』 グルバハール・ハイティワジ/ロゼン・モルガ著 岩澤雅利訳 少し前、アメリカで「ウイグル強制労働防止法」が成立したあたりに購入して積んでた本。フランスに亡命したグルバハールが2016年末中国に呼び戻され、そこから2年間再教育収容所に拘留された経緯について語られた本。現代も行われているウイグル人に対する弾圧とその歴史的背景、収容所で行われている悲惨な出来事が当事者の目から語られている。 『正欲』 朝井リョウ著 書店で偶然

          2022年1月に読み終えた本

          「体調悪かったけど仕事行ったわ」は美徳か

          激動の2021年を終え、新年を迎えて10日程が経過しました。 今更ながら、明けましておめでとうございます。 年末は2年ぶりに年末年始を実家で過ごしました。久々に地元に帰れたので、こうした状況の中ですが、妹家族や友人たちと過ごすことができました。 さて、本題ですが、妹との会話で興味深い議論が行われたので少しシェアしたいと思います。(正月気分も抜けきらずいつもより数段緩い文体となります。) 私「久しぶり。今病院勤めはだいぶ忙しいんじゃない?」 妹「まあね。こないだも体調

          「体調悪かったけど仕事行ったわ」は美徳か

          映画『ミセス・ノイズィ』:ディスコミュニケーションの一方向性と非対称性

          序文 天野千尋監督の『ミセス・ノイズィ』(*1)を視聴する前にジャンルを見落としたことは幸いであったように思われる。物語を先読みすることをより一層の困難に陥れるのは緩急の激しい作品全体のリズムと誰にでもあるような日常性を想起させるリアリズムである。  本記事では、本作品から窺い知れる現代的意義を最終的なゴール地点に見定めつつ、我々が陥りがちなディスコミュニケーションを検討していきたい。特に、コミュニケーションが失敗する要因として、その一方性と非対称性に注目しつつ作品を吟味した

          映画『ミセス・ノイズィ』:ディスコミュニケーションの一方向性と非対称性