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「体調悪かったけど仕事行ったわ」は美徳か

激動の2021年を終え、新年を迎えて10日程が経過しました。

今更ながら、明けましておめでとうございます。

年末は2年ぶりに年末年始を実家で過ごしました。久々に地元に帰れたので、こうした状況の中ですが、妹家族や友人たちと過ごすことができました。

さて、本題ですが、妹との会話で興味深い議論が行われたので少しシェアしたいと思います。(正月気分も抜けきらずいつもより数段緩い文体となります。)


私「久しぶり。今病院勤めはだいぶ忙しいんじゃない?」

妹「まあね。こないだも体調悪い中仕事行ったわ。マジつらかったわー。」

ちなみに、妹は看護師で東京の病院に勤務しています。

私「体調悪いなら休めば良いじゃん?」

妹「いやそんなん無理。人で足りないし、そんなホイホイ休めないって。まともに働いたことないから分からんでしょうけど。」

この発言は特に悪意のあるものでは無いと信じています。


さて、対話形式を取るのがやや面倒になってきたのでこの先の議論は基本的には地の文で書き連ねたいと思います。


確かに、妹の言うことも尤もだと思います。そう簡単に休んで給料をもらうとなれば社会は崩壊するでしょう。何せ通常の支払いに加え、余分な人件費がかかるわけですから。

一方で、人的資本を消費するだけ消費するようなシステムは見直されるべきだと思います。それこそ妹の言うように、私はまともに働いたことはありませんから、空虚な理想論であることは間違いないのですが……

しかし、そうした理想論であることを理解した上で私見を述べさせてもらえば、システムの欠陥に従属する者はシステムの被害者であると同時にシステムを持続させることによって加害者たり得ると思います。

このやり取りから一つの思い出が想起されました。私がまだ学部生で塾講師のアルバイトをしていた際、その校舎の校舎長が冷えピタを貼り、いつもより数段イライラしながらパソコンを向かい合っていた思い出です。

塾業界の過酷さは当時アルバイトであった私には窺い知ることはできませんでしたが、そうまでして出社しなければならないのだろうかと素朴に思いました。勿論そんなことを尋ねるなどしませんでしたが。

同時に思ったのはこの人にとってちょっとの熱や体調不良は欠勤の理由にはなり得ないのだと言うことです。私はその塾を早々に去りましたが、今でもその光景は思い出されますし、その決断は間違っていなかったと思います。

何が言いたいかと申しますと、上に立つ者ほど皆の規範になるので、異常なシステムに従順である人物は上に立つべきでは無いという事です。確かに、何を異常と見なすかは議論の余地があるでしょうが、少なくとも私には冷えピタを貼って咳を堪えながら働く必要のあるシステムは正常な社会にあって然るべきものでは無いと思えます。

妹の場合はまだ若く勤め始めて2〜3年ですので、部下も少なく、人を管理する立場には無いので、問題はそこまで重要ではないかと思われます。しかし、そうした習慣を体得し、疑問に思わなくなるのは危険だと言えます。

これは昨今のブラック企業問題の延長線上にあると考えられます。つまり、システムに従属する人は、確かに選択の余地がなかったのかもしれません(その意味では明らかに被害者です)が、維持する養分となっているのであれば、それは同時に他者に、特に未来世代に、加害していると言えるのではないでしょうか。

この被害者=加害者の構図は厄介な問題です。なぜ、こうしたシステムは維持され続けるのでしょうか?

行動経済学や心理学には囚人のジレンマという興味深いモデルがあります。ご存知の方も多いと思いますが、その簡単な内容は以下のようなものです。
・二人の囚人は、別々に尋問されており、それぞれに「黙秘」するか「自白」するかの選択肢が与えられている。
・二人とも「黙秘」を選択すれば、証拠不十分として刑期は2年。
・二人とも「自白」すれば刑期は5年。
・片方が「黙秘」し、もう一方が「自白」すれば、「黙秘」した側の刑期は10年で「自白」した側の刑期は0年、つまり無罪放免となる。

この理論の興味深い点は、互いに協力する(黙秘する)方が協力しない(自白する)選択よりも合理的であると分かっていたとしても、協力しない選択をした場合に利益が有る状況では協力がなされないと言うジレンマが生じることです。

このジレンマ問題は完全にではないにせよ、ある程度上述のような社会システムの問題に応用できるのではないでしょうか。

つまり、上述の社会システムの問題では、プレイヤーはシステムに「対抗」するという選択肢と「従属」するという選択肢が与えられます。

皆が「対抗」すれば、システムの大半は改善されるでしょう。(ただし、この改善がうまくなされる保証は無く、別の問題が生じる可能性はある。)
一方で、プレイヤーAが「対抗」し、プレイヤーBが「従属」した場合、プレイヤーAはBに対して相対的に不利な地位に追いやられることになります。

そして、本家囚人のジレンマでは囚人同士の意思疎通ができないためにこうしたジレンマが生じているのに対し、現代では参加するプレイヤーがあまりにも多いので、全体の意思疎通ができないことがジレンマを生じさせていると考えられます。

と、いつものように冗長になってしまいました。

結局何が言いたいかと言うと、異常な社会システムに従属するなら純粋に被害者ぶるのはやめろよということでした。

「駄文生成してないでとっとと働けや」って妹に言われそうですね〜

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