読食感:吉村萬壱『ボラード病』

「しかし人間の意識というのは、実に不思議なものです。周りの人間の言動次第で、見えるものも見えなくなってしまうのです。」

(同書 ,p178)

吉村萬壱著

・読んだ経緯

棚差しの本書を手に取ったのは本当に偶然でした。
読む本が無くなったので新横浜駅の大きな本屋で何の気なしに手に取って裏表紙のあらすじにざっと目を通し購入しました。

買ってからもしばらくはこたつ机の上に積まれていました。
新幹線の移動中に読み始め、その異様な描写にのめり込みました。おかげさまで授業に遅刻しました。

・読んでみて

本作品は一般にディストピア小説と分類して差し支えないと思います。
多くのディストピア小説は巨大な権力などの人々を支配する機構が見え隠れし、分かりやすいヒールが登場します。
本作の恐ろしい所は、そうしたヒールの存在が薄ぼんやりとしており、それ故以上な既視感を抱かせる点にあります。
と言うのも、私たちが生きている実生活にも分かりやすい明確な敵など存在しない様に見えるからです。

冒頭の引用は、物語の後半部で語られるものですが、事実の様に思えます。
心理学にアッシュの同調実験という有名な実験があります。
被験者は一枚の紙に書かれた棒の長さと同じ長さの棒を別の紙に書かれた3本の棒から選びます。この時、被験者は一人ではなく複数人の被験者(実際は研究者によって用意されたサクラ)と一緒に実験に参加します。
そして、サクラの被験者が誤った解答を意図的にすると、被験者もその同調してしまうというものです。

現代の非常に複雑化した社会システムの中で、私たちはほとんど常にと言っていいほど他者と接近しています。
そして、そうした他者はある種の集合的見解を持ちます。
見解は、しかし、見えているものを見えないものとし、見えるはずのないものをあたかも眼前に歴として存在するかの様に見なすことがあります。
人々の共同体至上主義的愛郷心の暴走は、私にはとても恐ろしく思えます。

(特に現代の日本社会についてここで何か批判めいたことをするつもりはありませんが、)私たちが所属する共同体への無批判な信仰とも呼ぶべき行動は、本作に登場する様なカニが如き所作に象徴され得るのではないでしょうか。

・読食感

悪い生魚特有の嫌な臭いにケミカルな処置を施してなんとか食べられるものにしていると言った具合の魚の切身でしょうか(完全に本作のあるシーンに影響されているがそれほどの臭気を漂わせる作品であった)。
ただし、この食べ物は一緒に作り笑顔で食べてくれる親切な良き隣人が必要です。


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