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死ぬという事。

仕事で20年くらいの付き合いの社長さんが亡くなった。
突然で、ビックリというか半信半疑というか、今でも信じられない感じ。

ひょっこり営業に来そうだけど、
でも、もういない。

亡くなったその日、突然電話がなった。

川での事故死。

僕は30代から、死んだつもりで生きてる。
借金苦で、何度も死のうと思った過去もある。
自殺する勇気はないので、過労死しようと仕事ばかりした。

結果、体調不良で寝込むも死ねなかった。
寝込む時点で、覚悟がないよね。
僕は凄く弱いヘタレ。
体調不良でも仕事し続ければ死ねたのに。
死んだつもりだけだった。
覚悟がない弱い自分。

身近な人が亡くなった。
悲しいというか寂しいというか、なんだか心に穴が空いた感じ。

もちろん仕事の心配もある。
その人から材料を買ってたから、今ある物件をどうしようか。
価格も変わるかな、配達は機能してるんだろうか、次の担当者は誰か、別の会社に変えるか、、、、とか

最後に会話した内容も覚えてる。
その人はもう退職年齢を過ぎていて、それでも引き継げる人がいなくてずっと仕事してた。

でも、もうすぐ引退って言ってた。

引退すれば、何もしない!って言ってたw
昭和時代から今まで頑張ったんだもん。
そりゃ何もしなくていいと思う。
何もしなさ過ぎて、ボケないで欲しいなとも思ったけどw

亡くなる2日前くらいの会話。

死というものは、突然来るんだな。
わかってても、辛いと心が動く。

僕も40まわって、死についてさらによく考える。
今回の突然の知らせで、さらに考えるようになった。

あの人は、後悔なく生きたのだろうか。
あの人は、思い残した事はないのだろうか。
あの人は、言い残したい事はないのだろうか。
この世に想いはなかったのか。

凄くいいキャラの社長さん兼営業さん
悪く言う人はいないんじゃないかな、
僕と違ってw


最近はさらに生死感というか、変化した気がする。
なんでこんなに忙しく仕事するのか。
なんのために仕事するのか。
辞めてしまってもいいのではないか。

僕が見たい世界
やりたい事はいっぱいあるけど、それがなんなんだという思いにもなる。

僕が1人死んだところで、世間は何も変わらない。
モブキャラだしね。すぐに忘れられる。
それでいいんだけど。

あぁ病んでるんだなって自覚w
たまに病みます。
年に数回。

嫌な事だっていっぱいある。
ムカつく事もいっぱいある。
理不尽な事もいっぱいある。

工務店なんて辞めようって。
設計事務所もコーヒー屋も辞めてやろうって思う事もある。

だって僕の人生だもん。
僕が決める。

でも辞められないし、辞めない。

だって、嫌な事もいっぱいあるけど、楽しいって感じる瞬間は癖になる。


死ぬってなんなんだろう。
宗教的なことではないけれど、あの世なんて本当にあるのかな。

でも死んだらこの世でやれる事はなにもない

もしあの世という場所があるなら、あの世でも楽しくすればいいし、なければないでいい。

でも死んじゃうと、この世ではなにもできなくなる。

あぁなるほど。
それは嫌だな

生きてるうちに、やりたい事はやっておきたいなってやっぱ思う。
だってヘタレだし、覚悟がない弱い自分だから。


もうちょっと話しておきたかったな
とか
もっと会ってればよかったな
とか
そういうのは1mmもないかな

年上で協力業者さんでも対等に話をしてくれて、たまにイジってくれたりする存在ってないから寂しいのかな。

大工時代から、ちゃんと話をしてくれた人。
肩書きもないただの大工の僕と、ちゃんと話をしてくれた人。

大工時代は、社長や偉い人たちには僕の存在はないものと一緒のことをされたり、バカにされたり、よく見下されたけど、この人は普通に話をしてくれた数少ない人。

だから想いが強いのかな。

人は突然死ぬ。
僕もいつかは死ぬ。

毎日をもっと解像度を上げて生きよう。
死ぬまで生きよう。
コツコツいこう。

尊敬する人が言ってた

少しでもみんなが楽しく生きれるように最高の場所を作るように努めるって。

ウチのコンセプトは
衣食住のその先へ。

健康は住宅だけではできない
食や衣も大事。
僕が思う衣食住の快適さ、楽しさを感じれる場所を作っていこう。

と。のイベントも同じ

そんな世界って素敵じゃん。
いろんな形のその先へ。

病んでるブログでしたーw

八村

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