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114. 中間管理職と真のリーダーシップとの微妙な半歩の違いは、プレッシャーの下で優雅さを保てるかどうかだろう〜ジョン・F・ケネディ〜

みなさんこんにちは。


今回は、第35代アメリカ大統領に就任したジョン・F・ケネディ大統領の格言に付いて紹介します。

ケネディ大統領は、カトリック教徒として初で、アイルランド系アメリカ人初の大統領となりました。

さらにピューリツァー賞を受賞した唯一の大統領です。


ジョン・F・ケネディとは

1917年、マサチューセッツ州ブルックラインにアイルランド系移民で実業家の次男として生まれました。

10歳まで家族揃ってボストンのブルックライン地区で暮らしましたが、ジョンさんは幼少期からいくつもの原因不明の病気にかかり、病弱な子どもでした。

生まれつき背骨部分に障害があり、怪我をしやすく、激しい苦痛に苛まれていたそうです。

13歳の時にはカンタベリー・スクールに入学したが、ホームシックによる体調不良を理由に家に送り返されました。

兄のいるチョート校に転校しましたが、スポーツ選手として活躍した兄に激しいコンプレックスを持っていたジョンはチョート校での日々も鬱屈したものになりました。


1936年、兄のいたハーバード大学に入学し、在学中は落第点ギリギリでした。

在学中には父がイギリスアメリカ合衆国大使に任命され、ケネディは2度ヨーロッパを旅行し、知識を深めました。

卒業論文ではイギリスのチェンバレン首相と、ドイツのヒトラー総統とのミュンヘン会談を扱った「ミュンヘンの宥和」を書き、大学教授から高い評価を得ました。

「英国は何故眠ったか」というタイトルをつけ、出版し、イギリスとアメリカでは8万部が売れ、イギリスでの利益をドイツ空軍により爆撃され被害を受けたプリマス市に寄付しました。


大学卒業後、陸軍士官候補学校と海軍を受験したが健康状態を理由に合格せず、大使館付き武官だったアラン・グッドリッチ・カーク海軍大佐に頼み、海軍士官養成コースに入りました。

アメリカが第二次世界大戦に参戦した後、海上勤務に転勤になり、1943年大日本帝国海軍と対峙していたソロモン諸島のツラギ島に配属されました。


太平洋戦争では、魚雷艇PT109での経験で、大義のために死んでいくことが疑問で、全面戦争や総力戦という言葉を軽蔑し、送り出すことに目的が明確でなければならないとしています。

そして、大統領に就任した後は、大国同士の戦争に巻き込まれていくのを懸念していました。


中間管理職と真のリーダーシップとの微妙な半歩の違いは、プレッシャーの下で優雅さを保てるかどうかだろう

ケネディ大統領は戦争での兵役もあり、その際に同僚や仲間たちが大義のために死んでいくことに疑問を持っていました。

リーダーという立場の中、仲間を死地に送り込むことも仕事で、国を守ることが第一の目的でした。

ただ、むやみに仲間を戦場に送り込むことには疑問を持っており、目的が明確であることが大事だと言っています。


仲間の命を預かっている中、プレッシャーもかなりかかったでしょう。

大統領になっても一つの判断が大きな結果を残すことは明白です。

そんなプレッシャーの中で、どれだけ優雅さを保ち、余裕のある判断をできるかが、より良い結果を生み出す一つの要因でもあります。

そして、リーダー像としても、判断の際にオロオロしているリーダーより、余裕を持った判断をできるリーダーの方が、自分の命を任せられるでしょう。


そんな状況で、仲間にどんな姿を見せられるのかが、真のリーダーなんでしょうね。


最後に

今回は、第35代アメリカ大統領に就任した、ジョン・F・ケネディさんの格言について紹介してきました。

新しい時代での真のリーダー像とは何か、度重なるプレッシャーの中で、まさに仲間が命を預けるのにふさわしいリーダーとはどんなリーダーかを生きたのが、ケネディ大統領だと思います。


僕もこれから仲間と共に仕事をしていく中で、どんなリーダーであれば着いて来たくなる人なのか、考えながらそんな人になっていくのが理想だなと思いました。

僕は仲間と本気でやりたいことを追いかけ、共に楽しい人生を作ると決めているので、そんなリーダーであれば、どんな行動をするか、優雅さという余裕をプレッシャーの中で生きれるかは、そんな場面を何回乗り越えて来たかだと思うので、毎秒毎秒を本気でチャレンジする日にします。


それではまたどこかで。

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