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僕の夢はHondaに3回お祈りされた-それでも僕がHonda F1を応援する理由

こんにちは、ドイツレースチームでデータエンジニアとして働く山下です。
僕はこれまでHondaの就職面接を3回受けて全てお祈りされています!泣笑

「どうしてもHonda F1で働きたい!」

これが僕の大学1年生の秋に決めた夢であり、その後10年間の僕の支えでした。
少なくとも気持ちの面では Honda F1 を誰よりも本気で目指したと思います。

現在 Honda F1 で働く友人や知人は多くいます。しかし、結局のところ僕とは縁がありませんでした。それでも僕は Honda F1を応援しています。

Honda F1 と出会い、本気で目指し、僕の人生は大きく変わりました。
自動車メーカー開発職を辞めてドイツに飛び込み仕事を探し、現地レースチームで働けていることもその一端です。

僕が Honda F1 を目指す中で努力したこと、得たもの、感じたことを書こうと思います。レース業界志望の学生の中には僕と同じように F1 や Honda を志望にしている人も多いと思います。少しでも参考になれば、当時の僕が報われます 笑
レースに興味がない人も、勝手に燃えている僕を応援してもらえると嬉しいです 笑

(1) 子供時代の回想からHonda F1で働くことを目標にする 

子供の頃から車をはじめとした乗り物が好きでした。特にミニ四駆 (モータで自走できる車のプラモデル) が大好きで、改造しては大会に参加していました。ミニ四駆ブームが去り、周りの友達がゲームなどで遊んでいても、僕はミニ四駆を改造していました。そんな僕ですが、高校生の頃からF1も大好きになりました。当時、F1は深夜ですが地上波で放送されていました。僕は毎戦観戦し、その翌日には友達とレース進行と結果を議論していました。

大学生1年生の秋に「将来どんな仕事が一番楽しいかなー?」とずっと考えていました。1日8時間以上働くなら遊びみたいな仕事が理想だと思っていました。子供の頃に楽しかったことを考えると、ミニ四駆が思い浮かびました。そしてまた暫く考えて、僕はひらめきました。
「F1 エンジニアの仕事は大きなミニ四駆で遊んでいるのと同じだ!」

F1は自動車メーカーが凌ぎを削るモータースポーツの世界選手権です。当時のF1には BAR Honda がジェンソン・バトンを擁して参戦しており、僕は日本メーカーのHondaを応援していました。2006年 ハンガリーGPでの第3期 Honda初優勝は感動しました。

そこから、僕の志望企業は F1 文化のある Honda になりました。
大学1年生の秋に僕の夢は決まりました。

「 Honda F1 でエンジニアとして働くこと!」

(2) 夢実現のための進路変更

夢が決まったのは良いことですが、ここで問題が生じます。
実は当時、僕は大学の理学部 (物理科)で勉強していました。そのため F1エンジニアとは専門が少し異なるように思いました。そこで、2, 3年生を対象とした研究室見学会に、2年生の振りをして参加することにしました。

「どうも違う気がする」これが僕の印象でした。

そして僕は F1エンジニア になる為、工学を学ぶ方法を探し始めます。
最初にトライしたのは大学内で工学部に転籍させてもらうことです。しかし教務課や教授にお願いしても認められませんでした。なぜ??

次に思いついたのは、大学卒業後の大学院受験で工学分野に変更すること。これは可能に思えました。しかし、あと3年間は自分の夢と方向性の異なる物理科で勉強する必要がありました。

大学の帰り道、本屋に寄り大学院受験についての本を見ていた際、近くに"大学編入''と表紙に書いてある本に気づきました。手にとって読むと「学部ごとの試験を受けて合格すれば、大学3年生から入学出来る制度」と記載がありました。僕は「これだ!」だと思い、早速その本を購入しました。

帰宅して読んでみると、工学部の編入試験に関しては主に高専(工業の高等専門学校)の学生が受験する試験でした。そして、殆どの大学の受験資格は、
「高専生であること」 または
「他大学の工学部で所定の必要単位を取得見込みであること」
となっていました。

この為、他大学の理学部である僕が受験可能な大学は限られていました。
僕は受験資格から選んだ5, 6校をさらに調べ、最終的に筑波大学を志望校に決めました。

筑波大学を選んだのには理由があります。
各大学の研究室を調べながら僕が考えていた事は、

「どうすればHonda F1に就職出来るのか?」
「どの研究室に行くのがHonda F1への近道なのか?」

の2点です。

筑波大学大学院のホームページには、修了(卒業)生のインタビュー記事が掲載されていました。僕はその中から「Honda F1 でエンジン開発に携わっている」Uさんの記事を見つけたのです!

単純な僕は、「筑波大学に入学してUさんと同じ研究室で勉強することが Honda F1 への最短経路だ」と思い志望校が決定しました。

(3) 編入試験と大学合格

志望校が決まり、僕は両親に相談します。
「F1 エンジニアを目指すこと」
「そのために予備校に通い勉強し、編入試験を受けたいこと」

予備校は僕がインターネットで見つけた編入試験対策の学校で、既に受ける講座も決めていました。受講費用は車を買うために貯めていたバイト代で支払えそうでした。

両親は驚いていましたが、説明すると大きな反対はされませんでした。
ひとつだけ条件として言われました。
「現在、通っているO大学は休まずに単位も取ること」
僕は約束をして正式に筑波大学を目指すことになりました。

その日から大学授業後は予備校で勉強することになりました。試験は5月で、この時点で既に2月だった為、準備期間は3ヶ月しかありませんでした。

それでも僕の中では Honda F1 に繋がる道が見えた気がして、やる気に満ちていました。時間を無駄にしないため、O大学の講義は真面目に受講しました。サークル、バイトは辞めて空き時間の全てを受験勉強に費やしました。

大学受験時より真剣に勉強しました。いつの間にかO大学の"物理数学"と”解析力学”という専門講義では1年生後期の通算得点がトップになりました。

数学と物理は自分の専門に近かったため勉強し易く、過去問、模試などでも順調に勉強の成果が出ており自信がありました。

しかし、英語は不安要素で試験2週間前に解いた過去問では15/100点で壊滅・・w
実は高校生の時から英語は苦手でした。

しかし試験当日、僕にとって幸運な事が起こります。
英語の長文内容が線形代数の教科書を英訳したような問題だったのです。しかも前日に復習していた箇所だったため英文の内容が推測できました。過去イチの手応えで半分くらい取れた感覚でした。勉強の甲斐もあり、数学と物理は問題なさそうでした。

数学と物理の試験が終わり解答用紙が回収される際、僕は周囲の受験者の解答用紙 (記述式) がほとんど空白だったのが見えました。僕は「絶対に合格した!」と思いました。

つくばからTX(つくばエクスプレス)で秋葉原に向かう帰路の景色は田んぼばかりでした。来年から始まるであろう田舎暮らしに一抹の不安を覚えましたが無視しました 笑

そして僕は合格して晴れて筑波大学で工学を学べることになりました。
 僕は一歩、 Honda F1 という夢に近づいた気がしました。

(4) Honda F1エンジニアに会う

筑波大学の工学システム学類 (他大の工学部に相当) への入学後、僕はM先生の部屋を訪ねました。M先生は、Honda F1 で働くUさんが所属した研究室の教授でした。Uさんは僕が大学院ホームページの記事で見つけたOBの方です。

M研究室で勉強したい旨を伝えましたが、残念ながらM先生は退官間際で「もう学生は指導出来ない」と言われてしまいました。それでも一緒にゼミを行うK研究室を紹介してもらいました。またM先生の協力もあり、僕はUさんと会う約束を取り付けることが出来ました。

Uさんとの約束の日、僕らは大学近くの"ハンバーグ爆弾"というレストランで晩御飯を食べながら話をしました。

僕はHonda F1で働きたい理由、筑波大学の卒業生インタビューでUさんの記事を読んだことを説明しました。

U: HondaでF1エンジニアとして働きたいの?
僕: はい、そうです。その為に工学システム学類に編入しました。
僕: 何か在学中に準備できることが有れば教えてほしいです。
U: 先ずは研究は真摯に取り組むこと、研究を進める上での計画の立て方や論理的な考え方はエンジニアになった時に必ず活きるから。
僕: 分かりました。M先生は退官なのでK先生の研究室に入ります。
U: K研も良いところだと思う。研究も活発でエンジン開発なら燃焼系で合っている。実際には研究内容が100%仕事の専門性と合うのは稀だから、その基礎を学べれば問題ないよ。
U: あと山下くんって英語出来る? F1で働くなら外国人とコミュニケーションとったり英語の資料も読まないといけないよ?
僕: 英語は嫌いだし苦手です…
U: じゃあ、勉強しといた方がいいよ。絶対に必要だから!
僕: 分かりました、勉強します

その後は僕が持参してきた質問リストに答えてもらいました。Uさんは可能な範囲で仕事についても教えてくれました。目標にしていた人に会えて、また現場の話が聞けてすごく嬉しかった事を覚えています。

(5) 大学、大学院時代からHonda面接へ

僕はUさんにアドバイスされた通り英語と研究にかなり力を注ぎました。
英語:英会話学校に通い、TOEICも2年かけて340点→700点に
研究:カリフォルニア大での国際学会発表、国際雑誌掲載 (査読有り)
研究は複数テーマを掛け持ちし、没頭し過ぎて人生初の貧血で倒れたこともありました... 笑
Hondaの就活面接で少しでもアピールするために研究成果を出そうと必死でした。

その他、少しでも情報が欲しかったので F1チームに対して、
「 F1エンジニア になりたいからアドバイスが欲しい」
という旨のメールを、ホームページでアドレスを見つけた全チームに送りました。

ほとんど回答はありませんでした。しかし、Williams F1チームからは「大学工学部の勉強を頑張りなさい、Oxford Brookes Universityで勉強するのがお勧め」と回答がありました。この大学にはモータースポーツ学部があり非常に興味を持ちましたが、留学費用がかなり必要でした。僕はUさんのようにHonda F1を目指していたこと、また筑波大学に編入した直後だったため、大学は変えないで勉強を頑張ることに決めました。それでもWilliams F1チームが少し好きになりました。

国内レースチームにもメールを書き、実際にRレーシングチームのテストに同行させてもらいました。また当時のSuperGT500クラスに参戦していた Honda HSV-010 車両の開発責任者を訪問してアドバイスをもらいに行ったりしました。

ちなみに当時の僕はF1レースを深夜放送で観戦し、さらに翌朝からはその録画をほぼ毎日見ていました。そのため放送から2, 3日後には実況を聞けばレース展開分かるというTV画面要らずの状態まで昇華させていました 笑

僕は自分以上にHondaに適任な候補者はいないと思っていました。

そして就活が始まりました。Hondaの学内推薦は定員枠以上の希望者がいましたが勝ち取りました。そして本番、僕が面接で話したことは

「電気自動車のレーシングカーを走らせましょう!そして電気自動車のF1を立ち上げましょう! Hondaでなら出来ると思っています!!」

面接官は唖然としていました。僕はなぜ電気自動車のレースなのかを熱く説明しました。しかし面接官の反応はイマイチでした。

下図は最近見つけた学内選考やHondaに提出した資料の抜粋です。ちなみに3年後の2014年から電気自動車のF1と呼ばれるFormula Eが始動しました。このFormula Eは2020-21シーズンにはF1と並ぶ世界選手権に格上げされています。結果的にはそんなに悪くない提案だったと思います (2020/10/26 追記)。

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ただし、僕が成果を出した研究はエンジンの基礎となる"燃焼系"です。当時はまだハイブリットカーの割合も少ない時代でした。そのため色々突っ込みどころ満載でした。それでも僕は、夢を語れば合格出来ると信じていました。

"The Power of Dreams" が原動力のHondaが僕を落とすはずがない !

この勘違いと過信により、僕はHondaから1度目のお祈りメールを受けることになりました。

(6) 国内レースと Honda F1中途採用面接

結局、新卒採用ではHondaで働くことは叶いませんでした。しかし、幸運なことに、ご縁がありドイツ系自動車部品メーカーのモータースポーツ部門で働くことになりました。電気自動車とは異なりますが、専門は電装システムでした。
当時の僕の目標は、ドイツ本社に赴任してレース本場欧州の技術を学ぶこと。そしてチャンスが来たときに Honda F1に転職できる実績と能力を身につけることでした。

1日でも早く一人前のエンジニアになるため、学べる事が多そうなプロジェクトは自分で手をあげて担当になりました。入社2年目からは国内トップカテゴリであるSuperGT500クラスの担当となり、全国のサーキットで技術サポートを行いました。3年目には、当時の日本支社内では初の車両全体の電装設計を担当しました。土日も休みがなく、またプレッシャーも大きく大変でした。しかし、その車両は後に年間チャンピオンにも輝きました!

ちょうどその頃、当時の上司から「Honda F1の求人が出ている」と教えてもらいました。募集職種はパワートレイン開発でハイブリットシステムの領域。今回の求人は電気自動車ではありませんが高電圧系システムとしては同じ括りになります。迷う理由はありませんでした。

「もう一回 Honda F1 を受験しよう!」

書類を提出し、1次選考、2次先行を通過して最終選考に残りました。最終選考でも手応えは悪くありませんでした。
しかし、僕は再び落選。2度目のお祈りメールをもらいました。僕が大学生の時から目指したHonda F1 に一番近づいた瞬間でした。言葉では言い表せないほど落ち込みました。しかし数千人、数万人? (関係者の伝聞) の申し込みがあった中で、最終選考まで残れた為「いつか Honda F1 に携わることも不可能ではない」とも感じました。

数年後、僕は自動車メーカーの量産開発部門に転職しました。そこでは量産開発について学び、またモータースポーツに戻るつもりでした。
ちなみに転職を考えた時、Honda に応募しましたが書類選考で落ちています。これが3回目のお祈りです 苦笑

(7) それでも僕が Honda F1 を応援する理由

僕は今でもF1が大好きです。モータースポーツに携わる以上、いつかはトップカテゴリのF1で働きたいと思っています。
しかし、Honda F1 を目指す中で、僕はもう一つの大きな目標を見つけました。
それは
「社会に価値を生むモータースポーツを創ること!」です。

現在のモータースポーツはファン目線では娯楽であり、企業目線ではプロモーション活動です。しかし、過去のモータースポーツには "走る実験室" という役割もあり、多くのレースで培われた技術が量産開発にフィードバックされていました (エンジン燃焼改善、クラッシャブル構造 etc.)。つまり、興行面以外にもモータースポーツは社会に価値を生んでいたという事です。

僕はこの”走る実験室”の役割が、近代モータースポーツには不足していると思っています。量産開発においては「電動化」「自動化」「コネクティッド」「シェアリング」など技術革新が進んでいます。その一方でモータースポーツでは一定規模のイベントにおいて、電気自動車のF1と呼ばれる Formula E を除けば、エンターテインメントの意味合いしかありません。

2008年のリーマンショックによる金融危機の影響でHondaはF1から撤退しています(第3期)。当時、まだ学生だった僕は目標が突然消えて非常に落ち込みました。その時、僕はモータースポーツの社会的価値自体を上げていかないと企業はレース活動を継続出来ないと思いました。これがHondaの新卒採用面接で、僕が「電気自動車レース車両の開発をしたい!」と提案した理由です。

僕は現在、ドイツレースチームのデータエンジニアとして働いています。
正直、大学入学直後の僕は、英語が大嫌いな自分が海外で働くことになるとは夢にも思っていませんでした。未だに Honda F1では働けていません。しかし、僕の世界は大きく広がり、楽しい人生を歩んでいる気がします。

Honda F1 を目指している中で、僕は沢山のことを学び、大きく変わりました。

・Honda F1 の夢があったから従来の自分の100% 以上の努力ができました
・努力に対して成果を出すことが出来た為、自分に自信がつきました
・沢山の親切な人、尊敬出来る人に会うことが出来ました

個人的な経験ですが、何か一つ夢や目標に向かって進んでいると自分の世界観が変わってきます。そしてまた異なる夢や目標が見えてきます。

僕は Honda F1を目指す過程で「やってみたいこと」、「興味があること」がどんどん増えました。ドイツで働くこともその中の一つでした。まだやりたいことリストは半分も達成できていません。

この状況は結構幸せです。
そして、僕が大きく変わる為の夢を最初に与えてくれたのは Honda F1 でした。

HondaがF1で活躍すると、きっと誰かが夢をもらいます。
本気で目指してチャレンジすれば、失敗してもマイナスにはなりません。

だから僕は Honda F1を応援します。「ずっと応援してます!頑張れ Honda !」

おわり


後書き(2020/10/26 追記)
10月2日、Hondaは2021年シーズンをもってF1参戦を終了すると発表しました。コロナによる景気後退は、僕が最初の目標を失うきっかけとなった2009年リーマンショックに通じることがあります。無観客でのイベントなどレース業界は苦しく、業界全体が存在価値を問われています。僕は一人のエンジニアですが、上述した「社会に価値を生むモータースポーツを創ること!」を目標としています。壮大すぎるこの目標へのアプローチを僕はずっと悩んでいましたが、最近になって最初の一歩が見えてきました。苦しい時こそチャレンジを大事に、この目標を少しずつ形にしていこうと思います。具体的になったらまたnoteで書かせて頂きます。

拙い長文になってしまいましたが、読んで頂きありがとうございました。
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