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わたし達が、アートに触れる意義

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こんにちは。本多理恵です。

わたしは、本来の自分らしさを表現していくことで、その人にしかない価値を提供しながら、自己実現していきたいと感じていらっしゃる方に、その実現方法をレクチャーする仕事に携わらせていただいております。

さて、本日は以前、お客さまにはお話しする機会もあったわたしの世界観についてお書きしていきますね。

「わたし達が、アートに触れる意義」

わたしは、小学生から大学生にかけて書道をしていました。

あまりお話しする機会はなかったりするのですが、卒業論文のテーマも実は、書道でして(笑)

もちろん、文学も好きでほかのテーマでもよかった気がしているのですが、なんか、書つまり、アートを卒業論文のテーマにしたかったんですよね。

そして、そのアートに触れる意義についてどうしても発表したかったのです。

わたしの卒業論文のテーマは書の中でも"漢字仮名交じり文"でした。

でも、面白いことにわたしは、漢字仮名交じり文は得意ではないんです(笑)

得意な分野は篆書・隷書といわれる独特の字体。

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けれども、わたしが伝えたかったアートに触れる意義をお話しするには、漢字仮名交じり文。

つまり、どんな方でも親しみやすい字体がピッタリなんじゃないかって感じていたんですね。

そのときの発表はこんな感じでした。

書くものは、紙でなくてもいい。筆を使わなくてもいい。

指でも、その辺りにある草を筆がわりにしてもいい。

そして、うまい下手を気にすることなく楽しみながら、自由に書いていったらいいのではないか。

そうやって、身近なものを使って「書」という「アート」に触れていくことで、「感性が磨かれる」そして、その「感性」とは?

わたしたちがいる街(世界)はアートであり、自分は、その街というアートの一部なんだ!という意識。

そういう意識で過ごしていくこと。

自分が街というアートの一部だとしたら、自分が選ぶもの自分が身につけるもの自分の言動・・・すべてにおいて、その視点で選びたくなる。

鉛筆1本選ぶにしてもそう。

この1つの選択が街を彩る。街をつくっていく。そういう目で見たくなる。

アートの中の一部としての「わたし」がどのように在るのか?

これが、街というアートを左右するから。

そのような感覚を養うためにわたし達は、アートに触れる必要がある。

学生時代のわたしはこんなことを卒論発表会で話しました。

「わたしは、街というアートの一部」

この感覚はわたし自身、今でもとても大切にしています。

街という全体の中の「わたし」という意識があったりするんですね。

世の中全体が沈んでいるときには、あえて、明るい服を着たりして。軽やかに歩く。マスクの下も笑顔。

そして、少しでも世の中全体が明るくなりますように。

できるだけ、わたし自身の「美意識」にそった、「わたし」でありたいと感じています。

あなたは、どのようなアートをつくっていきたいですか?

どのように「街」を彩っていきたいですか?

「街」というアートをつくるアーティストとして。
「街」を彩るアーティストとして。

わたし達は、「わたし」を表現していく。

そんな世界を皆さんとともに見ていけたらいいなと感じながら、

今のお仕事をさせていただいています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました^^

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