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魚自体よりも、魚を獲る方法の方が大事。

人間、というよりも動物は目の前の利益(エサ)に食いつくようにプログラムされている。

当たり前だ。

目の前のメリットを取らなければ死んでしまうし、次の世代へと種を継続できない。

生存戦略としては、ごくごく当たり前の選択だ。


しかし、人間というこの地球上では最も知能が発達したとされる動物は、それだけを追求していては少し不都合が生まれる。

社会性を獲得し、相互的に利益の融通を図らなければいけないような生き方を数千年前から行っている、発端は農耕だろう。

富の独占と集中、小作農の管理、収穫物の分配などから社会制度を発達させていき、様々な発明や技術的進歩をしてきた。

今日明日の利益を追求する姿勢だけでは、将来に発生するかもしれない飢饉や災害、戦争に「備える」ことができなくなってしまう。

そうして目先の利益よりも、将来の獲得できる成果を重視することとなっていく。

そうした研究は、ゲーム理論や高等数学の伴う経済学の他、分野別に発達している。

文化人類学やゲーム理論を通じて考えるのは

やはり、魚自体も大事だが、魚を獲る方法にこそ価値があるのではないか、ということだ。

アフリカなどの地域において、就農支援やインフラ整備の技術支援が必要とされる際に、求められるのは成果物ではなく、成果物を獲得する生産手段を再現性のある形で導入することだろう。

目先の物資では短期間での単発支援にはなるが、持続的発展には繋がらない。

やはりここでは成果物も大事だが、生産手段の確保こそ重要となる。


発展と安定を求めるのであれば

魚よりも、魚を獲る方法こそ重要だと考える。

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