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小説:帰国子女はずるい:子供は絶対バイリンガル

「キャレン、ノー。ユー プレイ ウィズ ヨゥラ フレンズ ヒアール   
カレン、ダメよ。こっちのお友だちと遊びなさい」  

東京の瀟洒な高級住宅地の一角にあるプリスクール。三歳になった三女のカレンを連れたあたしは、勇んでスクールの中に足を踏み入れた。 

シンプルかつエレガントな作りのホールには迎えの先生方がおり、あたしたちは自己紹介をして中の教室まで連れて行ってもらった。 

プリスクールの大きな教室には、大きな籠に入ったおもちゃとカラフルな沢山のクッション。テディベアなどのぬいぐるみや木の積み木などありとあらゆるおもちゃが用意してあった。小さな子供サイズのテーブルと椅子も揃えてあり、壁には青やオレンジといった鮮やかな色のペインティングが施してあった。 

教室の窓際にはゆったりした椅子が並べてあり、そこで父兄が授業が始まる前の10分間だけ子供の様子を見ることが出来る。 部屋に入った三女のカレンは、大好きな積み木のオモチャで遊んでいた肌の浅黒いアジア人独特のべったりした黒髪の男の子と遊び始めた。
 
一見日本人にも見えなくもない男の子。 もし日本人なら、アメリカ大使館のプリスクールに入れた意味が無い。 

ここは東京の中心街の閑静な一角にある、アメリカ大使館の職員の孤独感達専用のプリスクールだ。 大使館とあってはさぞやアメリカ人の子弟で溢れ帰っていると思いきや、日本人の子供達があまりに多すぎて、あたしはがっかりしていた所だった。

大使館の職員には日本人もいる。その人達の子供達だった。 

せっかくアメリカ大使館のプリスクールに入ったんですもん。カレンはきちんとしたアメリカ人のお友だちと遊ぶべき。 あたしはカレンを抱き上げると、部屋のもう片隅にいたブロンドヘアの男の子と女の子の所へ連れて行った。

「さあ、キャレン、楽しく一杯遊んできてね」 

「Is daddy coming home early today?」 

「ドントワリー。ヒー ウィル カム ホーム スーン」

それを聞いてカレンは破顔一笑すると、二人の子供たちと一緒に元居たおもちゃの場所に駆けていった。 ああ,日本人のこどもの居る所に戻ってしまうなんて!これでは今日の午後には英語では無くて日本語を覚えてきてしまうかもしれない。私はがっかりしながらプレスクールの教室から重い足取りで出た。

あたしの再婚相手はジェレミー・ハントといって、在日アメリカ大使館で一等書記官を勤めている。大使館中でも次のポジションは日本国外で次は大使に任命さるのではと噂をされていた。 

アメリカを代表して日本での窓口になる大使館。そこであと少しでトップになれるジェレミーは周囲の期待も篤いベテランの外交官だ。 語学に長ける人で、仕事で使うのは四か国語。英語、フランス語、スウェーデン語と日本語を流暢に使う。

その語学力の高さを評価され、時間のある時には外交官たちの語学教師としてボランティアをしていた。彼の語学に対する意気込みと熱量は高く、「言葉と結婚している」とからかわれる程だった。

そんな彼と出会ったのが英語教師を対象としたお見合いパーティーの席だ。

六年間のアメリカ生活を離婚と言う形で打ち切って来たあたしは、次の伴侶を探すためにお見合いパーティーに参加し、アメリカ生活で身に着けたアメリカの空気と雰囲気と物腰を辺りに思いっきり振りまきながら部屋を一周して席に着いたところ、ジェレミーに話しかけられた。

「日本のどちらにお住まいですか?」

「外国にいらっしゃったことは無いですよね?どうして英語に興味を持たれたのですか?」

「一度はアメリカに行って見ませんか?国外にでて地元の人達の間で言葉を学ぶと、日本にいるよりも数倍の速さで語学が身につきますよ」

矢継ぎ早に失礼極まりない事を言ってくるジェレミーに腹を立てたあたしは、席を蹴って立ち上がり、部屋の反対側にあった別の椅子に腰かけた。

国外に出たことが無いですって?あたしはこの六年間、一度もアメリカから日本に帰ってきたことが無いのよ?学生時代にアメリカの超一流大学に一年留学し、その後も仕事で一年以上滞在し、アメリカにはすっかり馴染んでいるあたしに対していう事なの?

てっきりバカだと思っていたジェレミーが外交官だという事を耳にしたあたしは、途端に興味がわいた。

外交官なら前の夫と同じくらいの高給取りのはず。

前の夫との末娘をバイリンガルに育てるためにこのお見合いパーティーに参加したあたしは、あたしのこれまでの輝かしい経歴に相応しい相手を求めていた。有名大学で学び、世界でも有名な企業で勤めていて、子供の教育に熱心な人。外交官と言う立場は、サラリーマンとは比べも無い程ステータスや財産のある立場だ。この人ならもしかしたら末娘のカレンに最高のバイリンガルになる環境を与えてくれるかもしれない。

お見合いパーティーの途中であたしはジェレミーに話しかけた。自分がこの六年間ニューヨークに住んでいたこと。学生時代や社会人になってからもアメリカで生活したことがあることなどを話した。するとジェレミーはこんなことを言った。

「いやー,それにしても見事にアメリカに染まらないで帰国されましたね。日本から一度も国外に出た事の無い人の様ですよ。それだけお子さんに熱心に日本語教育をされるために維持されていたのでしょうね。あなたには外国に住んでいた日本人の雰囲気が全くない。それは良い事です。娘さんに自分のルーツを教えるには、まずは親が自分の文化や習慣を維持しなければなりません。それをあなたはやってのけたのですね」

失礼極まりない言い方の中にちりばめられたあたしへの賛美を、あたしは複雑な思いで聞いていた。

前の夫にも言われたアメリカに染まっていない見かけの自分。聞く必要も無いと思って無視していたが、前の夫から言われても聞き流して忘れてしまうようなことを、この人は良い点だと言って褒めてくれる。そのギャップに心が惹かれ、あたしたちは定期的に会う様になり、出会って半年で結婚した。

まだ一歳になったばかりのカレンはジェレミーにすぐ懐いた。カレンと同じ金髪で青い目のジェレミーは、一緒にいると本物の親子の様に見えた。

ジェレミーは家でもカレンと話すときはほんの少し訛りのある日本語で話していたが、コミュニケーションの問題は無かった。

彼はアメリカ人の両親の元にフランスで生まれて18歳までを過ごし、パリ大学を出た後、アメリカの大学に入りなおして猛勉強の末に国際法や外交を勉強し、公務員試験にパスした。18年間アメリカ市民だという気持ちは消えず、いつか自分の住んだフランスとアメリカを繋げる気持ちがとても強い人だった。
 
彼のアメリカに賭ける情熱はあたしとまさに重なり合っていた。 約二年間暮らしたアメリカの西海岸。六年間過ごしたニューヨーク。これだけ住めばもうあたしも地元の人間と言っていい程の滞在経験がある。

ニューヨークでは離婚した夫との間に設けた二人の子供のバイリンガル教育のために買い物と散歩以外はほとんど外に出ることも無く、家で子供たちに日本語を教えることに躍起になっていた。それが原因の一つになって離婚したのだが、新しく結婚した夫は全く違っていた。 

「マリナが良ければ俺が日本語と英語でカレンと話すよ。フランス語が混ざるかもしれないけどいいかな?大使館から家は近いし、18:00過ぎには大概家に帰れる。そこからカレンの寝かしつけも出来る。

週末は家族でとにかく出かけよう。 俺が一番大切だと思うのは、カレンがしっかりとしたバイカルチャーの人間に育つことだと思う。言葉もそうだけど、日本の文化をしっかり吸収して、家ではアメリカ式の文化を教えればいい。 

夏休みは俺の実家のあるテキサスに行ってもいいし、他にもカレンが行きたがるようなキャンプがあればそこに行かせてあげるのもいい。カレンのキャンプの間、俺たちは近くを旅行していればいいわけだしね。 冬には君のご両親の元で年末年始を過ごすのはどうだろう。俺、日本の年末年始が大好きなんだよ。カレンにもぜひ味あわせてあげたいと思う」 

「ジェレミー、みんないいアイデアだと思うわ。それに一つだけ加えて良い?夏にアメリカ,冬を日本で過ごしたら,次はそれの逆をやるの。夏は日本、冬はアメリカで過ごすのよ。そうすればカレンもアメリカンスタイルのクリスマスと新年を過ごせると思うのよね」

「完璧。それじゃ,早速今年の冬からやってみよう。アメリカと日本、どっちに行く?」

「そりゃあもちろんアメリカでのクリスマスと新年でしょう!」 

そんな計画を立てながら、その年の九月にカレンはプリスクールをスタートさせた。 毎朝,プリスクールの入り口は見送りの親でごった返しだ。

スマートなスーツに身を固め、ハイヒールの靴音高く現れる人。
スポーティーな,まるでジョギングの最中に子供を預けに来たように見える人。
全くの普段着で、これからスーパーにでも買い出しに行くかのような人。

人種もごっちゃで、日本人が多く居るものの、中南米人の様に見える人、白い肌の人、黒い肌の人、どの人種と言っていいのか分からない人もいる。

その朝、あたしは初日に見た黒いべったりした髪の男の子を連れた女性の後姿を見た。中南米とも分からない、少し日に焼けたオリーブ色の肌と肩先まで届くまっすぐなこげ茶色の髪、落ち着いた緑色の上下のスーツに身を包み、黒いパンプスを履いていた。 

あたしは何時ものようにダナ・キャランのシャツの襟を立て、下には揃いのスカートを履き、小さい身長をカバーするために7センチのヒールを履いている。カレンには母からのプレゼントである,ローラ・アシュレーの花柄のワンピースを着せた。高級品とは聞いているけど、イギリスのブランドなど質が悪いと聞いているし、すぐに駄目になってしまうだろう。遊び着で使ってしまえばちょうど良いと思っていた。 

プリスクールの入り口で毎朝のハグとキス、「ハバ ナイスタイム!アイラブユー!」の合図でカレンは部屋の中へと駆け出して行った。

ふと見ると、先ほどあたしたちの前を歩いていた緑色のスーツの女性がこちらを見ている。
 
「 Are you a Japanese ? My son said your daughter was so nice to him」

「イエース,アイマ ジャパニーズ。ホワッチャ ネーム?」

「I’m Yolanda. And I’m Spanish」

「アー ユー フラム スペイン??」

「Oh Yes ! But I was born in the States, and grew up in Spain. 」

「ソー,ユー アール アナメリケン グリュー アップ イン スペイン?」

「No, no. My parents are Spanish. They lived in the States for a while and I was born there. We went back in Spain when I was ten」

「オー,アイシー! バット ユー ハブ アメリケン パスポート、ノー?」

「Oh yes, I do have an American passport. I just wanted to thank you to your daughter for being kind to my son. It’s his first time here, and he said he has been nervous. But with your daughter always beside him, he was so happy. I also heard that your daughter even took him to a group of children and they all had so much fun together」 

え、何?カレンはあの男の子と仲良くしてたって言うの?日本人の血が混じってるのかもしれないのに・・・それに母親もスペイン人だか何だか知らないけどアメリカ人っぽくないし、何だって言うのよこの親子は・・・せっかくカレンにアメリカの教育を受けさせられるのに,スペインの子供と付き合うとか言ってたら台無しじゃない。

あたしは気の無い返事をした。 「ノープロブラム。アイム ショアー キャレン ワズ ハッピー,トゥー」 

こうしてあたしはヨランダと知り合った。

ヨランダは親の意向でマドリッドのアメリカンスクールで育ち、ハイスクールを卒業した後はワシントンのジョージタウン大学で世界国際関係学を学び,そこで現在の日系アメリカ人の旦那様と知り合ったという。 

「He is a half Japanese, half American, so our son is a sort of mixture of East and West. I believe your daughter is, too?」 

「イエース,シー イズ ボウス ジャパニーズ エァンド アメリケン」 

他愛もない話をしながら、あたしはヨランダの経歴にむかむかしていた。スペインのアメリカンスクールを卒後してアメリカの大学に進学ですって?あたしがアメリカの高校卒業資格のSATの事さえ知っていればいとも軽くアメリカに行けたはずなのに。ああ,あたしの様に優秀な生徒がなぜ日本の小さな大学でうずもれていたなんて。国家の甚大なる損害にも値するわ。 

それにしてもヨランダの服装が気になる。朝っぱからこんなかっちりしたスーツに身を包んでどこに行くつもり?あたしはそれとなく聞いてみた。 

「Oh, I am going to volunteering. I am teaching English to the staffs of American Embassy. I have a teaching certificate of English, so at least I am legitimate.」 

教員資格まで持っているですって?国際関係高何だかわからないけど、大学での勉強をおざなりにしてきたのかしら。 

「There’s a two-year course which you can enroll. I think there are few TEFL courses available here in Japan as well. I enrolled the course when I came to Tokyo, and started to teaching since last year. Are you interested ?」 

「ゥアット ダズ テフル スタンズ フォール?」 

「TEFL stands for Teaching English as Foreign Language. We teach people at class of EFL. I think in America it may be more popular to say ESL, English as a second language. But in Europe, many people are already bilingual of two languages before learning English, so it is better to say it as “English as Foreign Language”」 

そこはかとなく興味を持ったあたしは,頷いた。せっかくこれまでの人生で磨いてきたあたしのアメリカン・ネイティブの英語。それを使う機会が出てくるんじゃないかしら。

その晩、ジェレミーが帰ってくると、それとなくTEFLの資格について聞いてみた。

「外国人に英語を教える資格か!満里奈、ぜひトライしてみなよ。家事や育児は大変だろうけれども僕もカレンの世話をするから。なにより満里奈が自分のために何かをトライしたいと言ったのは初めて聞いたよ」

「そう?ただあのプレスクールに来る父兄の英語はボロボロよ。日本語しか喋れない人の方が多いんじゃないかしら。あたし,優秀な生徒にだけ教えたいのよね。もう英語が身についていて,そのブラッシュアップのためなら、あたしのネイティブな英語も威力を発揮できるのに」

「満里奈、そこだよ、チャレンジすべきところは。困っている人に手を差し伸べてあげる。そしてその人を導いてあげて高みにもっていってあげることが出来るはずだよ。満里奈もアメリカ生活が長いんだし、アメリカの体験を交えて教えてあげることも出来る。買い物から日常会話から、タクシーの捕まえかたから・・・思い浮かぶだけでもどんどん教えてあげればいいんだよ。聖母マリアの様に暖かく生徒さん達を見守ってあげて、出来ない人こそを助けてあげるのが良いんじゃないかな。

聖母マリア!!

ミッションスクールだった大学生時代に散々聞かされていた名前。

慈愛に満ちた美しき聖母マリアは人々から称賛され、皆が平伏して膝まずく存在。

そんなマリア様に成れるのであれば、もうあたしの心は決まった。

英語のできない可哀そうな人たちに少しでも手助けをして導いていく。英語と言う語学を生徒さんに伝え、生徒さんから全員から感謝されている自分が今からもう目に浮かぶ。

英語が出来ない迷える子羊たちを慈愛をもって導くアメリカン・ネイティブのあたし。

ボランティアグループからも称賛されて、「絶対に必要不可欠の人」とボランティアを続けるように懇願される。

将来像が描けたとたん、即座にあたしはジェレミーに言った。

「TEFLのコース、あたしは取るわ。絶対に最優秀成績で通過して見せる。


(続く)

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