見出し画像

世界のお酒と歴史:ラム酒のカクテル モヒートの歴史

「モヒート」というカクテルの名前を聞いて、皆様は何を思い浮かべるだろうか。

ここ数年の灼熱の夏の夜、居酒屋で仲間と一杯やっているときの事の時もあるだろうし、夏のアメリカなどに旅行に行ったときの思い出のカクテルのこともあるかもしれない。

文学好きの人であれば、パパ・ヘミングウェイが愛した二つのカクテルのうちの一つだろうし、映画好きの人であれば、ジェームス・ボンドがキューバに行ったとき律儀に飲んでいたのがこのモヒートだったことがちらっとご記憶にあるかもしれない。

モヒートはここ数年、居酒屋などでもすっかり親しまれるようになった。巷では「モヒートブーム」とも言われている様だ。酒造メーカーがモヒートのボトルを日本でも販売するようになり、確かに手軽に飲めるようになった印象がある。

ラム酒ベースのこのカクテルは、キューバを代表するカクテルの一つだ。ミントとライムが入ったすっきりした味わいと、グラスが汗をかく程の冷たさが特徴で、蒸し暑い夏場の熱気を吹き飛ばすには相応しいカクテルの一つだと思う。

私がこのカクテルに出会ったのは、十年ほど前、旧友と二十年ぶりに再会して食事をしたときのことだ。南国リゾートをテーマにしたカフェに入った時、旧友がノンアルコールの「モヒート」というカクテルを注文した。どんな飲み物なのか、当時は知識が無かったのだが、グラスに入った涼しげな淡い緑のカクテルにミントの葉が付いたこの飲み物、「モヒート」という名前が印象に残った。

その数年後、世界がコロナに巻き込まれた。二年目にしてようやくコロナ渦が徐々に収まりはじめ、飲食店も少しずつ大人数の予約を受け入れ始めたある夏のこと、先輩社員の栄転を祝って同僚達が居酒屋で一席を設けた。その時盛んに皆で注文したのがこのモヒートだった。

すっきりした味わいのこのカクテル、私たちはジョッキで何杯も注文し、コロナ渦で遠ざかっていた宴会という場を心行くまで楽しんだ記憶がある。暑い盛りという事もあって盃が進んだことは確かだが、蒸留酒のラムを使ってあるせいだろうか、悪酔いをする人はおらず、翌日も皆二日酔いをすることも無く、出社して何事も無く仕事に励んでいた。

このモヒートが生まれた歴史には諸説があって、それぞれが興味深いものだ。

そこには「壊血病」という病気がキーワードとしてちりばめられている。

一説では、南米のインディオ達が薬草であるハーブを求めてキューバを訪れた際に、アグアルディエンテというサトウキビを原料とする、後のラム酒の原型となったお酒とミント、そしてサトウキビから作られるシロップを混ぜ、壊血病の薬を作ったと言われる。このインディオ達が、世界で最初のモヒートのレシピを作った、という説もあるようだ。

一般的には、モヒートの原型を作ったのは大航海時代のイギリスの航海者で海賊とも言われたサー・フランシス・ドレイクの乗組員の一人だと言われる。16世紀の後半からイギリスを出発して世界を航海し続けたドレイクは、大西洋経由でアメリカに行き、当時スペインが進出していた南アメリカ地域でスペインの船や植民地を襲って金品を強奪するなどの行為を働いていた。

 

16世紀から18世紀、まだ医療も発達していなかった時期に長距離を船で移動する海の男達が常にさらされていたのが壊血病という病気だった。これは新鮮な果物や野菜から採れるビタミンCの欠乏によっておこる病気で、身体の表面には大きな潰瘍が広がり、血管に損傷を与える酷い病気だ。

ドレイク達が偶然モヒートというカクテルを作ったのも、この壊血病を治すためだったと言われる。ある時の航海で、ドレイクはスペインの植民地化にあったキューバに足止めされた。乗組員の大半が病気にかかり、また船も修繕が必要だったためだ。

その間、ドレイク達は体調を崩した船乗りたちの体調改善のための薬の調達に奔走する。そこで出会ったのがミントとライムのジュース、そしてチュチュワシという木の皮を浸したアグアルディエンテだった。


フランシス・ドレイク
(Wikipediaより)

チュチュワシとはアマゾンに自生する木で、先住民たちが長年医療目的で使ってきたものだ。このチュチュワシの木の皮をアグアルディエンテに浸したお酒は強壮効果が高い。

先住民たちの知恵を駆使したドレイク達のお酒は、偶然にもライムというビタミンCが豊富な柑橘類を使っており、また胃腸の不快感を緩和する効き目のあるミントにも、若干ながらビタミンCが含まれている。

この偶然が重なって、壊血病で苦しむ船員に与える薬草酒の様なモヒートの原型が出来上がった。滋養強壮効果に加えてビタミンCも取れるこのお酒は、ドレイクの船の船員達に効き目があったようだ。さらに、お酒とあれば、船員の喉も潤したことだろう。

ドレイク達はこの偶然に出来たカクテルである「ドラケ」のレシピを地元のキューバの人に伝えた。ドレイク達がキューバに何度も航海に来る可能性があるのならば、そしてこの飲み物が壊血病の薬になるのであれば、キューバに着いた際に飲めるようになればはるかに便利だったことだろう。

ライムとミントを使用していれば、すっきりした味わいが楽しめるだろうし、これが地元の人々をも魅了したのではないかと思われる。

この「ドラケ」を後押ししたのがキューバのサトウキビ畑で働いていた黒人奴隷たちが編み出したグアラポという、サトウキビのジュースだ。甘みのあるこのジュースは、熱い気候のキューバのサトウキビ畑で一日重労働をした奴隷たちには至福の一杯だったことだろう。


サトウキビ畑

時代が過ぎ、キューバでサトウキビの大量栽培が盛んになると、ラム酒が本格的に製造されるようになる。そして19世紀に酒造メーカーのバカルディ社がドラケのレシピを改造し、自社で開発したホワイト・ラムを使ったカクテルを作った。これが人気を博し、徐々に世界に広まっていく。

すっきりした味わいのモヒート、今のようにブームになったのは何年振りなのだろうか。もしかしたらバーなどでは昔から定番だったからなのかもしれない。

令和初期のこの時代。夏は暑く、毎年最高気温を更新するほど、うだるような気候が続いている。そんな時に暑い地域で飲まれるお酒が日本でブームになってもおかしくは無いだろう。

毎年夏になるとビールやサワーなどの主力商品がしのぎを削る中、スーパーマーケットの片隅でボトルに入ったモヒートを見かけることも多くなった。これが缶入りになっていれば即購入したいところなのだが、まだ缶入りモヒートがスーパーを埋め尽くす、と言った事情にはなっていないようだ。

モヒートの本場のキューバではハバナの旧市街のバー「ラ・ボデギータ・デル・メディオ」という店が有名だそうだ。ここはアーネスト・ヘミングウェイがキューバに滞在していた頃に馴染みにしていた店だそうだ。

また、ノーベル文学賞を受賞したチリの詩人であるパブロ・ネルーダや、チリの詩人・外交官で、ラテン・アメリカで初のノーベル文学賞を受賞したガブリエラ・ミストラル、アルゼンチンの作家フリオ・コルタサル、そしてコロンビアの作家ガブリエル・ガリシア=マルケスなどの文豪もこの店を足しげく訪れていた。

コロナ渦が収まり、やっと海外旅行が解禁となって海外に出かけることも出来るようになったが、円安や燃料の高騰で出かけるのを躊躇する方々もいらっしゃることと思う。

この夏は、とびっきりのグラスになみなみと冷えたモヒートを注ぎ、ミントとライムの爽やかさと、ラム酒のすっきりした味わいに、軽い甘みのあるこのカクテルを味わってみてはいかがだろうか。居酒屋などでも楽しめるが、現在ではレシピもネットに沢山紹介されており、自宅で作ってみることも可能だ。

この夏の暑さを乗り切るのに、一杯の冷たいモヒートが喉を潤してくれることは間違いないだろう。

現在のモヒートのレシピは、大体以下のようなものの様だ。

ホワイト・ラム 大さじ三杯
ライム     二分の一
ミントの葉   適量
シロップ    大さじ一
ソーダ     適量

上に記した分量は大体の目安なので、甘さやラムの濃さはお好みで調整することも可能だ。

ソーダの代わりにカンパリソーダなどを混ぜるカンパリ・モヒートや、スパークリングワインを混ぜるカンパリ・ロイヤルなど、バリエーションも様々。暑い時期に何か一杯冷たいものを飲みたいときにはぜひ試してみてはいかがだろうか。





「世界のお酒と旅」及び「ヨーロッパのお酒と旅シリーズ」が書籍になりました。全世界のAmazon Kindle Unlimitedで無料ダウンロードが可能です。

サンプル記事をnoteマガジンでご紹介しておりますので、ご興味があられましたら、覗いてみてください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?