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室町時代劇:(10)お針子

自分がこの一座に来てもう何年になるだろうか。

ここの座員によくあるように、私も道端でおやじさんに拾われたそうだ。

ぼんやりとした記憶しかないが、私は夜の道を一人で泣きながら歩いていたという。河原の芝居が跳ねた後のおやじさん一行は、二~三歳ほどの年恰好の女の童が泣きながら歩いてくるのを見て腰を抜かしそうになったと言う。

これは迷子に違いないといって、おやじさんが一旦私を家に連れて帰ってくれた。座員の兄さんや姐さんは、町中で叫びながら親を探してくれたと言う。その夜は親が見つからなかった。翌朝に奉行衆に届けながらも、座員が町の界隈で迷子になった子供がいると広めてくれたそうだ。

それでも私の親は見つからなかった。そもそもこの丹波に住んでいたのかも分からない。ただ一つ言えるのは、私が旅装束ではなかったこと。着物に縛られた麻縄にあった守り袋には「絹」という文字が書かれた紙が入っていた。恐らくこれが私の名前であろうという事になった。迷子なのか、捨て子なのか、奉行衆の方でも分からなかったそうだ。

一座の者に見つけてもらって一月後、私はこの家で正式に生活をするようになった。おふくろさんから、私は三歳と歳を決めていただいた。私が少しではあるが言葉が話せるようになっていたからだ。

小さい頃は、おふくろさんのご両親が私の面倒を見てくれた。おふくろさんもおやじさんもとても忙しかったからだ。

幼いころから軽業や舞、唄や楽と一通りの稽古をつけていただき、十歳の頃から地方への巡業にも加えていただいている。

旅をして芸を見せるのは、河原の舞台に立つのとはまた違う楽しさがある。初めて行くところもあれば、うちの一座のご贔屓さんがいる土地への毎年の巡業もある。毎回気を引き締めてかからねばならないことが沢山あった。

しかし私たちは人に楽しんでいただくのが何よりも嬉しい。初めて会う見物人や、久しぶりに会うご贔屓さんの笑顔を見たくて日頃から新しい出し物を考え、工夫を凝らしている。

私がこの座で出来ることの一つが、針仕事だった。出し物の衣装は古着屋で二束三文で買ってくる古着を直したり、安い端切れを沢山買ってきたりして作っている。

針仕事は、初めはおふくろさんと、おふくろさんの母さんが二人でなさっていた。そのうち器用な兄さんが分厚い布切れから色々な衣装を作り出すのを見て、幼心に私もやってみたくなった。

初めて針に触ったのは五歳の時。それ以来、舞台や巡業がない時は稽古の合間を縫って衣装つくりに精を出している。今年は秋の奉納の舞で女の童たちの衣装を新調した。この衣装は秋の奉納の舞だけではなく、来年の春の出し物でも使っていただけることになったようだ。

そして年越しのお清めの出し物には、女の童達のために桃の花の衣装も作った。年越しでは他に稲荷様や太鼓の舞があるが、これはいつも大切にとってある衣装を出して、汚れや破れがないかよく見ておく。新年の獅子舞や七福神の舞の衣装も大事な衣装を毎年着まわしている。

たまに四つ辻などで他の芸人達が来ている衣装を見ていると、羨ましくなる時がある。猿楽の様に京の御所に上がる機会のある一座は、時に豪勢な衣装を着ている時がある。この丹波の私たちの一座では、御所にあがるなどは夢のまた夢だ。

針仕事は日の光があるうちに仕上げなければならない。朝餉が終わると私とおふくろさん、おばあさん、針仕事専門の兄さんの四人は、衣装の仕立てに取り掛かる。年越しの頃は、日が短くなってきているので、私たち四人はできる限り午前中に針仕事を終えるようにした。

年末年始が終わった後、私と笛吹き、太鼓の兄さんたちはそろっておやじさんに呼ばれた。

「年越しに清と小雪が舞った桃の花の舞だが、山岡様のご親戚で京から来られた方が見ていてな。そのご親戚の方がどうやら知り合いの方々にも土産話で話したところ、全部で十五件のお宅から桃の花の舞を弥生の節句の日に披露して欲しいとの連絡が来た。山岡様のご親戚が四条に住んでおり、その他にも三条や二条のお屋敷もあるそうなので、移動が大変になる。おそらく清と小雪を背負って走らねばなるまい。

また小雪はまだ女の童だ、だれかうちの女で付いて行って面倒を見てやれるものがいるといいのだが、お前たちその役を買ってくれないだろうか」

京にいくだって?あの子たちが京に?

確かに桃の花の舞は、あちこちで評判だったが、まさか京からお呼びがかかるとは。
あの小さい二人がそんな機会に恵まれるとは、夢にも思っていなかった。

しかし、これはおやじさんのおっしゃる通りだ。小雪はまだ五歳。清はなんとか自分でついてこられるかもしれないが、一日十五回の出し物となると、途中でへばってしまうかもしれない。子供たちが力をためておけるように、私達は京まで付いて行くことにした。

月日はあっと言う間に過ぎていく。冬は冷え込みが厳しく、雪も多い。私たちの一座は、河原の舞台は閉めて舞台は解体して家の庭まで運び込んだ。晴れて雪の少ない日を見計らって、一日でも半日でも町の辻で芸を披露した。

その間、一座では春の出し物を練っていた。座員で何度も話し合い、芝居の筋や、衣装に小道具に大道具。どこまで今までの物を使いまわし、どこまで新調して舞台に上げるか。大道具方と小道具方、楽士達や踊り手なども加わって、話し合いが続いた。

そして、年が明けてから、春の芝居は「屋島の戦い」に決まった。

私と仕立ての兄さん、おふくろさんとおばあさんは、演目が決まるのを首を長くして待っていた。
侍の甲冑などは衣裳部屋にしまってあるものがあるが、その他の衣装がどうなるのか、何人分必要なのかをすぐに確かめ、必要な針仕事を済まさなければならない。

睦月と如月は飛ぶように過ぎていった。那須与一と源義経、畠山重忠の三人。そして平家側の船に乗っていた玉虫御前と、女官二人。ここに子役を入れることになった。
 
那須与一が馬で海に入っていったとされるので、大道具方と話して、馬の被り物の準備は一緒に支度することになった。私たちは使える衣装を衣裳部屋から出し、新調すべきものを洗い出していった。
 
侍の衣装や小道具は、壊れている物を修理したり、破けてしまっているところを繕ったりする。玉虫御前の衣装は、袴を新調することになった。あと、子役がでるはずなのだが、これはまだ座員の中でもめてた。鏑矢が飛んでくるかもしれない危ない場面で、子供が船に乗っているわけがない、という意見と、平家側が扇をはずすだろうと踏んで、船にだれかが乗り込んでいたのではないか。女官が乗れば、子供も乗りたがるに違いない、という意見とに分かれていた。
 
芝居に出る人数によって衣装の数も違ってくる。私や仕立ての兄さんは話し合いに交じりながらも、いつ芝居の人数が決まってもいいよう、時々衣裳部屋を確認しては芝居の味に会いそうな古い衣装を身繕った。

そうこうしていくうちに、厳しい冬が明けた。ある日、私と笛吹き、太鼓の兄さんはおやじさんから呼ばれた。京にいるおやじさんの知り合いの一座が、桃の節句に上京する際に力を貸してくださるとの話だった。

「京で桃の節句の舞を披露した時に、荷物を運ぶ必要が出てくるかもしれない。舞を披露したお家からご褒美のお土産など頂戴するかもしれないからね。京の一座の頭はそれを懸念されているようだ。

荷車を出してくれるだけではなく、一日早く京に行って、あちらに一泊していったらどうだとのお誘いも受けているよ。どうだろう、弥生の二日には京に出て、翌日の節句の日にご招待を受けている家を周り、その足で帰ってくると言うのは?」

「ご迷惑になりはしませんかね。五人も押しかけることになっては・・・」

「いや、あちらもどうやら舞を楽しみにしているようだ。ここはご厚意に甘えておくのもいいのではないかな。お前たちの都合はどうだい」

弥生の初めなら、まだ河原の芝居は始まっていない。四つ辻の出し物も、私たちがいなくても残りの連中で何とかなりそうだ。私たちは話しあって、おやじさんの知り合いの一座のご厚意に甘えることにした。

そうこうするうちに京へ出発する日が来た。弥生の二日、私たちは支度を整えて家の外へ出た。おやじさんとおふくろさんが見送りに出てくれた。

「京のお国一座を訊ねていきなさい。河原で芝居をかけているはずだから。そこで多恵さんに取り次いでもらうといい。お前たちが行くことは、先方は承知しているから」

私たちは京に向かう用事のあった荷車に乗せていただいて丹波を出発した。京までは牛の引く車では半日以上かかる。途中に山もある。五歳の子供を連れていくには荷車に乗せていただいたのは本当にありがたかった。道中、私たちは牛飼いが好きだと言う唄を、笛と太鼓の伴奏で唄いながら賑やかに過ごした。

京について荷車の持ち主と別れた私たちは、鴨川のほとりを訊ねた。多くの芝居や舞の一座が出ている場所で、「お国一座」を探し出さなければならない。笛の兄さんが、向こうから来た二人組の男たちに声をかけてみた。

「恐れ入ります、「お国一座」はどちらに行けばよろしいでしょうか」

「なんだ、あんたたちも探しているのかい。俺たちも探している所なんだよ。俺たちは摂津から来たところでね。一度見てみたいと思って尋ねてきたところなんだ」

「へえ、左様でございますか・・・それじゃ一緒に参りましょうか。他に知っていそうな方を探しましょう」

兄さんや私たちが何度か行く人々に尋ねた所、これからお国一座の芝居見物に行く所だという人にようやく巡り合え、私たちは十名ばかりの大所帯で一座の所へ向かった。

お国一座は河原の端の方に小ぶりな舞台をしつらえ、私たちが付いたときはちょうど見物客を入れている所だった。私は見料を受け取っていた座員の方に話しかけた。

「丹波から参りました、正吉一座の者でございます。多恵様にお目通りを願いたいのですが」

「ああ、丹波の!遠い所よくいらっしゃいました、座長が首を長くしてお待ちかねでしたよ」

そう言うと、その座員は奥にいた若い男の座員に呼びかけ、

「丹波の皆さんだ、奥にお連れしろ」と言った。

舞台の裏に連れて行っていただいた私達は、ようやく荷を下ろして一息ついた。

お国一座は京でも一番乗りに乗っている一座だと聞いていたが、舞台裏からでも見物客の声援や笑い声はっきりと分かった。どのような出し物をされているのか、見られないのが残念だが、確か踊りと可笑しみのある芝居を得意とされていると聞いている。

舞台が跳ねると、多恵さん自らが私たちの所まで来てくれた。

「まあまあ、遠い所良く着た事!このお二人ね、明日の座長は。今日は家に泊まってゆっくりしてってちょうだい。明日は大忙しになるわね!」

と嬉しそうに言った。

多恵さんの家は比較的大きく、うちの一座と同様に座員の方々はここで寝泊まりをしていると言う。多恵さんは、駆け出しの頃はうちのおやじさんの一座の座員だった。おやじさんがまだ京にいた頃、地方巡業や河原の芝居に出ていらっしゃったそうだ。その後独立されて、今は京を拠点に全国を少しずつ巡業されているとのことだった。

「あたしがそちらでお世話になっていたのも本当に偶然でね。正吉さんがまだ時々京で芝居をされていた頃だから、もう七~八年前になるかしら。今はすっかり丹波に根を下ろされたようだと聞いているけれど」

「はい。今は丹波で舞台をやりながら、地方も回っている所でございます。昨年は三つに分かれて一つは丹波、一つは讃岐、もう一つは越後の方へ行ってまいりました」

「そう!手広く活躍されているわね。おやじさんもさぞかし大忙しでしょう。皆さんもね。そういえば前に越後に巡業に行った人達と京でばったり会ったのよ。少しお話も出来たのよね。
それはそうとね、明日の桃の節句の舞だけれども、ここで一度見せていただくわけにはいかないかしら?お話を聞いてから、私達全員どんな舞なんだろうと持ちきりだったのよ」

他の座員たちも熱心にうなずく。

「清、小雪、あんたたち出来るかい?」

私は二人に言った。牛車で揺られ、河原を歩き、子供たちは恐らく疲れている事だろう。そんなところを、小雪が元気よく言った。

「はい、姐さん!」

小雪の元気な声に、座の一同、笑みがこぼれた。

多恵さんの家の一間を借りて準備し、小雪と清は本番と同じ様に衣装を着け、笛と太鼓の伴奏をつけて、舞を披露した。
舞を得意とする一座の反応は上々で、舞が終わると一同から万雷の拍手が飛んだ。子供の愛らしさが良く出ているとお褒めの言葉を頂いた。

「うちも子役がいれば良いと思う時があるけどねえ・・・巡業に連れて行けるだけの年頃の子供はなかなかいないのが残念だわ・・・」

多恵さんは残念そうに言った。

翌朝、朝餉を済ませた私たちは子供たちの衣装を整え化粧を済ませると、十五件の家周りを始めた。桃の節句のお遊びは、牛刻(午後十二時)頃からお客様をお招きして昼餉をお召あがりになるころから始めることが多いと言う。多恵さんの住む六条から一番近いお家まで歩いていった。

一件目のお宅では、お庭に上げていただき、御簾の向こうにいる見物客の前で舞を披露した。笛と太鼓方も今日は身なりを整え、裏方に徹している。舞が終わり、お辞儀をして一同がお庭を後にすると、召使の方がご褒美のお土産を下さった。私たちはありがたく頂戴し、それを多恵さんの所の若い衆の引く荷車に預けた。

ここからが大変だった。桃の節句のお遊びは牛刻(午後十二時)から長くて未の刻頃(午後三時)まで。それまでにあと十四件のお家を廻らなければならない。

「おい、龍坊、あと十四件だな。最後のお宅は三条だったか」

「そうです、幸兄さん。おやじさんの言ってた通りだ、この調子じゃとても未の刻まで全部回り切れないですよ!」

「そんなこったろうと思ってたさ。おい、清。俺におぶれ。龍坊、小雪の事は頼んだぞ。お絹、俺たちが先に走っていくから、見失わないように後をついてくるんだぞ。いいな!」

それを合図に笛と太鼓の兄さんが清と小雪を背負ってつっ走り、私は楽の道具と荷物を持って後を追いかけた。荷車の若い衆は後から追いかけてくる。

京のお屋敷は本当に大きい。そして道は果てしなく長い。目指すお屋敷に着くと兄さんたちは息を整え、子供たちも衣装も整えて、お屋敷の中へ入っていく。舞が終わると、召使の方からご褒美やお褒めのお言葉を頂戴し、神妙な顔をしてそれを受け取った後、私たちは踵を返してまた大急ぎで京の街中を駆け回り、次のお宅へ走った。

未の刻が終わるころには、私たちはへとへとになっていた。あと回るべきお宅は一つ。最後の力を振り絞り、私たちは三条の東のお屋敷へと入っていた。使用人の入り口から入った私たちは狭い通路を通り、お庭に出た。ここのお屋敷はこれまでのお宅とは比べ物にならない程大きく、お庭も広い。本格的なお白州があり、御簾の向こうでは舞を楽しみにしていたご家族が今か今かと待っていてくださったそうだ。本日最後の出し物とあって、楽の兄さん達も子供たちも悔いが残らぬよう精いっぱいの芸を披露した。

出し物が終わり、狭い通路を再度通って外に出ると、召使の方がご褒美のお土産を下さった。丁重にお礼を述べ、お土産を後から来た荷車の若い衆に渡したところで、私たちは疲労困憊、息を切らせながら路肩にへたり込んだ。

こんなに忙しい巡業は初めてだった。地方に巡業したほうがまだ楽なのではないだろうか。京の街を南から北へ、西から東へと走り回り、最後には自分がどこにいるのかさえも分からなくなった。そこへ荷車の若い衆が声をかけてくれた。

「皆様、お疲れ様でございます。一度座長のお家でお召替えをなさってはいかがでしょう?少しお休みをされてからでもよろしいかと。ただ、もう申の刻(午後五時)も近いので、ご都合がつけばもう一泊されてはいかがでしょう?これは座長から申し付かっていることでして」

私たちは心から安堵した。この後荷車で夜の山を越えて丹波に戻るのはあまりに物騒だと案じていたところだった。私たちは若い衆にお礼を言い、座長の多恵さんの家へと疲れた足を引きずりながら向かった。小雪は疲労困憊、龍兄さんの背中で眠ってしまっている。清も緊張が解けたのか、幸兄さんの背で船を漕いでいる。

ふと荷車を見れば、お土産の山が出来ていた。ひと時の華やかな舞の裏側には、こんな大忙しな場面もある。それは見物のお客様には悟られてはならない事。見物客の方々には夢の世界だけをお見せして、あとは舞い方と裏方が力を合わせて大忙しな移動をこなす。

来年はこの桃の舞を見せることが出来るのだろうか。兄さん達の背中で寝息を立て始めた二人を見ながら、私は微笑んだ。



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