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世界のお酒と旅:日本:葡萄酒の歴史

幼い頃、東北に住んでいた。山の中にあった団地のそばには林があり、季節ごとに色々な木の実が成っているのを見つけた。

中でも山ブドウは幼心に特に惹かれるものだった。要は美味しそうだったからだ。大人からは「絶対に食べてはだめ」と聞かされていたので、余計に美味しそうに見えた。

そのころ、「サル酒」というお話を聞いた。山に住むサルが、取ってきた山ブドウを木の洞に隠していた所、いつの間にかお酒になっていた。それを見つけた木こりが飲んでみて、あまりの美味しさにたくさん飲んでしまい酔っぱらってしまった、というのが大筋だったと思う。

この山ブドウのお酒は、考古学的には日本最古のお酒の一つだと言われている。それは縄文時代までさかのぼることが出来る様だ。年代にして、約一万年から五千年ほど前の時代という。

青森の三内丸山遺跡や長野県の井戸尻遺跡、山梨県にある山梨長野縄文王国では、山ブドウを使ってお酒を造っていたと推測される土器が見つかっている。諸説あるので、この土器は太鼓に使われていた可能性もあるそうだ。

しかし、土器の内部から山ブドウの種が見つかったり、土器が地面に埋められていた形で発見されたり、住居内から盃の様な土器が発見されたりと、恐らく何らかの飲料が作られていたとみる考古学者もいる様だ。

山ブドウのお酒は古事記や日本書紀にも出てくるとのことで、我々の祖先が何らかの形で山ブドウから飲み物を縄文の時代から造っていた可能性が高い。

縄文以降も山ブドウのお酒は製造されていた。滋養強壮の薬のような形で、各家庭で作られており、明治時代に自家製のお酒の製造が禁止になるまで作られていたそうだ。

山ブドウは別名「エビカズラ」とも呼ばれており、日本の各地で見ることが出来る。特に涼しい環境のある東北地方で多くみられる植物とのことだ。味は苦みや酸味があり、アントシアニンやカテキンなどのポリフェノールが豊富。長きにわたって自家製の山ブドウ酒が家庭で作られていたこのお酒が薬として重宝されていたのも理解できる。

現在でもこの山ブドウのお酒は製造されており、生産地近くのお土産屋や、ネットの通販などで購入することが出来る。

しばらく前にネットショップで一本購入してみた。
細長いガラス瓶に入った山ブドウのお酒は、一見ワインより濃い深紅の色をしており、どんな味がするかと期待が高まった。

グラスに注いでみると、色も赤ワインと何ら遜色もない。


しかし、このお酒はかなり独特の香りがした。野生の香り、とでも言うのだろうか。比較的重めの不思議な香りだ。たとえて言うなら、赤ワインが飼いならされた香りなら、山ブドウは飼いならされていない香りとでも言うべきだろうか。豚肉とイノシシ肉、牛肉と鹿肉、鶏肉と鳩肉の違いを想像していただければ近いかと思う。

この香りの独特さで好き嫌いが分かれるところだと思う。普段私たちが飲みなれている赤葡萄のワインが、いかに人の好みに合わせて改良されているかを思い知らされた気分だった。

しかし、味は良かった。樽熟成ではない、比較的若い赤ワインと言ってもいいような、軽い甘みがあり、ブドウの味もある。香りさえ違えば、手ごろなワインの一つと言っても過言ではないように思えた。

現在私たちが店頭でよく見かけるブドウが日本に渡来したのは奈良時代。現在スーパーなどでもおなじみの「甲州」がそれだ。山梨県で「発見された」というこのブドウ。その由来には幾つか説があるようで、中国から渡来した渡り鳥が持ってきたと言う説や、たまたま甲州を訪れていた僧侶の行基が発見したと言う説、そして甲州の雨宮勘解由(あめみやかげゆ)が発見したという説がある。

甲州はヴィテス・ヴィニフィラという西洋ブドウの一種で、西アジア原産のブドウだ。ヨーロッパや中国に広まっていったとされている種類である。現在ヨーロッパでもワインの生産に使われるブドウと同じ品種だそうだ。この品種が何らかの形で山梨県の甲州に渡来し、そこで育てられた。しかしこの甲州ブドウを使ってお酒が造られたかははっきりしていない。主に生食で食べられていたという説が濃厚だ。

ブドウの生育には一定の条件がある。恐らく気候も関係していたと思われるが、残念ながらこの時ブドウが日本全国に広まることは無かったようだ。

それでは日本に西洋のワインはいつ頃入ってきたのだろうか。それは室町時代末期から安土桃山時代である。海外との貿易がほんの一瞬、公式に行われていた時代、貿易船にのってやってきた欧州人が運んできたことは容易に想像できる。イエズス会のルイス・フロイスが日本に関する著述を著し、アレサンドロ・ヴァリヤーノ神父が日本を訪問して、彼の発案で天正遣欧少年使節がヨーロッパに派遣されるなど、キリスト教が徐々に日本にやってきた時代のことだ。


天正遣欧少年使節 (Wikipediaより)

その時入ってきたワインの名前は「珍駝(チンタ)酒」と呼ばれた。ポルトガル語のキンタ(ワイナリー)が訛って珍駝と呼ばれるようになったという。この珍駝酒は、赤ワインだったという説と、ポルトワインやシェリーワインの様にアルコール分を強くした酒精強化ワインという二つの説があるようだ。

遠い異国から運ばれてくるワインは貴重品で、時の権力者や貴族達が楽しんだと言われる。織田信長に始まり、豊臣秀吉、徳川家康などがワインを味わったことがあるそうだ。甘口のポルトワインやシェリーであれば、きっと甘美な風味で貴族や権力者たちを魅了したことだろう。

また、キリスト教の布教が盛んだった時期には、葡萄酒の製造がおこなわれていた可能性もある。ミサの時にキリストの血と称してワインを使うからだ。しかしそのワインも遠くから運ばれてきたワインではなかったと思われる。おそらくだが、ミサの時の生体拝受では山ブドウのお酒を代用として使っていたのではないだろうか。熊本大学の研究では、この時代の「葡萄酒は山ブドウを発酵させた醸造酒であったことが明らかになり」、「葡萄酒はご禁制のキリシタンの飲み物という認識があった」そうだ。

その後鎖国令が発せられた。その期間、日本に入ってくる洋酒があったとしても一般に出回ることは無かった。恐らく出島のポルトガルやオランダの商人達が飲んでいたと推測される。

日本に西洋のワインが再度入ってくるのは、江戸末期から明治時代にかけての時期だ。江戸末期に来日したアメリカのペリー総督は、幕府に様々な貢物を献上した。その中に酒類も入っており、マデイラ・ワインやウイスキー、シャンパンなどがあったそうだ。

また明治に入って、文明開化で鹿鳴館が建設され、そこで欧米からやってきた外交官などをもてなすためにワインが取り入れられた。

そして日本が西洋化し、欧米に対抗するために設けられた施策の「富国強兵」と「殖産興業」のうち、殖産興業政策の一環としてワインの醸造が奨励された。国を挙げてワインの生産を奨励したという訳だ。

この時に先陣を切ったのが山梨県だった。ここで日本最初のワイン醸造会社である「大日本山梨葡萄酒会社」が作られる。

大日本山梨葡萄酒会社は、明治の初めには二人の日本人をフランスへ送り、たった一年間でワイン造りの技術を学んでくるという前代未聞の任務を課した。渡仏したのは大日本山梨葡萄酒会社の高野正誠氏と土屋助次郎氏の二人。

言葉も習慣も分からない二人は、それでも努力を重ね、フランスでワイン造りの他、ビールやシャンパンなどの製造法にも触れてきている。

彼らの努力のおかげで、明治の終わりの頃にはある一定量のワインが日本で消費されるようになったと言われる。様々な会社がワインの輸入・販売を試みる中、渋みの強いワインを日本人の口に合う様に甘くして販売すると言うことも行われた。赤玉ポートワインと呼ばれたそのワインは、日本人がワインに興味を持つきっかけの一つとなったと言われる。

その後、二度の世界大戦でワイン造りは壊滅的な被害を受けた。その生産が盛り返すきっかけとなったのは東京オリンピックと万国博覧会だと言われる。

もはや戦後ではないという時代背景の元、一般の庶民の食生活も欧米化され始め、ワインに興味を持つ人々が増えて行った。その後も日本の景気は右肩上がりで成長を続け、バブル景気の頃にはワインの他、その年の新酒であるボジョレー・ヌーボーが一躍ブームになるほど、日本でのワイン熱がかつてないほどに高まった。

現在では環太平洋パートナーシップ協定や、様々な国との経済連携協定(EPA)が始まり、協定を結んだ国との間で取引されるものの関税が下がった。そのおかげで欧州や北米の他、南アメリカやオーストラリア、南アフリカなどの幅広い地域のワインが輸入されるようになっている。国産のワインの生産も盛んになり、コンビニエンスストアなどでもワインの取り扱いが始まるなど、ワインは現在の日本で生活の一部となっていると言っても過言ではないだろう。

ウイスキーであれ、ワインであれ、異国で生産されたものを言葉の通じない国で学んでくるのは今も昔も大変困難だったことが容易に想像できる。しかし、それをやってのけ、日本のワインの礎を作った明治の先人たちの努力には敬意を払いたい。

家庭の薬として山ブドウのお酒を家で作り続けた人々にも、また同様に感謝をささげたい。現在の私たちが飲める日本古来の味を守り続けてくれたのは、一般庶民の家庭の味なのだから。

また、山梨県から始まった日本国内でのワインの生産も順調で、近年ではワインの国際品評会などで優秀な成績を収めるワインも増えてきている。現在の日本国内のワイナリーの数は平成30年度で331か所となっている。数としては圧倒的に山梨県内が多いが、長野県や北海道、山形県や岩手県がその後を追っている。

古くから葡萄のお酒があった日本。ワインという西洋から取り入れたお酒に注目が行くようになってから約150年ほどだが、その需要は今後も引き続きあることだろう。生産者の方々にはぜひ頑張ってほしい所だ。

そして私たちの祖先が太古の昔から葡萄に引き付けられていたように、現在の私たちも葡萄に引き付けられる。生食や干しブドウにしても美味しいが、お酒になると普段の食卓を豊かにしてくれたり、友人や家族との特別な時間を彩ってくれたりする素敵な飲み物となる。それは昔も今も、洋の東西に関わりなく脈々と続けられてきた伝統といっていいかもしれない。

今は一日も早く伝染病や戦争が収束を迎えて世界が平和になり、気兼ねする事なく日本や海外のワイナリーでワインを楽しむことが出来る日が来ることが待ち遠しい。


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(参考文献)

縄文人は古代ワイン(山葡萄酒)を飲んでいた❓ | 縄文家族|天竜楽市 (ameblo.jp)
https://ameblo.jp/starless43/entry-12704286388.html

日本酒っていつから飲まれているの? 一升瓶で売られているのはなぜ? 日本酒のおもしろ~い歴史の話 – SUSHI TIMES
https://sushitimes.co/2018/08/17/20180817_1/

日本最古の「お酒文化」は青森・三内丸山遺跡からはじまった (ourlocal-labo.com)
https://ourlocal-labo.com/alcohol01/

山葡萄について | 日本山葡萄ワイン愛好会ホームページ (jwwfa.com)
http://jwwfa.com

酒造りはいつから始まったの? 古代の日本酒はこんな味 - パンタポルタ (phantaporta.com)
https://www.phantaporta.com/2019/02/blog-post46.html

ワインの国 山梨|山梨のワインの沿革史 (wine.or.jp)
https://wine.or.jp/wine/enkakushi.html

ワインと日本人 | Trace [トレース] (ntt-card.com)
https://www.ntt-card.com/trace/backnumber/vol08/index.shtml

日本のワイン - 伝来から醸造へ、道を拓いた人々・(2)近世史を築いた三英傑とブドウ酒|歴史人物伝|キリン歴史ミュージアム (kirinholdings.com)
https://museum.kirinholdings.com/person/wine/02.html

release180402.pdf (kumamoto-u.ac.jp)

ペリー提督からの贈り物、Japan-US Encounters 日米交流 (japanusencounters.net)
http://www.japanusencounters.net/sub_gift.html

国内製造ワインの概況/果実酒製造業の概況(国税庁調査結果)
製造業者の概況 (PDFファイル/1,265KB)
30wine01.pdf (nta.go.jp)

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