私の居住考現学③
いつも心は、天高気清。
都会の喧騒に隠れた古民家で狸も一緒にチルアウト中!
(東京都・新高円寺 2019.3 - 2020.9)
▼古着屋や飲み屋が軒を連ね、連日多くの若者で賑わう繁華街・高円寺の近くにありながら、新高円寺では、寺町らしい穏やかな時間が流れている。そんな街の家々が密集する旗竿地にある、一軒の古い木造二階建ての民家。この家も、新卒で働いた会社が運営するシェアハウスのひとつだ。ここでは男女8人が共に暮らしている。家全体によく日が当たり、朝は小鳥のさえずりが聞こえ、広々とした庭には、狸たちもやって来た。子猫の兄弟がテラスで戯れていることもあった。どこか遠くの田舎にきたかのような景色だった。▼会社を退職し、今後のことを決めるまで、この家を拠点に各地を訪れながら、イラストの仕事を始めた。フリーターとフリーランスの間を行ったり来たりしながら、仕事も居場所も根無草状態。都会の人混みのなか、どこに向かって進めばいいのか彷徨う日々が続いたけれど、家に帰ればお月様みたいなまんまるな灯が、古い家のリビングで、灯台のようにともっていた。▼自分の時間を謳歌する住人が多かった。庭で日光浴をしたり、リビングで筋トレに励んだり、ちゃぶ台に座ってPCを開いていたり、趣味のけん玉の練習に明け暮れていたり、レコードをかけて音楽を聴いていたり、テラスでお茶を点てていたり。どれも個室に籠もって一人でできることだけど、リビングでそれぞれに自分の時間を過ごしている。そんな光景を眺めるのが好きだった。▼リビングには「天高気晴」、玄関には「忍耐」と書かれた大きな掛け軸が飾られている。まさに「天高気晴」という言葉がぴったりな庭で、思う存分太陽の光を浴び、出掛けるときにはいつも「忍耐」の言葉に「うッ」と励まされた。ちなみに、私が住んでいた個室の壁には、昔住んでいた住人が書き残したのであろう、自分を鼓舞する言葉が、鉛筆で小さく書き記されていた。▼この家に住み始めて、1年が経ったころ、新型コロナウィルス感染症による緊急事態宣言が発令された。普段は、それぞれの職場へ出勤していく住人たちも、この日を境にほぼ全員がリモートワークになった。私も同じく、当時借りていたシェアオフィスが休館となり、働いていたアルバイト先も休業。住人たとともに、この家で籠城することになった。リビングの小さなちゃぶ台をみんなでシェアしてリモートワークに勤しんだ。あの2ヶ月間、私にとっての社会は、あの古い家の屋根の下が全てだった。▼1年半この家で暮らした後、仕事の都合でこの家を出ることになった。引越した今も、定期的に遊びに行っている。趣味に謳歌していた住人たちは、最近はなにやら、語学や資格の勉強に忙しいらしい。帰る度に、外からあの家の明かりが灯っているのが見えて来ると、ほっとする。「忍耐」の掛け軸は、何かの拍子で落ちたようで、玄関の床に立てかけられていた。
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