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私とおばあちゃん <自己紹介シリーズ>

おばあちゃん

私が色濃くおばあちゃんのことを憶えているのは、おばあちゃんが死ぬ直前の出来事だ。

出来事だと言っても、その時私とおばあちゃんの関わりは一切ない。

おばあちゃんは父が新しく建てた我が家の玄関から一番奥で、さらに向かって左側の部屋に居た。
おばあちゃんの部屋だ。

障子の襖で仕切られた部屋。
おじいちゃんは私が生まれる2年前に亡くなっていて居ない。
それからおばあちゃんは一人で7年ほど生きている計算になる。

当然、私の記憶にもおじいちゃんは居ない。

りんごジュース

そんなおばあちゃんが部屋の真ん中に敷かれた布団の中で辛そうにしている。襖の隙間から覗いただけだが、小刻みに震えているような感じがした。
それでも力を振り絞っておばあちゃんがつぶやいたのは「りんごジュースが飲みたい」だった。

私は急いで父と近所のスーパーにりんごを買いに行ってきた。
父はなぜか売っている”りんごジュース”ではなくて、りんごを買った。

家に帰りつくとすぐに台所に向かった。
ジュースを作るのだ。
台所でりんごの皮を剥き、りんごを切る。私も不器用な手さばきで包丁を使い、りんごを切るのを手伝った。

次に切ったりんごをおろし金で擦りおろし、ジュースにしていく。
最後は大きめのガーゼで絞っただろうか。そうして作った一杯くらいの量のりんごジュースをコップに注ぎ、母がおばあちゃんのところへ持って行った。

私はおばあちゃんがジュースを飲むところは見ていないけれども、後でこっそり部屋をのぞいた時に、おばあちゃんが寝ている枕元にお盆とジュースが置いてあり、少しだけ注いだ時よりも減っている気がした。

翌朝、おばあちゃんは2度と目を覚まさなかった。

その時、私は初めて身近な人の死を体験するのだが、あまり記憶にない。
家で葬式をしていたように思うが、おばあちゃんはもういないのだから当たり前なのかもしれないが・・・その時に東大に勤務しているいとこに初めて会う。当時は東大医学部の助手をしていた。
なぜか、私の爪切りをしてくれたのを覚えている。

記憶喪失

私が小学生になってからだろうか、おばあちゃんのことを思い出してみた。
ようやく思い出すことができたのが二つの場面
一つは、外で洗濯物を干している姿、竹竿にタオルが掛けられており、タオルが風でなびいていた。
もう一つは、私が補助輪付きの自転車で近所に遊びに行くときに一緒についてきてくれた場面だ。

これ以上の記憶は思い出せなかった。

私は産まれてからおばあちゃんとずっと一緒に過ごしてきたはずなのに、
おばあちゃんのことを憶えていない。

父も写真を撮らないタイプで当時の写真もほとんどない。
なので、写真で事実を確認することもできない。

きっと、たくさん話したはずだ。
きっと、たくさん遊んだはずだ。
きっと、たくさんご飯を一緒に食べたはずだ。

私は自分にそう言い聞かせ、ときどき記憶の中のおばあちゃんを探しながら、いつもと変わらない生活を続けるのです。


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