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死にたくないなあ

誰しも死について考えたことが一度はあるんじゃなかろうかと思います。

私は5歳の時に、兄から生まれてきたものは皆死ぬと風呂場で教わりました。小さい子は、大人もそうかもしれませんが、虫などの小さな生き物のいのちを面白がって奪ったりします。私もそんな子供だったので、その姿を見た兄が心配したんでしょう。

「お前は今日も虫を殺しよったけどな、お前も死ぬぞ。お前だけじゃない。兄ちゃんも父ちゃんも母ちゃんも、じいちゃんもばあちゃんも皆死ぬ。お前も必ず死ぬ」

と、風呂場で、教わりました。とってもショックを受けました。そのまま風呂上がりに本堂に行って正座して如来様に向かい、子供ながらに、自分の命の終わりを想像しては恐ろしい気持ちでいっぱいになりました。


それは実際今も変わりません。なぜ恐ろしいか。ひとつは単純に死にとうないから恐ろしい。もう一つは死んだことないから恐ろしい。


日本最古の物語と名高い『竹取物語』。竹取翁が光る竹を切ると、そこに小さな娘がおり、みるみる美しいかぐや姫に成長し、やがて月の住人であることを翁夫婦にうちあけ、月に帰っていく話ですね。

方々で言われているようですが、まことに生死をテーマにしたお話だろうと思います。生命の誕生とは光る竹の中に娘が宿るという非現実性に象徴されるほどに想像を超えたものであって、一生は振り返ればあっという間に思えるほど、驚く様なスピードで成長を遂げる。やがて月に帰らねばならんという告白は、死を悟ったかぐや姫の覚悟に思えますし、翁があの手この手を尽くして月に帰ることを阻止しようとしてことごとく失敗に終わるあの描写は、避けることのできない死を想像させられます。月の住人の羽衣を着たかぐや姫が人格を失った様に月に帰っていくシーンを見れば、一生をかけて築いた知恵も財産も人間関係も皆置いて死んでいかんといかん自分の命の行く末を思わずに居れません。


『竹取物語』は平安時代前期の成立と言われている様ですから、1000年以上も前の人間も生死を考えていたんだろうなと勝手に想像します。娘を失った親が描いた物語じゃないかしらと無責任に考えます。身近な大切な命の死を目の当たりにした時、あらためて、自分の死を考えさせられます。


皆考えるけれども、やっぱり怖いから忙しい生活を言い訳になるべく見んようにして生きているけれども、必ず死にますね。生まれたからには。しかも、いつ、どこで、どのように、死ぬのか分からない。言いようもない苦しみが私の一生に付き纏います。


その私に如来様がお浄土をご準備くださいました。それだけではない。お前はお浄土で仏になるいのちを生きているんだよ。どうかそのことに気づいてくれよと、私の声となって、私のいのちに響き続けるおはたらきの姿をとり、私の命にご一緒してくださる如来様がいらっしゃいます。

そのことをお釈迦さまが「お前の命は西の極楽浄土に向かっていく命なんだよ。お前のためにはたらき通しの如来様がいらっしゃるんですよ」と、言葉にして私の命の行く末をお示しになられました。


そのことを聞いてお念仏をする。お念仏が私の口にかかるからと言うて、決して私のいのちがピカピカで偉くなったりする訳ではない。つらい現実は変わらないけれども、私をお浄土に導き、育てあげ、仏に変えなしてくださる如来様がこの私のいのちにご一緒くださいます。


私は結婚もしておらんし、子供もおりませんけれども、1歳にも満たない兄の一番下の子がとても可愛い。

ある日私が実家の居間で寝ておると、隣でその姪っ子が突然大泣きを始めました。周りには誰もおらず、無責任にも逃げ出そうかと一瞬考えたけれども、踏みとどまって恐る恐る抱き上げてみたんです。当然泣き止みません。お前誰やと言わんばかりに泣き続けます。それでも記憶を辿って、赤子を抱いていた父や母、兄嫁の姿を思い出して、自分の太った胸に押し付けて適当にあやしてたら、時間はかかったけれども、やがてすやすやと寝息を立て始めました。

「寝たからもうよかろう」とすぐ下ろしてもまた泣くことは私程度のものでも想像できますから、早く逃げたい気持ちもあるけれども、なんとなくその時間が愛おしくて。しばらく抱いて、試しに自分の膝の上に置いてみました。ぐっすりと私の膝に全部任して寝る赤子のすがた。全体重が私の膝の上。


その姪の姿を見ていて、如来様にお任せする安心をふと思いました。これをぱっと引いたら赤ん坊は床に落ちる。でも今私の膝の上で、任されている。きっとこの子は俺の膝の上で安心をしているんだろうと自惚れてみる。如来様に抱かれているとはこういうことを言うんでしょう。

いつ終わるかわからんいのちです。どこで、どのように終えるのかもわからないいのちです。でも、いつ、どこで、どのように終えていこうとも、そこは如来様のおはたらきの中。あたたかい如来様の手の中であったぞと聞かされてきました。

如来様がいらっしゃいます。私の成仏をご期待くださり、また、そのように育て上げ導き続けようとはたらき通しの如来様です。そのことを聞いても愚かな私はふと自分の命の行く末に漠然とした恐怖を感じます。でも、そのたびに如来様がご一緒だったぞと、改めて思わされて、また、お念仏を大切にさせていただきます。

なんまんだ

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