お坊さんの井戸端会議

浄土真宗 本願寺派 若手僧侶5人による日々のお味わいブログ。隂山晃淳(大阪府) 岩田明…

お坊さんの井戸端会議

浄土真宗 本願寺派 若手僧侶5人による日々のお味わいブログ。隂山晃淳(大阪府) 岩田明子(愛知県) 木山響心(長崎県) 佐々木史哉(福岡県) 那須野あつ子(滋賀県)。

最近の記事

忙しさにかまけて。

半袖の人を見ることも少なくないような季節になりました。 今週は、佐々木です。私は福岡の中でも、大分県中津市に近い場所に生まれたのですが、そこに「しゃーしい」という方言があります。 うちの祖母や母がよく使っておりました。 私の世代の人はあまり使わなかったイメージがあります。 何かにつけて「あーしゃーしいなぁーもう」  「これやってよ」「いやしゃーしいよ今は」 僕が騒いでると「しゃーしいっちゃもう」。 おおよそ、「うるさい」「面倒」「煩わしい」という意味で使われます

    • お釈迦さまは脇から生まれたの?

      春です。 野辺へ出てみれば、鶯が鳴きヒバリが囀り、足元には蓮華、タンポポの花盛り。 心地よい季節がやってきたと思えば、いつの間にか日中は暑いと思わず口にするほど、季節が進んでしまいました。九州の人間が縁あって4日間ほど関西におりましたが、例年より遅く咲いてくれた桜は、例年の倍、私の目を喜ばせ、心を踊らせてくれました。 無数のいのちが誕生するこの豊かな季節に、今から2500年前にご誕生くださったお釈迦さまのお誕生日をお祝いします。先日4月8日ははなまつりでした。 お釈迦さ

      • 根性がどうであっても

        画像は、種から大切に育てられること10年、3日で散った山芍薬の花です。 スマホで撮影して、拡大して細部を見る。肉眼では見落としてしまう瞬間が切り取られ、花は終わっても鮮明な画像は手元に残る。便利で有難いです。 でも、仏様がご覧になったら…。 この花は、葉は、茎は、そして土の中にある10年かけて花を咲かせるまでに育った根茎は、仏様の目にはどれほど美しく映るのだろうか。そんなことを考えた花の終わりでした。 皆さまいかがお過ごしでしょうか。今週は岩田が担当です。 ここ数年で急

        • ミチタル

          皆さま、こんばんは。 今週は陰山です。 表白集(表白とは仏前において、法会の趣旨などを仏と参詣の方々に報告し、仏徳を讃嘆すること)を見ていると、「我ら今幸いに久遠深重の因縁によって、真実浄信の幸せに目覚め…」と書かれていました。 なぜ真実浄信ということが幸せなのでしょうか? 「幸せ」という語を辞書で見てみると、「よい巡り合わせ」「不満がなく、望ましい状態のこと」などと出てきます。 自分の頭で考えてみると、私の欲望が満たされることを幸せというように思います。 様々なこと

        忙しさにかまけて。

          おいちゃん、ありがとう

          こんにちは、那須野です。 こたつから抜け出せない日々が、まだ終わりません。 暑さ寒さも彼岸まで、とは言いますが、お彼岸中に降雪の滋賀です。 個人的には、怒涛の3月でした。 自坊彼岸会でのご法話、地域の博物館での展覧会から始まり、長男の卒業式、次男の卒業式、長男の受験、勤め先の彼岸会、初めて正式に講師に呼ばれたご法話のご縁、多くは初めてのことばかり。 そしてそのほとんどは阿弥陀様のご縁でした。 慌ただしい日常の中、ある日次男は言いました。 「明日僕、どこまで歩けるか行って

          おいちゃん、ありがとう

          死なないといけない

          少しずつ暖かくなって、春の陽気を垣間見る時期になりましたね。今週は佐々木です。 一水四見 という言葉が存在します。 たくさんではないですが、仏典にも登場する言葉です。 認識の仕方によって、認識の対象は様々に存在する、という意味です。 一つの水でも、見方によって四通り以上あるんだよという意味です。 同じ水を見ても、 天人には宝石の池に。 人間には飲み水に。 餓鬼には血に。 魚には住処に見えるようなものだ、という意味です。 人間世界であれば想像が付きますね。 飲

          死なないといけない

          死にたくないなあ

          誰しも死について考えたことが一度はあるんじゃなかろうかと思います。 私は5歳の時に、兄から生まれてきたものは皆死ぬと風呂場で教わりました。小さい子は、大人もそうかもしれませんが、虫などの小さな生き物のいのちを面白がって奪ったりします。私もそんな子供だったので、その姿を見た兄が心配したんでしょう。 「お前は今日も虫を殺しよったけどな、お前も死ぬぞ。お前だけじゃない。兄ちゃんも父ちゃんも母ちゃんも、じいちゃんもばあちゃんも皆死ぬ。お前も必ず死ぬ」 と、風呂場で、教わりました

          仏様になりたい

          ご門徒様宅にお参りに伺いますと、素朴な質問や、亡き人との思い出話を聞かせていただくことがあります。日常から離れた時間が流れるような、有難い瞬間です。 その中で、大切なこと、次回住職(父)からも伝えて貰いたいことは共有しています。 「○○さん、こんなことを話してくださった。こんなこと思っておられたんだね」と。 時々、住職は「そんなこと俺にひとっっ言も言ったことないのに」「なんで俺に聞かないんだ」と悔しがります。 どうやら、住職よりはものが言いやすいようで…。今後もそういう者であ

          お葬式から考える

          皆さま、こんばんは。 今週は陰山です。 年末から父の入院に始まり、生まれて間もない赤ちゃんのお葬式、いつも私を元気付けてくださった90歳の御門徒さんのお葬式と続き、老病死、様々なご縁に遇わせて頂きました。 赤ちゃんのおじい様がおっしゃっていました。 「順番が違う」 その時、私の頭の中には「老少不定」という言葉が浮かびました。 老いも若きも、いつ命を終えていくのか定まっていない、ということです。 蓮如上人が残してくださった「白骨の御文章」、いつもお聞かせ頂いている言葉です。

          はたらきとはからいのあいだ

          このブログが始まった当初から表メンバーには「気が向いたら書きますわ」と言うてたはずが、気がつけば半年に1回、規則正しく書かされる羽目にせていただいております。今回は裏メンバーの吉尾がお送りします。 私が所属する真宗高田派、その本山である三重の専修寺では、先月の1月9日から16日までの8日間、親鸞聖人のご命日の法要である「報恩講」が勤まりました。写真は、その専修寺の夜の境内の竹あかりです。つつがなく報恩講のご縁に遇わせていただける有り難さを感じる一方で、戦争や災害が相次ぐ中、

          はたらきとはからいのあいだ

          てんてこまいのひぐらしで

          こんばんは、今週は那須野です。 前々回の記事でコロナからインフルでてんてこまいと書きましたが、 あの時はインフルA、この度はインフルBからのノロからの中耳炎と、てんてこまいシーズン2の我が家です。 シーズン2もご盛況の中無事終わり、シーズン3より春が来てほしいこの頃、皆さまいかがお過ごしでしょう? さて、そんな我が家は、長男の受験という初めてのイベントを迎えることになりました。 なんと嫌な言葉でしょう、受験。 この言葉が好きな人が居るのでしょうか、受験。 人を蹴落として自分

          てんてこまいのひぐらしで

          であうべきもの

          寒さがまだ残る2月ですが。 ようこそようこそです。 今週は、佐々木です。 我々は生まれてきて、たくさんの、人や物と、であいます。 まず、親とであうでしょう。 空気とも。 水分とも。 栄養とも。 やがて成長すれば、自分にとって良い出会い、悪い出会いを経験しながら、私という人格が形成されていきます。 好きな人と会うだけであればよいところ、そうはいかないと、仏教は真実を説きます。 怨憎会苦、愛別離苦、 憎い人とは、 会いたくない場所で会わないといけないし、 会い

          先日色々ありまして。

          人生三度目、尻からカメラを入れました。 看護師さんに当日言われましたが、車で来ていると鎮静剤は使えないのですね。鎮静剤があっても痛かったのに、無しだとどれほど苦しいのか全くわからない。それでも車で来とるしどうしようもない。まあなんとかなるやろと思って、 「はい。じゃあ鎮静剤無しでするしかないですね」 と言うと 「本当にいいですか?」 本当にいいですかと聞かれても車で来ているんだからしようがないではないか。 そうして部屋を移動して、大腸を詳しく観察するために居残りしているも

          先日色々ありまして。

          ある日の出来事

          一見仏教とは関係のなさそうな日々の出来事の中に、じんわりと教えを感じることがあります。日常と仏教がかけ離れたものではない。むしろ教えに日常が支えられている。そう噛みしめる瞬間があります。 今週は愛知の岩田が担当です。 私が医療従事者になった頃、病院や薬局の待ち時間といえばテレビがお伴でした。が、長い待ち時間となるとテレビ効果は薄れ、時には厳しい視線やお叱りを患者さんから受けることがありました。 お急ぎの方、体調のすぐれない方もおられるわけで、申し訳なさを感じつつ…「焦って

          よいお年を

          こんばんは、陰山です。 本年もよろしくお願いいたします。 皆さまは、よいお年を迎えられましたでしょうか? 私は大晦日に家庭内で起こった事件(個人的なことなので詳細は端折ります、ご心配なく)が尾を引いて、バタバタというか落ち着かないというか疲れたというか…頭がはたらかない年明けでした。 とは言え、年末にはたくさんの方々と「よいお年をお迎えください」とご挨拶させて頂きました。 この言葉には個人的な思い出があります。 子供の頃、お正月に家族で母方の実家に行った帰り際、 私が祖

          複雑な年明けに思うことを

          こんにちは、那須野です。 年が明けて七日が経ちました。 おめでとうございますと言うには、辛すぎる年明けとなりましたが、 皆さまいかがお過ごしでしょうか。 元日には元旦会を終え、御門徒の皆さまと新年のご挨拶をしたその6時間後、私は法務先の八日市教堂の鍵を閉めて帰宅途中の車の中、激しい揺れに遭遇しました。 まずアラームが鳴り、窓の外の標識の柱が大きく揺れている姿を見て、風でやたら揺れていると思ったのは地震であることに気づきました。 自宅に戻り家族にその時の対応や様子を確認し

          複雑な年明けに思うことを