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青鬼はどこへ行ったのか

こんにちは、那須野です。
六月に入り、紫陽花の蕾が膨らんできました。
もうすぐ長雨の季節がやってきます。

さて、子供の頃から好きな昔ばなしに、「泣いた赤鬼」という話があります。
浜田廣介先生という、明治から昭和にかけて活躍された童話作家の作品です。
ご存知かも知れませんが、

人間と仲良くなりたい赤鬼が、あの手この手で画策します。
「美味しいお茶とお菓子を用意して待っています、遊びにきてね」
家の玄関に張り紙をするも、相変わらずの嫌われっぷり。
見かねた友達の青鬼が一肌脱いで、悪役を買って出ます。
悪者青鬼をやっつけた赤鬼は、人間たちの信頼を得て、念願のお友達になることができました。
喜びいそんで青鬼の元を訪ねると、青鬼は居ません。
「赤鬼くん、人間たちと楽しく暮らしてください。私が一緒に居ると、赤鬼くんも悪い鬼だと思われるかも知れません。私は旅に出ます。いつまでも君を忘れません。さようなら。体を大事にしてください。いつまでも君の友達、青鬼」
そんな手紙が一枚、残されていました。

ざっくりとそういう話です。
登場する二人(匹?)の鬼は、幼い私が教え込まれた鬼のイメージとは違って、日頃から友達はお互いしか居らず、とても寂しそうでした。
青鬼は唯一の友達の元を離れて、独りどこに旅に出たのでしょうか。
赤鬼は、泣いても泣いても、青鬼が帰ってくることはありません。
鬼の優しさだけが、ただただ琴線に触れたのでした。


この話はタイトル通り、赤鬼が主人公なのでしょう。
幼い頃の私は、読み終えた後の感情は、青鬼への想いが積もるのでした。
「なんで黙って行ってしもたん?一緒に人間と友達になったらいいが(方言。いいですよ、の意)。赤鬼さんは寂しいって泣いとるよ。人間は分かってくれるよ。今、どこで何しよるんじゃろ?」



仏教では鬼は地獄の遣いとして、堕地獄の者に苦しみを与える存在と表現されます。
餓鬼と名付けられたりもします。
一方では仏教を護持する存在として大切にも扱われますが、鬼とは一体何者なんでしょうか。

①シナでは人が死んでその祭祀を受けない者を鬼という。
②死者の魂の観念が仏教に取り入れられて餓鬼となった。死者の霊は飢えていて、供物を持つと考えられたからである。
③特に大乗仏教の経典では餓鬼のほかにヤクシャ(夜叉)ラークシャサ(羅刹)などの凶暴な精霊をすべて鬼と称している。
④地獄の獄卒。その形の恐るべきところから俗にオニと称している。

『中村元広説仏教語大辞典』



私が生まれ育った愛媛県では、祭りになるとダイバンと呼ばれる鬼が現れます。
秋祭りの折には、子どもたちがダイバンに向かってドングリや木の実を投げつけます(前の日にせっせと拾い集めます)。
気になって調べてみると、ダイバンともダイバとも呼ばれるそうで、なんと語源は提婆達多だとか。
提婆達多とはお釈迦さまの従兄弟で、仏典の中ではお釈迦さまを殺して教団のリーダーとなろうとする悪役として登場します。
お釈迦さまだけではなく神様の邪魔もするのですね、提婆達多。
提婆達多の話をすると長くなるので今回は割愛しますが、やはり鬼に良い意味はなさそうです。

他の昔話でも、往々にして鬼は悪役です。
大体退治される対象です。
節分には鬼は外に追いやられ、祭りの時には理不尽にもドングリ攻撃です。
そうやって人々は、鬼を通して邪気を払うという昔からのやり方で家内安全を願ってきたのでしょうね。

昔、深川倫雄和上が朝日歌壇に寄稿された短歌を紹介された話があります。
「みんな来て ずーっといろよ この家に 酒はあるから 豆まかぬから」

赤鬼が貼り出した人間へ向けた手紙とよく似ています、作者も泣いた赤鬼がお好きだったのでしょうか。


仏教では、餓鬼は貪りの象徴として描かれます。
何も遠いどこかの地獄でせっせと働いているわけではありません。
私の心が見るこの世の有様です。
腹を大きく膨らませて、まだ足りないまだ足りないと貪るのは、私の中の鬼の姿です。
赤鬼も青鬼も、自らが鬼であることを自覚し、鬼になってしまった過去の自分の行いを幾度も後悔し、嘆いていたのかも知れません。
青鬼は、そんなに優しいのにどうして鬼になってしまったのでしょう。
鬼に成らざるを得ない、大きな事情があったのかも知れません。
浜田廣介先生は、鬼に想いを馳せたとき、鬼が抱える後悔と寂しさに共感されたのかも知れません。

阿弥陀様のお話を聞いていると、私自身こそが鬼の棲家でありましたと教えられます。
鬼を棲まわせたこの私に、ドングリを投げつける訳でもなし、阿弥陀の国お浄土へと帰っておいでとおっしゃってくださるのが阿弥陀様でした。


青鬼も、今はお念仏してるとええなあと、幼い私に教えてあげたいものです。

称名

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