矢印
皆様、こんばんは。
今年も昨年同様、夏休みに富士登山に挑もうとしている陰山です。
岩肌を登っていくことも多い富士山なので、岩の多い山を探して練習がてら登山してきました。
兵庫県姫路市夢前にある雪彦山(せっぴこさん)。
可愛らしい名前とは裏腹に中々ハードな山。
鬱蒼とした木々の中を進み、
落としても落としても気づけば足にひっついているヤマビル(子供たちは初めてのヤマビルにパニック)、
中腹からは岩肌を登るというより絶壁をロープで登っていく。
もちろんしんどいだけでなく、景観も綺麗で、展望岩から見上げた雪彦山は中国の武陵源の岩山のようで思わず声が漏れます。
危険な所が多いので、子ども達の安全の為にも途中でやめた方がいいかもと思いながらも、ロープで登っていくのを楽しんでいる子供たち。
もうこのまま行こうと、なんとか最後まで登り無事下山してきました。
雪彦山には、他の山ではないぐらいに岩や木や至る所にスプレーで書かれた矢印があります。
頂上まで登ってから
「そりゃこの山をこれだけの矢印もなく初見で登っていたら、遭難するか岩から落ちるかしていただろうな」
と思わせる山でした。
ロッククライマーもよく登る山のようで、そんな方達は自身でルートを考えどう踏破していくかを考えていかれるのでしょうが、私には無理です。
ただひたすらその矢印に順っていくしかありません。
この山で遭難したり命を落とした方がいらっしゃったんでしょうね。
「そっち行ったら危ないよ。こっちに行くんだよ。」
上りも下りも、ずっと矢印は私に教えてくれます。
先人達の矢印のおかげで、今私はこうして自宅で記事を書くことが出来ています。
世の中にはたくさんの矢印があります。
政治・経済・社会…
ありとあらゆるものに
「こっちに行った方がいいよ。」
と言われます。
「それで本当に大丈夫か?」
と思う矢印もいっぱいあります。
その矢印を私が取捨選択していく、それがこの娑婆での生き方かもしれません。
山を知ったロッククライマーのように、菩薩様であれば智恵によって正しい選択をしていかれることでしょう。
私自身のいのちの意味も分からない私には、阿弥陀さんのご本願がなければ、煩悩の山の中を迷い続けなければなりません。
阿弥陀さんは「そのいのちの生き方では苦しみ続けるいのちを生きてしまうんだ。お前自身では決して抜け出せないその苦しみを私が抜けださせよう。」と私のいのちの責任を負ってくださいました。
お釈迦様や様々な仏様方、七高僧、親鸞聖人、そして様々な先人方が
「お前を救ってくださる仏様がおるよ。お念仏して生きるんだぞ。自力じゃないぞ、他力のお救いだぞ。」
と、念仏生活の、このいのちの矢印を示してくださいます。
矢印を私が選択するのではなく、この私を思って阿弥陀さんが選択してくださった、皆さんがお勧めしてくださる矢印。
その通りに歩ませて頂くだけなんでしょうね。
お念仏と山と先人たちが気づかせてくださいました。
なんまんだぶ
次回の記事の時はちょうど富士登山の後かもしれませんね。
気をつけていって参ります。
それではまた。
称名
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