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「情念か無念か不信か」・・・舞台の上で展開していたものは・・・。

「唐人お吉 外伝」 東京三鷹・武蔵野芸能劇場

役者の方々の熱の入った演技が、
お吉の情念だけでも、何とか舞台の上に結実させようと踏ん張っている。

幕末にアメリカから来たハリス領事官の世話人として、わずか3日だけハリスの元にいただけの女性「きち」こと「唐人お吉」の「外伝」と銘打った舞台だった。

映画版や講談版「唐人お吉」では、ハリスと下田奉行所との関係や、「唐人」と呼ばれるようになるくだり、世の人々がいかにして偏見に満ちた見方をするようになったかなどが描かれるが、この「外伝」ではその辺りは省略されている。

人間の差別意識、何としても他者を貶めてしまおうとする行動が次々と描かれ、お吉の悔しさ、人間の醜さが舞台上に展開する作品である。

役者の方々は、とにかく皆、力いっぱい悩みながらも頑張っているのが分かる。それは、まるで特攻隊の決意のような(ちょっと違うかな?)切実ささえ感じられる。そんな湧き上がる不条理への疑問と怒りが内包している舞台である。

深読みすれば、それは「ここで描かれているお吉の心情」とシンクロするのかもしれない。
そういう視点で舞台に展開する演技の一つ一つを見れば、
模索し続ける苦悩が感じ取れる。

ちなみに、ハリスが逗留していた玉泉寺によると、
3日間「きち」という女性がハリスの召使(世話人・看護人)として働いた、という以外は、よく知られている悲劇的な内容は確認できないという。

つまり、これまで講談や小説、映画で描かれてきた「創作上のお吉の生涯」があり、それをどこまで踏襲し、新しい時代に訴えるものにするか。
現代において「きち」の話を描く時に悩むところであろう。
ちなみに、この公演はほぼ満員だという。
東京三鷹の武蔵野芸能劇場で5日まで。


『情がふくらみゃ重いと落ちる 線香花火の薄情さ』
そんな都々逸が頭の中をずっと回っている。


この芝居を観ていて、唐人お吉の生涯について一本ホンを書いてみたくなった。

例えば、こんな感じだ。

黒船来航以来、幕府は揺れているが、市井の人々は割とのんきに過ごしている。
それは、黒船見物に江戸からたくさんの人が集まってくるので、下田の遊郭、芸者たちは大忙しになったからでもあった。中には、

「このままずっとあそこに浮かんでいてくれればありがたい」

などと口にする者もいる。

江戸300年の平和は心の奥まで「平和ボケ」を浸透させていたのだ。

そんな中、ハリスの秘書兼通訳のヒュースケンが下田奉行所に看護人の派遣を要求する。
「是非、女の看護人を」
という要求に、これは妾を求めているに違いない、と判断した奉行所は、
船頭相手の酌婦まがいの芸妓で漁師客の着物の洗濯をしている「きち」に目を付ける。

「平和ボケの世の中で生きる貧困層」であった「きち」は、
口入屋の
「西洋人を客にすると帰ってきてから人気が出るぞ」
という口車に乗って、
「そうだね。『唐人お吉』なんて面白がる客が増えるかもしれないね」
と軽い気持ちで引き受ける。

客の帰ったお座敷で、残った酒を飲みながら暗い外の闇を眺めている「きち」。遠くに玉泉寺(ハリスが逗留している仮の領事館)の淡い明かりが見える。

「この闇の向こうに何があるのか知らないが、大したことはないだろう」

数日後、玉泉寺を訪れた「きち」は、敬虔なハリスの紳士的な態度に驚く。
ハリスに頼れる父親のような印象を持った「きち」。

ところが、ハリスの体調はさらに悪化し、看護の知識が無い「きち」は3日でクビになり、元の家に返されてしまう。

「初めからハクを付けるだけの西洋人看護なんだ。3日で十分さ」

「きち」が戻ってきてしばらくすると、下田の町の人々や仕事を勧めた口入屋などの態度が、二つに分かれるようになる。

「ハクが付いた芸者」
「西洋人相手に渡り合った女」
「ひと目見てたいとお座敷が増えるだろう」
「3日で西洋人に捨てられた」
「なのに奉行所から大金を貰った」

など、賞賛と冷笑の混在する態度である。

(馬鹿にしている(内心恐れている)西洋人から3日で返された、
つまりそれは、西洋人より劣る女だと見える、という心理が働くのと、
「きち」がお上から貰った給金の額(支度金が25両、月給は10両、結局迷惑料的なことで合計67両を手に入れる)によるものである、という背景を描く。この辺りが、ここ数年給付金で儲かっているだろうと、飲食店を口撃した正義中毒の心理と共通して見えるようにする。)

ただ、「きち」が困ったのは、

「毛唐の情婦に触られると、神様が怒って魚が獲れなくなる」

という流言飛語が飛び交い、定期的な漁師客の着物の洗濯仕事を失ったことであった。
「唐人」という呼称が、相反する二つの意味を持ち始めた。

普段の下田の芸者仕事の関係者ではなく、少し離れた土地の余り知らない人々が、差別意識や、何としても他者を貶めてしまおうという選民意識・優性意識を持って対応してくることが、じわじわと表れてくる。
と言っても、通りですれ違いざまに悪口を囁かれるといった類のものである。

だが、若い「きち」は意に介さない。

「仕事もあるし、下田奉行所から貰った67両(今なら約340~670万円くらい)の金もあるんだ。あたしゃ気楽にやっていくさ」

と、いつものように酒を飲んで過ごす。
実際、芸妓兼酌婦の仕事は続けていたので、「きち」がすぐに貧困に陥ることは無かった。

世間一般の正義ぶる人の目は一時冷たかったが、予想したように好事家も一定数いたこと、明治維新により「脱亜入欧」の追いつけ追い越せ機運が巻き起こったこともあり、
程なくして悪い噂や風潮は消えていった。
しかし、これらの「世間の風」は深いところで、若い「きち」の心を傷つけていたのかもしれない。「きち」は徐々に深酒し、荒れる日が増えて行った。

やがて「きち」は、27歳になり幼馴染の鶴松と結婚する。
ハリスの元に行ったのが16歳だから、10年は芸妓兼酌婦をしていてからの結婚である。
しかし、芸妓兼酌婦時代に培った酒癖の悪さが結婚後も続き、
7年持たずに離婚。

その後も職を転々としながら、酒とその日暮らしの生活が続くが、
「きち」は、歳を取るにつれて不安が増していった。
過去の不幸を思い出させることが多くなっていくのだ。

ついには幕府から貰った給金もついには底をつく。
貧すりゃ鈍する。40歳を前にして下田に貸座敷の「安直楼」を開業するが、酒癖の悪さは治らず、あっという間に潰れてしまう。

その後は、三味線などを教えて糊口をしのぐが、
やがて体を壊し、近隣の人のお情けにすがって生きるだけになる。

明治23年、下田には既に電気が通り、水道も出来た。
明るくなった下田の夜を見ながら、「きち」は言う。

「あの頃、こんなに世の中が明るかったら、少しは違っていたのかね。
なあ。16歳の『きち』、幼い私よ。
闇を恐れたり舐めたりしないで、ちゃんと前を見な、もっとしっかりと。
そうすりゃ。何をすれば良いのか、お前さんにも少しは見えてくるかもしれねえやね」

そんな事を言いながら、「きち」は又今日も酒を飲む。

そしてある雨の夜。
「きち」は増水した川に落ちて行方が分からなくなってしまう。

          おわり



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