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とある対戦ゲーマーの独り言 「見守られ、支えて貰う有り難さ」

今回のとある対戦ゲ(略)は前回のガチエン勢の続きを用意していたのですが部屋に飾ってあるアイテムが目にとまり、僅かながら当時のネガティブな要素が漏れるガチエンの内容的にもこちらを先に出したいと思い記事の掲載順を差し替えました。

私は過去様々な対戦ゲームを遊んできたのですが3つもの役割を同時且つ太くこなしたのは電脳戦機バーチャロンが恐らく最初で最後です。

①店員
②コミュニティ管理者
③プレイヤー

運営側と遊ぶ側両方というアンビバレンツな酷い立ち位置ですね(笑)

それだけに20年以上経ったとはいえ苦労した当時への思い入れは強く、Twitter復帰後はこうしてあれこれ呟いています。

役割的な背景を除くと当時の私は最年長でも最年少でもなく、平均より少し年上のくたびれたお兄さん的な立ち位置でした。

いま考えるとこれは絶妙で年齢的な面で見知らぬ年上から必要以上に侮られず、また若い世代と隔絶する程大人でもないバランスの立ち位置です。

実際に目上の方々には見守られつつも要所で助けてもらいましたし、年下の子達(今だと失礼だけど敢えてこの言い方)もあまり壁を作らずに接してくれました。

確かに私は3つの立ち位置、悪く言うと3種の権力を持つ危うい立場ではあったのですが少なくとも立場の違い以外で疎外感を持ったことは幸運にも無かったです。

当時も気づいているつもりではいたものの、年長者からは労りと薫陶を受け、年下からは時に反発はされつつも何だかんだ思い込みかも知れませんが慕い支えて貰えた点について年齢を重ねる毎に理解が深まると愛おしさも増す訳で・・・うん、やはり歳をとりましたね(笑)

まぁ結論としては様々な苦労を差し引いても良い思い出だと秒で断言出来てしまう訳なのです。(今後ネガティブな話題が出た時の予防線ではないw)

加えてお店やゲームを離れても人生の節目とも言える結婚式やその二次会に「ただのゲーセン店員の兄ちゃん」を呼んでもらえたりもしたのですから光栄以外の言葉がありません。

残念ながら私自身は県外での二重生活や家庭の事情もあり、多くの結婚式やイベントに顔を出せず、同時に皆と付き合いを続ける事も出来なかった訳ですが、当時の関係者がそれぞれの道で冒険を続けた話を耳にするとやはり嬉しい気持ちになります。

そしてこれを読んでくれている皆さんも私のようなエピソードをそれぞれ持っているのだと思います。

たかがゲーム、されどゲーム。


対戦ゲームは人と人の感情が特にぶつかりやすい危うい世界ではありますが、それだけにその負の部分を越えた付き合いができた時になんとも得難い感情が芽生えるのだと思います。

沈みかけの客船の船長にさせられて減気真っ只中な私が言うのもケチが付きそう(笑)で嫌なのだけどみんな元気にやってると良いな(゚∀゚)



SPYDERCO  (EVEREST 1991)

常連だったYさんに頂いたスパイダルコ。
道具類が大好きな私の話を聞いて手持ちのコレクションから渡してくれたものです。

普段おちゃらけつつもとても知見に溢れた方で、もっといろんな話を聞きたかったなとの後悔も。

(ナイフを他人に渡すという行為はとてもデリケート且つ、時に言葉以上の重みがある行動だと思っています。)

他にも有形無形問わず多くのものを年齢性別関係なく皆さんから頂きましたね。当時は自分の出来うる限りの元気玉を放出したつもりでしたが実際のところは皆の気持ちに報いることが出来たのかとふと考えてしまうのです・・・やっぱり歳をとってますね(二度目)

また次回!(゚∀゚) ツギハ ガチエン コウヘンデス


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<とある対戦ゲーマーの独り言>
対戦ゲームに絞った内容でモブ対戦プレイヤーがあれこれと妄想しております(゚∀゚)



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