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モノダマシイ 001 「もやしっ子とオフロードラジコン」

私が小学生の頃にファミコンと並んで盛り上がっていたのがオフロードラジコンでした。

何故ラジコンという大きな枠で括らないかといえば身近な範囲で所持数が圧倒的だったからです。 その意味ではファミコン(家庭用ゲーム機)もそうですね。

オフロードラジコンってどんな形だったって? それは・・・

いろいろな種類がありますが当時流行ったバギータイプが大体こんな感じです・・・写真が途切れちゃってますが(;´Д`)

ちなみに車種は1986年に発売されたタミヤ ブーメランですね。

では改めて。

よくみたらウイング無くなってる!(TдT)

もう2年程したら40歳に届く御老体です。

そういえば10年ほど前に発掘した際、話を聞きつけた昔馴染がおニューのマシンを用意して一緒にテスト走行をした事があるのですよね。

「またしっかりメンテして今度は本格的に走らせよう!」

という話のまま、互いに忙しくなりそのまま昔馴染の家で10年おかわりで眠ってたという(;´Д`)

振り返ってみると約30年もの期間眠らせていたものが普通に走り、そして壊れず走行を終える・・・よくよく考えてみるととても凄いことだなと。 そして10年前同様に今でも普通に走ると思います(゚∀゚)


この手の品の醍醐味ともいえる機構的な部分については別の機会に譲るとして、ここで話は1986年に遡ります。 幼少期の私は病気がちな事もあっていわゆるもやしっ子的な子供でした。 それでもこの頃はだいぶ身体も強くなっており、ラジコン担いで様々な場所へ足を運ぶ事も問題ない位に逞しくなっていましたね・・・運動神経にはデバフがかかってましたけど(゚д゚)

とても活動的にラジコンを遊んでいたように見えますが・・・高価なバッテリーは1本しかなく、往復1時間程かけて出向いた先で走行時間5分とかはザラでした(笑)

これだと流石にコスパが悪い遊び方になってしまいますが、大抵は友達と一緒に(または交代で)走らせた後にそのまま別の外遊びや近所の友達の家に向かうといった遊戯コンボを決める事で無駄なく遊んでいました。 ぼっち気質とはいえ少ないなりに友達はいたのですよ・・・ほんとだよ?

いやいや、記事を書いていると何処に仕舞っていたのかという当時の記憶がわさわさと飛び出してきますね。

そんなわけで他のラジコンをキーにした話や個々のマシンについてもまた機会を改めて語りたいかと思います。 ではまた。



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