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不登校の命は、ゲームに救われた

昨日は兼ねてから考えていた断捨離を実行。

実は2年前に一度、有名な「こんまり」さんの本を参考に断捨離を決行している。




物心ついた頃からずっと集め続けた、沢山のビー玉やプラスチックの透明な飾り石。

泣きながら教科書を開いたときも、趣味をするときも、支えてくれた学習机。


今の自分にとって役目を終えたモノ、お別れしても大丈夫だと思えるモノたちは、全て手放した。今残っているのは、2年前に私が改めて選んだモノだけだ。


でも、今回更に一つ、手放しても大丈夫だなと思えるものが出来た。

それは、ゲーム機。


昔懐かしいWiiやDS。実は昨年までちょこちょこ遊んでいた。

中学生の頃に購入し、病めるときも、健やかなる時も、引きこもる時も、楽しい思い出をくれたものたち。


私は中学時代の一年2学期辺りから不登校になった。その有り余った時間を、めちゃくちゃゲームに費やした。寝るorゲームのゲーム廃人でしたねハイ。楽しかったなぁー。


結局、中学の卒業式すら行かなかった。

プラス一年、高校も行かず仕事も行かずで3年半引きこもっていたことになる。

3年寝太郎の記録を、ゲーム交えながら半年も更新する快挙である。やったぜ。


やだ…ろくでもない…と思う方が沢山いると予想されるけど、当時の私にとってはゲームはライフラインだったのです。

ここからちょっと暗い話になるから、大丈夫な方だけ読み進めてください。すみません。地方の何処かで、不登校をしていた人のお話です。


………


皆当然、学校へ行くように説得した。気にかけて頂いてありがたいし、家族からの全力の説教は当然、言われても当たり前である。
当時の友人から、騙される形で誘われ、中学校の先生にファミレスに連れて行かれたこともあった。

「学校に行かないとこれから困るよ。」

「勉強出来ないとどこも雇ってくれないよ。」

「この先、生きていけないよ。」


そう言われる当時13歳の私は、大変生意気な事を思っていた。うん、知ってる。である。

そんな説明しなくたって、私の人生は学校に行けなくなった時点で終わりだと、分かっていたし、知っていた。

中学へ行かないことが、学を積まないことが、どれだけ自分の人生を真っ暗にするのか。親より親戚より、誰より一番、悲観していた。

(実際は、今生きてて幸せ。だからそんなこと全然なかったんだけど、当時はお先真っ暗だと、疑いなく信じていた)


私は学校に馴染めなくて、これから社会にもはじかれて、お金がなくなって、いずれ母も亡くなって、親孝行も出来ずに、私も餓えて亡くなっていくものだと思っていた。

そりゃあもう、最悪のシナリオしか描けなかった。
たぶん、親もそうだっただろう。


それでも、行けなかった。今度こそ相手か自分を、物理的に傷つける。
今死ぬか、死ぬのを先延ばしにして餓死するかのどちらかを、常に選択を迫られた。

そしてこの時は、私をここまで追い込んだクラスメイトを、先生を、家族を、怨む事しか出来なかったのだ。


ここまで読んでくださっている方は、人を怨んだこと、あるだろうか。めちゃくちゃ体力を奪われるんですね。
怒りと悲しみとその他諸々がごちゃごちゃで、自分ですら制御出来ないから、抑え込むのに必死だ。じりじりと自分の気力と体力を削っていく。


ずっとそれを直視していたら、絶対に気が触れていた。多分、生きてなかった。

なので、無理矢理ゲームで気をそらした。
所謂、全力の現実逃避。

現実の時間はご飯と、お風呂と寝る前くらいだった。


逃げることは悪い事だと世間では教えられる。私はそう教わった。

しかし、私は現実からは逃げた。逃げまくった。苦しかったから。


でも、一見いい事一つもないこの状況は、まさかの恩恵をもたらした。

現実逃避しまくったお陰で、今まで苦しめられた人達と思い出に対しても、少し距離を置けた。

だからこそ、気づけた事がある。


それぞれが、それぞれの人生で、苦しんでいたこと。

目立ってしまうと何かしらちょっかい出されるのは、小中学校あるあるなこと。

私の場合、苦しめられた「原因」は無いけど、「要因」は自分にあったこと。


相手が悪いと怨むなら、私にも悪い要素が少なからずあった。

私は悪くないと言い張るのなら、相手も悪くない。大なり小なり、その人なりの理由があった。

ある時から、怨まなくなった。ただ、そうだったのだ。と、少し飲み下せた。

そこから随分と楽になって、苦しみが解けていった。


…長々書いて何が言いたいかというと、ゲームは、私の、命の恩人なのです。

日薬もあるだろうけど、日薬が効くまで生かしてくれたのは、先生でも神でも仏でもなく、間違いなくゲーム。

そのゲームを、最近ふと、手放してもいいと思える様になった。

勿論全部じゃないんだけどね!まだ大好きなタイトルもあるもの!

でも、手放しても良いと思える日が来るとは思わなかった。


今、奇しくもあの頃と同じように、人生のバカンス中で、例のウイルスもあって引きこもり状態だけど

今の私はやりたい事が沢山ある。親孝行だって、出来ると思ってる。どんな形になるかは分からないけど。

中学時代より、毎日が楽しい。一人の時間も、人との出会いも、家族との時間も。


そう思えるのも、生かしてくれたゲームのお陰。

愛を込めて、感謝して、手放します。
ゆっくり、休んでねという思いも込めて。


追記:今まさしく不登校、引きこもりで何とか生き長らえ、You Tubeやネトフリしか見てない。ゲームしかしてない。これしかしてない。寝てしかいない。…自己嫌悪中です。という方が読んでいたら。

とりあえず、生きて息をするだけでもきつい中、一生懸命踏みとどまっているだけで凄いという事実は、どうぞ知っていてください。私は、どんどん楽しんで良いと思います。
そんなあなたに少しずつ、あなたらしさが、パワーが戻りますように。




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